娘たちふたりが相次いでインフルエンザに罹り、ここ数日ずっと苦しんでいた。幸いにも自分の仕事も休みが続けて取れて、妻と交代で娘たちの面倒をみることができた。
このように仕事の休みが続く時に、どういう訳か家族が順番にダウンすることがよくあって、身体はよく分かってくれていると言うか、見えない存在の方々がちゃんと采配してくれていると言うか、ありがたいことだと思う。こうして、じっくりと身体とこころを休ませることができて、家族の間がらが更に親しく、深く、刻まれるよう。
そして、何より、時間というものが、人には与えられていて、その時間はその人その人の思い次第で伸縮自在のものなんだということを再確認できる。自分が病気になるだけでなく、家族の誰かがイレギュラーな状態になると、時間の流れがいつもとは変わって、否が応でも、慌てず騒がず立ち止まれるようになる。そんな時こそ、時間というものを捉え直すいいチャンスであることを今回も感じた。
そんな今日、新暦だけれども3月3日ということで、桃の節句。
病が明けた娘たちと妻とで、近くの万代池に行き、桃の花は勿論まだ咲いていないけれども、竜神様に感謝の念いを伝えに行った。
万代池から帰ってきた後、ミヒャエル・エンデの『モモ』の読み聞かせを漸く今日終えた。去年の夏から娘たちに折をみて読み聞かせをしていたから随分時間をかけたけど、桃の節句の日に『モモ』のフィナーレを迎えるのも何だか偶然ではないように思ってしまった。
更に、時間というものは人には本来豊かに豊かに与えられているのだ、というこの本のメッセージ。
今日、読み終えるように誰かが采配してくれていたんだな。
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