2015年01月07日

こころのこよみ(第40週) 〜虚しい想い込みを焼き尽くす世のことば〜 (再掲)



そして、わたしはある、精神の深みに。

わたしのこころの基において、

心に満ちる愛の世から、

己であることの虚しい想い込みが、

世のことばの火の力によって、焼き尽くされる。




Und bin ich in den Geistestiefen,
Erfüllt in meinen Seelengründen
Aus Herzens Liebewelten
Der Eigenheiten leerer Wahn
Sich mit des Weltenwortes Feuerkraft.




「わたしは、いる」
「わたしは、いま、ここに、いる」という響きから生まれてくる情よりも、

「わたしは、ある」という響きから生まれてくる、
「いま」「ここ」さえも越えた、
「わたし」というものそのもの、
「ある」ということそのことの、
限りのない広やかさと深さと豊かさの情。

何度も声に出している内に、その情を感じる。

わたしは、ある」。

それは、その人が、
どんな能力があるとか、
どんな地位に就いているとか、
からだの状態が、健やかであろうが、そうでなかろうが、
そのような外側のありようからのことばではなく、
ただ、ただ、
その人が、その人として、ある、ということ。
そのことだけをその人自身が見つめて、出てきたことば。

そのときの「わたし」は、目には見えない<わたし>だ。


そして、
シュタイナーの『精神の世の境』という本から要約したかたちだが、
「愛」についてのことばを引いてみる。

    精神科学の学び手は、
   考える力を通して「わたしがあることの情」を育んでいくことに重きを置いている。
   その情が、こころに強さと確かさと安らかさを与えてくれるからだ。

   そして、学び手は、
   この感官の(物質の)世を生きるにおいて、
   その強められた「わたしがあることの情」を抑えることを通して、
   愛を生きる。
   愛とは、
   みずからのこころにおいて、
   他者の喜びと苦しみを生きることである。
   感官を凌ぐ意識によって人は精神の世に目覚めるが、
   感官の世においては、精神は愛の中で目覚め、愛として甦る。



「世のことばの火の力」
1月6日、ヨルダン川におけるヨハネの洗礼によって、30歳のイエスは、
「世のことば」キリストを受け入れた。
その「世のことば」は火の力にまでなっている。

その火の力は、わたしたちひとりひとりのこころの基において「己であることの虚しい思い込み」を焼き尽くす。

そして、心に、他者への愛が息づき始める。

わたしによって強められた「わたしがあることの情」が、
わたしによって抑えられることによって、
己であることの虚しい想い込みが焼き尽くされる。
心に愛(インスピレーション)が満ちる。

そして、わたしはある、精神の深みに。



そして、わたしはある、精神の深みに。
わたしのこころの基において、
心に満ちる愛の世から、
己であることの虚しい想い込みが、
世のことばの火の力によって、焼き尽くされる。




posted by koji at 00:04 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。