2014年07月03日

セザンヌ 感覚を実現すること

トロネの道とサント・ヴィクトワール山.jpg

リンゴとナプキン.jpg

首吊りの家.jpg

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座る農夫.jpg

大水浴図.jpg







画家とは、何をする人なんだろう。
確か2年前、セザンヌ展を観に行って、そのことを考えさせられた。
http://cezanne.exhn.jp/

道楽で絵を描くのではなく、
「仕事」として絵を描くとは、どういうことか。

セザンヌのことばによると、
「感覚を実現すること」、
それが彼にとって絵を描くことによってなしていきたいことであり、
彼の「仕事」だった。

彼が強い意欲をもって、ものを見ようとすればするほど、
自然が自然そのものの内に秘めている持続的な、強い、時に巨大な「もの」を彼に流し込んでくる。
それはすでに感官(目や耳などの感覚器官)を超えて受信される「もの」である。

そして、
自然からのそのような「もの」の流れに応じるかのように、
あまりにも巨大なセザンヌ自身の「こころそのもの」が顕れる。

その場その場の自然から流れ込んでくる「もの」。
そして、立ち顕れてくる彼自身の「こころそのもの」。
そのふたつの出会いそのものを、
キャンバスの上に、色彩で顕わにしろと、彼は自然そのものに求められる。

その求めに応えるのが、「感覚の実現」であろうし、彼の仕事であった。
その求めに応え続けたのが、彼の生涯だった。

少し時期がずれるが、ルードルフ・シュタイナーの『こころのこよみ 第5週』を引いてみる。

Im Lichte, das aus Geistestiefen

精神の深みからの光の中で、

Im Räume fruchtbar webend

その場その場で実り豊かに織りなしつつ、

Der Götter Schaffen offenbart:

神々の創りたまふものが啓かれる。

In ihm erscheint der Seele Wesen

その中に、こころそのものが顕れる、

Geweitet zu dem Weltensein

ありありとした世へと広がりつゝ、

Und auferstanden

そして立ち上がりつゝ、

Aus enger Selbstheit Innenmacht.

狭い己の内なる力から。



世は、人に、
その場その場で実り豊かに織りなしつつ神々が創りたまうもの」を啓いてほしいと、
希っている。

なぜなら、それによって、
人は、
狭い己の内なる力から、
 ありありとした世へと広がりつつ、
 自分の足で立ち上がりつつ、
 自分自身のこころそのものを顕わにする」
ことができるからなのだろう。

セザンヌは、そのことを、意識的になそうとした人だと感じた。


posted by koji at 07:20 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 絵・彫刻・美術・映画・音楽・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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