2014年05月09日

文学サロンとしての言語造形クラス 〜百年長屋さんでの新クラスご案内も含めて〜


文学とは、人が人として生きていくのになくてはならない、とても大切な仕事なのだと、この頃はとみに考えるようになりました。

文学とは、言い方を替えるならば、ことばの芸術、です。

ことばの芸術に取り組む代々の志ある詩人・文人は、そもそも、国のことば「国語」の運用というものが人の世を右にも行かせれば、左にも行かせる魔力を持ったものであるゆえに、いかにして中庸の道であることば本来の活き活きとした働きを最大限に活かせて人のこころを高めていくかに、精魂を込め、生命を賭けてきた人たちでした。

国語の運用がその国の人を健やかにする鍵を握っていることを知っていたのです。
国語の運用力を育んでいくことを放棄すると、こころが荒んでいきます。
国語を捨てると、その人はその国の人ではなくなってしまいます。
国とは、ここでは、独自の文化を生み出し、育て、受け渡していくフィールドのことを云いたく思います。
ですから、その国のことばは、その国の、民族の、歴史と伝統を内に深く秘め、いまも未来の世代に伝えていこうとしています。
わたしたち現代人も、知らず知らずのうちに、我が国の歴史のいのちと伝統の精神に繋がって生きているのです。

母国語を愛することは、母国の歴史と伝統を尊ぶことでもあります。
母国語の芸術に親しんでいくことは、母国の歴史と伝統に推参していくことでもあります。
今を生きている人の立場から考えるならば、
歴史とは、その人その人が主体的に過去を捉えてこそ生まれることばの芸術のひとつのかたちです。
伝統とは、その人その人が主体的にいのちを吹き込んでこそ生きる精神そのものです。
そして、母国の歴史と伝統に立つ人こそが、他国の歴史と伝統を深みにおいて理解でき、尊敬でき、その自立している者同士の間で真の交流が生まれるでしょう。

言語造形というルードルフ・シュタイナーによって新しく意識化された芸術は、各々の国のことばとその人その人の声をもって、その国の歴史と伝統に推参した詩人・文人たちの仕事を今に生き返らせるものです。
それは、詩人・文人たちの仕事を引き継ぐことでもあり、生まれ変わらせることでもあり、拡大させていくことでもあります。
国語を愛し、育て、受け渡していく、その本来的な文学の仕事を言語造形も担っています。

言語造形のクラスは、その意味で、「文学サロン」です。

文学作品をひとりひとりが声に出していくことによって、目で読むだけでは全く気づかなかったその作品の魅力が新しく立ち上がってくる。

そして、個々の作品の魅力を通して、文学というもの、国語というもの、ことばというものへの認識を新たにしていくことへも繋がっていきます。

その認識も机上で得たものではなく、全身の運動を通して得たものだけに、その認識を更にことばにして互いに語り合う喜びもしみじみとしたいいものです。

空間に響くことば。

そこにこそ、そもそもの文学の文学たるところがある。

大阪の玉造にある百年長屋さんで、6月からまた新しく言語造形クラスが生まれそうです。

そのご案内です。

共に文学をいまに生まれ変わらせましょう。
そして自分たちの国語のいのちに触れていきましょう。

新しい出会いを待っています。

http://nagaya100.sblo.jp/article/95931814.html


posted by koji at 22:56 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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