2014年11月から大阪と和歌山で始めた『普遍人間学を読む会』。
祈りのことばから始め、シュタイナーによるこの連続講義録の、まずは序章を読み込むのに、2時間から2時間半かかりました。
この連続講義は、アントロポゾフィーから生まれる子どもたちへの教育実践として、世界において初めて開校するヴァルドルフ学校に赴任する教師たちや関係者たち約20名を相手になされたものです。
この序章は、14日間の連続講義が始まる前の晩になされたシュタイナーの挨拶からなっています。
「今晩は予備的なことだけを話します」ということばから始まっていて、これからなされる仕事の意義、価値、意味についての極めて本質的なことが、予備的にですが、しかし、いきなり熱く語られ始めています。
「子どもへの教育」という仕事をする者への話であるにもかかわらず、ここでの内容を深く受け止めるほどに、これは人類史のなかの、現代ならではの、エポックメイキングな仕事論であることがひしひしと感じられます。
まさしく「現代において人として仕事をしていく上で、何を、どう、意識していくことができるか」という話なのです。
「文化の行ない」としての教育。
「文化」とは「耕すこと」であり、つまるところ、「人を耕すこと」。
「耕す」とは「田返(たがえ)す」「田の土を返す」ことであり、「人を耕すこと」とは「人の秘められたところを表てへと顕わにする、引き上げる」ことです。
ひとりひとりの子ども、ひとりひとりの人、そして、この〈わたし〉という人の内なる秘められているところをゆっくりと、ゆったりと、引き上げていく。
人の可能性を見いだしていく。引き上げていく。
それこそが「文化の行ない」です。
そのためには、わたしたちは、「人というもの」を、「人というものの秘められたところ」を、まずは、学ぶ必要がある。
「人というもの」は、そもそも、「秘められているもの」です。
その「秘められているもの」を学ぶこと。
仕事をしながら、学ぶこと。
人と人とが協力して働きながら、共に学び続けること。
そのことをかえすがえすも意識的になしていくことが、この仕事をなりたたせる条件なのだ。
そう、シュタイナーは語り始めます。
そして、現実的な人と人との共和、ここでは、教員会議こそが、ことの鍵を握っている。
教員と教員との共なる語り合いこそが、学校の心臓部であり、その心臓からどれほどの力と勇気と光がひとりひとりの教員に与えられるか。
その語り合いの場は、教育現場だけでなく、ありとあらゆる仕事の現場や家庭で精神的に深められていく可能性に満ちたところです。しかし、その語り合いが不毛なものにではなく、深まりに向かうためには、やはり、ひとりひとりが己と他者とを徹底的に高い視点、深い視点から顧みる絶えざる練習が欠かせない。
「人というもの」を学ぶこと、そして、ひとりひとりのみずからの内に向けての練習は、仕事という仕事を支える力になります。
アントロポゾフィーが現実を前に進めていく力、ことを推し進めていく力があるのか、どうか。
そのことを、この学校は証していくだろう。
そう、シュタイナーは始めに語るのです。
いま、わたしたち、ひとりひとりが、ひとりひとりから、仕事を始めていくとき、この『普遍人間学』を新しく読み直すことは、読みようによっては、深く、強く、確かに、その人の頭だけでなく、胸に、手足に働きかけ、浸透していきます。
言語造形という芸術に携わっているわたしにとっても、この行為が人の世に何らかの働きかける力・ことを推し進めていく力をより有するためにも、これまで以上に多様な形で柔軟に緩やかに他者と共に仕事をしていく必要を感じています。
翻訳は、言語造形家の鈴木一博さんの訳を使っています。
●『普遍人間学を読む』クラス
日時: 大阪市住吉区帝塚山 第二水曜 午後13時30分〜15時30分
和歌山県岩出市 第二土曜 午後13時00分〜15時00分
参加費: 毎回2,500円 6回連続12,000円
※ご参加される前に本のご購入をお願いいたします。次のサイトでご購入いただけます。
精巧堂印刷所 http://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0031
場所・お問い合わせ・お申込み:
帝塚山クラス ことばの家 http://www.kotobanoie.net/access.html
岩出クラス モモの会 http://momo-society.org/contact.html
講師: 諏訪耕志 http://www.kotobanoie.net/profile.html