2014年06月29日

未来のセザンヌ論 〜前田英樹『セザンヌ 画家のメチエ』を読んで〜


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画家とは、何をする人なのか。
道楽で絵を描くのではなく、「仕事」として絵を描くとはどういうことか。

セザンヌのその「仕事」が過酷なまでに自然から命ぜられたことであり、「感覚を実現すること」、それこそが彼の「仕事」であったことを、彼が荷ったモチーフやひとつひとつの作品に沿いながら、前田氏は書き記していく。

この前田氏の作業は、セザンヌというある意味での透視者の仕事の内側に入ろうとしなければ成り立ち得ないものだ。

セザンヌが強い意欲をもって、ものを見ようとすればするほど、自然が自然そのものの内に秘めている持続的な、強い、時に巨大な「もの」を彼に流し込んでくる。
それはすでに肉体の目を超えて受信される「もの」である。

セザンヌによって受信されたその「もの」が、キャンバスの上で絵画記号としての色彩に転換される様を描こうとするには、従来の外側から(例えば、パースペクティブのことなど)の視点に拠る評論では埒があかないだろう。

その様を書き記す前田氏自身がその「もの」の受信に通じていなければ、書くことができないはずだ。

その意味で、前田氏のこのセザンヌ論は、おそらく、未来においてより深くより広く理解されてゆくものだろうと思う。


posted by koji at 09:08 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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