世の拡がりから来る光が、
内において力強く生き続ける。
それはこころの光となり、
そして、精神の深みにおいて輝く。
稔りをもたらすべく、
世の己から生まれる人の己が、
時の流れに沿って熟していく。
Das Licht aus Weltenweiten,
Im Innern lebt es kräftig fort:
Es wird zum Seelenlichte
Und leuchtet in die Geistestiefen,
Um Früchte zu entbinden,
Die Menschenselbst aus Weltenselbst
Im Zeitenlaufe reifen lassen.
外に輝いていた陽の光が、いつしか、こころの光になっている。
そのこころの光は、萌しであり、これから、だんだんと、長けゆく。
その光は、「ひとりぼっち」であることの自覚の光でもあった。
そして、「ひとりぼっち」であることの自覚は、だんだんと深まり、
これから、だんだんと、熟してゆく。
その成熟は、キリストの誕生を我がこころに迎えるための、なんらかの備えになる。
なぜなら、キリストの誕生とは、「ひとり生みの子ども」「神の子」
「ひとりであることのもたらし手」「世の己から生まれる人の己」の誕生であるのだから。
憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥 芭蕉
人は、もし、鬱々としたもの思いに沈んでいるのなら、「寂しさ」という感情にまで辿りつくことで、「寂しさ」「ひとりぼっちであることの自覚」にまで徹してみることで、鬱々としたもの思いを突き抜けることができる。そして、この「ひとりであること」の自覚の上にこそ、キリストは寄り添ってくださるのかもしれない。
そして、「ひとりであること」の自覚を持つひとりとひとりが出会うところにこそ、精神は息づく。
世の拡がりから来る光が、
内において力強く生き続ける。
それはこころの光となり、
そして、精神の深みにおいて輝く。
稔りをもたらすべく、
世の己から生まれる人の己が、
時の流れに沿って熟していく。
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