
今日、東京の新宿での、日本語での『神秘劇』(ルドルフ・シュタイナー作)上演に向けての会に伺い、言語造形に皆で取り組む。
オイリュトミストであり、翻訳・通訳業もされている香川裕子さんが中心になって2010年からなされている勉強会で、今日は20人ほどの方が集まられていた。
http://jade-initiative.net/bodywork.html
生硬な、とも思われる30年以上前に訳された日本語の文章ではあるが、それでも言語造形を通してからだまるごとでことばを発声していくと、そこにそれぞれの人物の表情や感情や性向などが如実に立ち上がってきて、とてもおもしろく魅力的だ。
参加された皆さんが、とても熱心で、そのお蔭で活気のある、ユーモアに満ちた暖かい時間と空間になる。
しかし、今回こうしてわたしも『神秘劇』に取り組む機会をいただいて、この作品は「おもしろい」だけでは済まない、相当の深みがあることに漸く気づかせてもらえた。
人というものが、なぜ、これほどまでに悲しい存在であるのか、しかし、そこに必ず、精神の光が、時間の有限性を越えてひとりひとりに差し込んでいる。
このドラマは、1910〜1913年に渡って初演されたのだが、そこにはその数年後に実際にアントロポゾフィー協会に起こった様々な悲劇がまざまざと予言されている。
まことを求める人が舐めざるを得ない痛切な「さだめ」、そしてそこからこそ人は痛切に何かを学べるのだということ、そのことをこの劇は芸術的に掘り下げている。
今日参加して下さった、子安美智子さんが仰っておられたが、この劇を演じることと、この先を生きていくのに不安を煽られるような、いまの日本に生きてゆくこととを重ね合わせること。
その重なりは、個人個人の、この「さだめ・運命」との真っ向からの向き合い以外に場を持たないだろうと思う。
今年の7月25日(金)、26日(土)、ドイツからミヒャエル・デーブス氏をお迎えして東京で日本語上演を含む神秘劇会議が開催される。
この会議をまたひとつの大きなスプリングボードにして、これから、年月をかけながら、日本語での上演を通して肉体を動かし、汗を流しながら、学びを深めていくことになる。
その「さだめ」との向き合いそのものを深めていくことになる。
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2015年の神秘劇上演(日時:2015年7月24日、25日 於:横浜市吉野町市民プラザ)のための情報源、ここに貼らせてもらいますね。
http://shinpigeki.jimdo.com/