
魚屋さんが魚を仕入れて、それをさばく。
大工さんが木材にかんなをかけ、のこぎりをあてる。
彼らは自分の仕事のために魚を素材にし樹木を素材にする。
自分は、言語造形という仕事のために、ことばを素材にしています。
声にして発せられることばを素材にしています。
ただ、普段の日常生活の中で、特に仕事の上で発せられる大抵のことばは、頭で考えられ分別から組み立てられることばで、それはそうであってこそ、ことばは生活を潤滑に運ぶために役に立ちますし、そのようなことば遣いは人間の生活になくてはならないものです。
仕事の上で守るべきマニュアルに沿って発せられる台詞や、なんとか利益を上げるため、人の気を引くために繰り出される巧みなトーク。時間を守って、上の人の言うことを聞いて、できるだけ失礼のないように、頑張って、人は、一生懸命、ことばを話しています。
しかし、その分別からのみ発せられることばばかりだと、それを発している人自身の生命がだんだんと枯渇してくるのです。
そのことばは実は死んだことばだからです。
生活の役に立つのですが、それらのことばは死んでいます。死んでいるからこそ、人の思惑に沿っていかようにも操作でき、生活や仕事の役に立つのです。生き物だと自分勝手に操作などできません。
人の頭は死した部分で、別の言い方をすれば、もう完全に出来上がっている部分なのです。頭骨で固く閉じられた部分なのです。
その頭の中の操作から繰り出されることばは、どんなに威勢のいいことばであっても、死んでいます。
物質世界をひたすらに効率よく生き抜いていくために欠かせないことば遣い、それが頭から発せられることば遣いです。
しかし、それは、だんだんと人を死に促進します。
だからこそ、人は芸術から発せられることばを求めます。
死から生への甦りを乞い求めるがゆえにです。
それは、手足の動きから生まれることばです。
手足の動きがあるからこそ、呼吸がより活き活きと促されます。
呼吸が活き活きとしてくると、おのずとことばを話す時の表情も豊かになります。
そんな風に表情豊かにことばを発していると、自分自身が生まれ変わったような新鮮なこころもちに包まれているのをそこはかとなく感じたりもします。
人は折をみて、そのようなことばの発し方に触れることによって、生きていることばの世界に入るのです。
言語造形の練習をする上でのまずもっての次第は、四の五の言わずに、そんな生きていることばの世界に飛び込んでみることから始まります。動きの中でことばを発してみるのです。そのことから練習し始めます。
そして、何年にもわたってだんだんと練習を重ねていくにしたがって、呼吸ということの秘密に気づき始めます。
吸う息によって、人の意識は上なる天に昇り、光の領域に至ります。そこで、いまだ耳には聴こえはしないけれども、ことばのもとなるいのちの響き、精神の響きに出逢います。
そして、息を吐きつつ、人はその光の領域でのことばとの出逢いを引っさげて地に降りてきます。更に吐く息を通してことばを発声することによって、外なる空気(風)の中にことばと自分自身を解き放つのです。
そのように、呼吸によって天と地を行き来することを通して、人は光が織り込まれた風の中にことばとひとつになって生きるのです。その時、ことばは死んだものとしてでなく、いのちが吹き込まれ、甦ります。
いのちを吹き込まれたことばは、人の思惑などを遥かに超えて、ことば本来の輝きを発します。
だからこそ、その甦りは、人を活気づかせ、健やかにし、こころに喜びと感謝と畏敬の念いをもたらします。
言語造形を体験して、上記の内なるプロセスを意識をすることはないとしても、活気ある喜びを感じる人は多いと思います。
さて、ルードルフ・シュタイナーとマリー・シュタイナーは、きっと、こう語っています。(出典が何だったのか思い出せず、すいません)
風と光が織りなす中での、そのようなことばの甦りにおいて、わたしたちは、亡くなった人や、天の使いの方々、更に高い世の方々が受肉する場をその都度設えているのだ、と。
ことばとことばの間(ま)、余韻の中、沈黙の中にこそ、キリスト的瞬間、キリストの復活的瞬間が生まれる、と。
そういった肉の眼や耳には捉えられない方々の働きかけと、わたしたちが感じる活き活きとした喜びとの間には、きっと、深い関係があって、ただ、そういうことを机上で考えるのではなく、繰り返される練習の中でのみ聴き取るがごとく受け取っていく。感覚していく。
その練習の繰り返しは、わたしたちに、無私を要求します。空(から)の器になることを要求します。瞑想から生まれる志(こころざし)を要求します。
魚屋さんも、大工さんも、人の仕事とは、本来、似たような練習の繰り返しからおのずと生まれてくる無私へと歩いていく、そのことを言うのかもしれません。
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