北海道ひびきの村での言語造形を終えて一週間ぶりに大阪に帰ってきました。
村は、一週間の間ほぼこの上ないお天気に恵まれ、秋という季節の美しさの中にいたような気がしています。
5日間のワークショップの最終日に、ひとりひとり作品の発表をしたのですが、その素晴らしさにわたしは本当に打たれてしまいました。
わたしたちは各々大なり小なり様々な課題を人生の上に感じていますが、とりわけ困難な課題を感じている方々が、言語造形という芸術に一心に取り組むことで、日一日と重くて厚い鎧を、ゆっくりと、だんだんと、はずしていくかのように、飾りを捨てていくかのように、成りかわられていくのです。
そして、最後の発表の時、観客を前にして立ち、全身全霊でと言ってもいい位、必死になって、しかも変な力みなどなく、それぞれの文章・物語・詩のことばの法則に沿って発声する・・・。
聴いていて、わたしは涙が溢れてきました。
自分が講師であるとか、先生であるとか、そんなことはどうでもよく、その人そのものに出逢え、その人の成りかわりに出逢え、その人の隠れていた輝きにまみえることのできた喜びは、どうしてこんなに、こころをせいせいとしてくれるのだろう。
参加された方々おひとりおひとり、スタッフの皆さん、本当にかけがえのない時間でした。ありがとうございます。
このたびは、家族全員を連れての滞在でした。
いつもの滞在とは違い、授業を終えて帰ると、そこに家族がいてくれることが、なんとありがたいことだったか。毎朝、まるで我が家にいるようにリフレッシュしながら授業に向かうことができたのでした。
そして今回、わたしたち家族全員が出演しての公演をオイリュトミーホールで行ったのですが、それはこれからのわたしたちの活動・仕事とひびきの村とのこれからの関わりが、より芸術的に、より人間的に、より社会的になりゆく最初のしるしのようでありました。
妻とわたしは、十一年前にこの村で出逢って以来、なんらかの形と頻度でこの村との関係が続いてきました。しかし、今回改めてこの場の深い精神的なありように心身ともに貫かれた様な感覚を感じたのです。
娘たち二人も、おそらく生涯忘れられないような、夢のような時間を過ごしたようです。
とりわけ、九歳の夏木にとっては、村を囲む自然の風や光、青空、湖のきらめき、そして動物たちに触れることを許された喜びで胸が一杯になってしまったようです。
ひびきの村そのものに、いま、深い深い感謝を感じています。
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