わたしはこれまでにない稔りの力を感じる。
その力はしっかりとわたしにわたしみずからを与えてくれる。
わたしは感覚する、萌しが熟し、
そして予感が光に満ちて織りなされるのを。
内において、己の力として。
Ich fühle fruchtend fremde Macht
Sich stärkend mir mich selbst verleihn,
Den Keim empfind ich reifend
Und Ahnung lichtvoll weben
Im Innern an der Selbstheit Macht.
「これまでにない稔りの力」
夏の間、こころにおける葛藤を経て稼がれた、新しい感じ方、考え方、ものの捉え方。
夏が過ぎ行こうとしている、いま、
それらがいよいよこころに根付いてきていることを感じる。
夏は、豊かな自然の輝きが人に語りかけてくるときであったし、
人と人とが出会い、交わる季節だった。
しかし、みずからが孤独であることに思わず出くわしてしまうのは、
ひとりきりであるときよりも、
そんな人と人との間にいるとき、外の世が輝いているときかもしれない。
みずからが孤独であることに出くわして、
初めて人は孤独であることの意味を見いだそうと葛藤し始める。
そして葛藤するということは、みずからに問うということでもある。
みずからに問う人にこそ、答えはやってくる。
「いかにして、生きていくか」という問い。
その自問自答の繰り返しによる「問いを立てる力」が、
「わたしみずからの力」「己の力」としての「稔りの力」をわたしにもたらしてくれる。
その力は、秋という新しい季節における、
みずからが生まれ変わることへの予感、
みずからが甦ることへの予感をゆっくりとこころの内に光に満ちて織りなしていく。
そのようにして、秋とは内なる意識が明るんでいく季節だ。
意識が明るむ、とは何とありがたく、さいわいなことだろう。
わたしはこれまでにない稔りの力を感じる。
その力はしっかりとわたしにわたしみずからを与えてくれる。
わたしは感覚する、萌しが熟し、
そして予感が光に満ちて織りなされるのを。
内において、己の力として。
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