2015年03月16日

こころのこよみ(第47週) 〜行われたし、精神の慮(おもんぱか)りを〜 (再掲)


世のふところから蘇ってくるだろう、

感官への輝きを息づかせる繰りなす喜びが。

その喜びは見いだす。わたしの考える力が、

神々しい力を通して備えられ、

内において力強いわたしとして生きていることを。




Es will erstehen aus dem Weltenschosse,
Den Sinnenschein erquickend Werdelust,
Sie finde meines Denkens Kraft
Gerüstet durch die Gotteskräfte
Die kräftig mir im Innern leben.






以前にも引用させてもらったが、鈴木一博さんが以前、
日本アントロポゾフィー協会会報に掲載された『礎(いしずえ)のことば』から、
ここ二、三週間の『こころのこよみ』への大きな示唆をもらっている。

    精神
   こころ
   からだ


人は、この三つの次元の違うありようからなりたっている。

自分自身を顧みても、
やはり、どちらかというと、
精神が上の方に、
からだが下の方にあり、
こころがその間に挟まっていることを感じる。

そして、この『こころのこよみ』は、
その名の通り、
真ん中の、
「こころ」がそれによって活き活きと生きることを願って書き記されている。

三月も半ばになろうかというこの時期、
陽の光がだんだんと明るく、暖かく、長く、わたしたちを照らし出すとともに、
地から、少しずつ少しずつ、
草木の力が繰りなしてきているのを見てとることができる。
そして、「啓蟄」といわれるように、
虫たちをはじめとする動く生き物たちも地の下から、水の中から這い出してきている。

わたしたち人は、どうだろう。

人においても、
近づいてきている春の陽気にそそられて、
からだもこころも動き出そうとしていないだろうか。

世の、春に近づいていく繰りなしが、
まずは、下のからだへの蠢(うごめ)き、繰りなしを誘い出し、
感官へのそのような働きかけが、
真ん中のこころを動かそうとしていないだろうか。

その動きこそが、喜びにもなりえる。


以下、鈴木さんの文章からの引き写しだが、
その「精神の想い起こし、精神の慮り、精神の見はるかし」に、
まさにリアリティーを感じる。

________________________________

こころというものは、
常にシンパシーとアンチパシーの間で揺れ動いている。

しかし、人は、そのシンパシー、アンチパシーのままにこころを動かされるだけでなく、
その間に立って、
そのふたつの間合いをはかり、
そのふたつを引き合わせつつ、
バランスを保ちつつ、
静かなこころでいることもできる。

むしろ、そうあってこそ、こころというものをわたしたちは感じとることができる。


そのこころの揺れ動き、そしてバランスは、
からだにおける心臓と肺の張りと緩みのリズムとも織りなしあっている。

こころのシンパシー、アンチパシーとともに、
心拍は高まりもしますし、低まりもする。
また、呼吸というものも、そのこころのふたつの動きに左右される。
吐く息、吸う息のリズムが整ったり、乱れたりする。

そして、心拍の脈打ちと脈打ちの間、
吐く息、吸う息の間に、
静かな間(ま)をわたしたちは感じとることができる。

その静かな間(ま)を感じとってこそ、わたしたちは、
リズムというもの、時というものをリアルにとらえることができる。


そして更に、
こころにおいて、シンパシーとアンチパシーとの間で生きつつ、
からだにおいて、心と肺のリズムの間で生きつつ、
わたしたちは、世というものとの間においても、
リズミカルに、ハーモニックに、調和して生きていく道を探っていくことができる。

荒れた冬の海を前にしているときと、
茫洋として、のたりのたりと静かに波打っている春の海を前にしているとき。

峨々たる山を前にしているときと、
穏やかな草原を前にしているとき。

いまにも雨が降り出しそうな、どんよりとした曇り空の下にいるときと、
晴れ晴れとした雲ひとつない青空を仰ぐとき。

しかめ面をしている人の前にいるときと、
にっこりしている人の前にいるとき。

そして、春夏秋冬という四季の巡りにおいて、
それぞれの季節におけるからだとこころのありようの移りゆき。

世というものと、
わたしたちとの間においても、
ハーモニーを奏でることができるには、
そのふたつが、
ひとりひとりの人によって、
はからわれ、釣り合わされ、ひとつに響き合ってこそ。

世とわたし。
そのふたつの間を思いつつ、はかりつつ、響き合わせる。
その精神の慮(おもんぱか)りを積極的にすることによって、
人は、世に、和やかに受け入れられる。

人と世は、ひとつに合わさる。

そして、人は、歌う。
春夏秋冬、それぞれの歌を歌う。

慮る(besinnen)は、歌う(singen)と語源を同じくするそうだ。

こころにおける精神の慮り、それは歌心だ、と鈴木さんは述べている。

    人のこころ!
   あなたは心と肺のときめきに生き
   心と肺に導かれつつ、時のリズムを経て
   あなたそのものを感じるにいたる。
   行われたし、精神の慮りを
   こころの釣り合いにおいて。
   そこにては波打つ世の
   成りつ為しつが
   あなたの<わたし>を
   世の<わたし>と
   ひとつに合わせる。
   もって、あなたは真に生きるようになる
   人のこころの働きとして。         『礎のことば』より



春の訪れとともに世のふところから、
下のからだを通して、感官への輝きを通して、
こころに、繰りなす喜び。

そして、
上の精神からの考える力。
その考える力は、
冬のクリスマスの時期を意識的に生きることによって、
神々しい力によって備えられている。
その考える力によって、
こころにもたらされる力強い<わたし>。

世とからだを通しての下からの繰りなしによって、
こころに生まれる喜びという情を、
上の精神からやってくる考える力が支えてくれている。

この下からと上からのハーモニックな働きかけによって、
真ん中のこころに、
喜びが生まれ、育っていく。


世のふところから蘇ってくるだろう、
感官への輝きを息づかせる繰りなす喜びが。
その喜びは見いだす。わたしの考える力が、
神々しい力を通して備えられ、
内において力強いわたしとして生きていることを。




posted by koji at 11:58 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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