2012年01月08日

こころのこよみ(第39週)〜自由と愛〜

An Geistesoffenbarung hingegeben

精神の啓けに身を捧げ、

Gewinne ich des Weltenwesens Licht.

わたしは世というものの光を得る。

Gedankenkraft, sie wächst 

考える力、それは長ける、

Sich klärend mir mich selbst zu geben, 

わたしにわたしみずからを明かしながら。

Und weckend löst sich mir 

そしてわたしに呼び覚ます、
 
Aus Denkermacht das Selbstgefühl.

考える力を通して、みずからの情を。




精神の啓け」。
それは、
心(心臓)の明るさの中に、
 精神の子が、
 聖き、世のことばとして生まれた
」と、
年の終わりの聖き夜の調べとして、
先週の『こころのこよみ』に謳われていました。


「精神の子」
「聖き、世のことば」
「キリスト」
とは、何なのか。
わたしにとって、どのようなものなのだろうか。

ヨハネ福音書講義を読むと、
その問いにこうシュタイナーは答えています。

それは、
「わたしこと」
「われあり」
だと。

「わたしがある」ということを人にもたらしたもの。
それがキリストだと、
密のキリスト教では認められ、人から人へと伝えられてきた。

この「わたしがある」ということを実感することこそが、
現代人におけるまさにもっとも深い願いなのではないでしょうか。

どんなときでも、どんな場所でも、誰と会っていても、誰に会っていなくても、
「わたしがある」ということへの情、信頼、確かさが己に根付いているほどに、
人は健やかさに恵まれます。

その「わたしがある」という情が、この時期に、生まれた。

それを「精神の啓け」と、ここでは言っています。

このクリスマスの時期、皆さんはいかがだったでしょうか。

「わたしがある」というところへと、
身を捧げる」。
ならば、「わたしは世というものの光を得る」。

それは、
どこまでも、
この「わたしのわたしたるところ」「わたしがある」への信頼から、
人との対話へと、
仕事へと、
一歩踏み出していくことです。

それは、きっと、
見返りを求めない、
その人のその人たるところからの自由な愛からのふるまいでしょう。

その勇気をもって踏み出した一歩の先には、
きっと、
「世というものの光」が見いだされます。
輝いている場面に出会います。
輝いている人に出会います。
輝いている「わたし」に出会います。

皆さんはいかがだったでしょうか。



そして、
「わたしのわたしたるところ」「わたしがある」という情は、
どのように稼がれるのでしょう。

それは、「考える力が長ける」ことによって稼がれます。

普段、わたしたちの考える力は、
目に見えるもの、手に触れるものなどに、張り付いてしまっています。
物質的な感官を通して入ってくるものに対して考えることに尽きてしまっています。

「いま、何時だろう」
「今日は何を食べようか」
「あそこに行くまでには、どの電車に乗り継いでいったらいいだろうか」
「ローンの返済を今月ちゃんと済ませることができるだろうか」
などなど・・・。

また、目に美しいもの、ここちよいもの、快をもたらしてくれるものには、
それらを享受するのに、特に努力はいりません。

わたしたちのふだんの考える力は、
そのように特に意志の力を要せず、
やってきたものを受けとり、適度に消化し、あとはすぐに流していくことに仕えています。

しかし、たとえば、葉がすべて落ちてしまった木の枝。
目に美しい花や紅葉などが消え去った冬の裸の枝。
それらをじっと見つめながら、
こころの内で、
考える力にみずからの意欲・意志を注ぎ込みながら、
来たる春や夏に咲きいずるはずの、
目には見えない鮮やかな花や緑滴る葉を想い描きつつ、
その木というものの命に精神の眼差しを向けてみるならば、
その寒々しかった冬の裸の枝の先に、
何か活き活きとした光のようなものが感じられてこないだろうか。

それぐらい、
考える力を、見えるものにではなく、見えないものに、
活き活きと意欲を働かせつつ向けてみると、
その考えられた考えが、
それまでの外のものごとを単になぞるだけ、コピーするだけの死んだものから、
ものやことがらの内に通っているかのような、
活き活きと命を漲らせたものになる。

考える力を、そのように、
感官を超えたものに意志をもって向けていくことによって、
わたしたちは内において、
自然界に写る影の像を命ある像に転換できます。

死を生に転換できるのです。

そして、その考える力によって、
わたしたちみずからも活き活きとしてきます。

わたしにわたしみずからを明かします

わたしに、みずからの情を、呼び覚まします

「みずからの情」、
それは、すなわち、「わたしがある」という情ですし、
みずからに由るという情、
「自由」の情でもあります。

キリストとは、
「わたしがある」「わたしこと」を人にもたらしたものです。

そして、いまももたらし続けているならば、
現代において、なおいっそう、
ひとりひとりが、
キリストによってもたらされたみずから考える力を長けさせることによって、
「わたしがある」ことの情、つまり、内なる自由から、
「わたしを捧げる」意欲、つまり、愛する道を歩いていくことを、
キリストは応援している。

この『こころのこよみ』を読みながら、
そのことをメディテーションします。


posted by koji at 21:27 | 大阪 ☀ | Comment(2) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

今年もよろしくお願いします。

こころのこよみ(魂の暦)の記事、毎週楽しみに勉強させて頂いてます。

なかなか魂の暦の句の文章は、声に出してみてもピンとこないので

自分でわかりやすいように、諏訪先生の記事から書き起こしさせて頂いて
今年は読んでいこうかな・・・と思います。

39週は

「わたしのわたしたるところ」があるという情から
見返りを求めない自由な愛からふるまうことで、

輝いている場面、人、「わたし」に出会う。

(本来の照らし、暖め、愛する力としての、又感官を超えたものにも向けられるところの)
考える力が育つことによって

「わたしのわたしたるところ」が明らかになる。

「わたしのわたしたるところ」があるという感情が、

考える力が育つことで呼び覚まされる。


・・・です。ずいぶん自分にとってはわかりやすくなった感じがして嬉しいです(^^)

Posted by old-island at 2012年01月12日 10:32
>old-islandさん

こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
レスが遅くなって、ごめんなさい!

こうしてわたしも自分で書くことによって、
少しでも自分自身の『こころのこよみ』への理解が深まればと思っています。

その書いたことで、少しでもold-islandさんのご理解に役立てば、
こんなに嬉しい事はありません。

どうもありがとう!
Posted by 諏訪耕志 at 2012年01月15日 18:56
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。