
ある幼稚園の先生をされているAさんが、「ことばの家」で言語造形の稽古を積まれています。
この一年は、昔話の『大工と鬼六』を、倦まず弛まず、ずっと練習されていました。
その幼稚園で先月3月の終わりごろに卒園式が開かれ、林檎色のほっぺをした子どもたちがたくさんの保護者や関係者の方々に囲まれて卒園を祝われたそうです。
その式の締めくくりに、『大工と鬼六』が語られました。
今日、Aさんからその時の様子を聴いて、とても感慨深いものを感じたのです。
(Aさんのご了承を得て、書かせてもらっています)
昨年度初めて子どもたちの担任として仕事に就かれたAさんは、ご自身にとっての初めての卒園式をとにかく無事に滞りなく進行させることと、大勢の大人の方々の前で初めて昔話の語りをするということで、とても緊張され、前日にはお腹の調子もおかしくなられるぐらいだったそうです。
しかし、昔話を語り始めるやいなや、Aさんの息遣いと共に部屋中の皆がしいんと静まり返り、お話の間中、まるで部屋の中に目には見えないけれども大きな丸みを帯びたお話のお宮のようなものが生まれ出て、語り手も聴き手もみんなその中に包まれていた。
普段、目に見えないことを口に出して言うような人ではないAさんが、「お宮のようなものを観た、としか言いようがないんです」と仰る。
そう仰るのを聴かせてもらって、わたしは妙にリアリティーを感じるのです。そのお宮に。
「お話のお宮」「ことばのお社(やしろ)」、そういう目には見えないけれども、その場にいる人たちを包み込む精神的な空間をわたしたちは創り出すことができる。
言語造形を通して、わたしたちはその精神的・有機的建築に意識的に取り組んでいくことができるのではないか。
母音を通して、土を固め、柱を立て、梁を渡し、屋根を架けるかのごとく・・・。
子音を通して、細やかな細工がなされるように・・・。
その時、言語造形が行われる空間では、語り手も聴き手も共にある儀式に参加するひとりひとりの人である。
そういう希いをもって、わたしも自分たちのアトリエに「ことばの家」と名付けました。
そういう空間と時間が、多くの場所で生まれること。
そのことを希って自分も仕事をしている。
その卒園式でも、「お宮」の中に入った子どもは、お話の内容が記憶から遠ざかったとしても、「お宮の内部に入った感覚」は生涯を通してその子の内側で生き続けるんじゃないだろうか。
そう思われてならないのです。
その幼稚園から旅立っていくひとりひとりの子どもたちの仕合わせ、そしてAさんのお仕事のこれからの自由な深まりと拡がりを、こころから祝福します。
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