2011年12月10日

こころのこよみ(第36週)〜お金と仕事〜

In meines Wesens Tiefen spricht  

わたしというものの深みにおいて、

Zur Offenbarung drängend  

いま、目覚めよ、と、

Geheimnisvoll das Weltenwort:  

密やかに世のことばが語る。

Erfülle deiner Arbeit Ziele

「あなたの仕事の目当てを

Mit meinem Geisteslichte, 

わたしの精神の光で満たしなさい、

Zu opfern dich durch mich.   

わたしを通して、あなたを捧げるべく」




秋から冬にかけてのここ数週間の一連の『こころのこよみ』において、
上がってきたキーワードは、「仕事」です。

ここで言う「仕事」とは、
まさしく字に書くごとく、
「事に仕えること」でしょう。

己の内に充実し、実ってきた力をもって、
世に出て行き、
世の中で働き、
世に仕える。

世が与えてくれている事に仕える。

そして、人に仕える。

それを「仕事」と言うのでしょう。

その「仕事」においてこそ、
わたしのわたしたるところが感じられ、
そのわたしたるところによって世に息が吹き込まれ、
だんだんとそのわたしたるところが「ありありと世の内にある」ようになってくる。


今週の『こよみ』で、特に言い表されているのは、
その「仕事」の目当てを、
表面的な成果や成功や金や収入や損得に置くな、ということです。

「仕事」に必ずついてまわる「お金のこと」。

その「お金」のことで眠り込むな、ということです。

それは、こういうことだと考えます。

「お金」は、人の生命、生活、人生をなりたたせていく上で、
なくてはならないものと感じられます。

その「金!金!金!」という感じや感情に眠り込むとは、
「金がなければ生きては行けない」という考えにがんじがらめになることであり、
一方、
その感情から目覚めるとは、
「お金は要る人のところへ要る分だけ必ず行くようになっている、
事に仕えることに専念しようとする人のところには、
その仕事に必要なお金は必ず回ってくるようになっている、
よって、
まず何が本質的なこととしてこころに据えられるべきなのか、
それは、
己の内なる力を全部使って、
事に仕えるべく、己をもっていこうとすることだ。
お金は、きっと、要る分だけ、後からついてきてくれる」

わたしは、そう、考え、そう、感じます。

人と人との間でやりとりされるお金というものに関して、
決めるべきことは、はっきりと決めてしかるべきでしょう。

まずは、法の観点から(情)。
または、経済の観点から(考え)。
はたまた、精神の観点から(意志、意欲)。

(ちなみに、
法における平等は、人と人の間に醸されるべき情を大事に汲み取るものであってほしいですし、
経済の友愛は、情からではなく、ある定かな考えからなされてしかるべきですし、
精神の自由は、ひとりひとりの個別の意欲をふさわしく評価することとひとつです。)

しかし、お金というものを含む世のものごとは、
すべて、精神からなりたっています。

その精神をはじめにこころに据えることなくして、
法も、経済も、人間的なものとしてなりたちえないはずです。

生活を織りなしていくために、
まず精神を基に置く。

自分の仕事について、
「その事に愛をもって仕えることができるかどうか」。

そのことをはじめに考えることができるだろうか。

その考えは、
決してこころの表面でのものではなく、
わたしというものの深みにおいて、初めて繰りなされます。

わたしというものの深みにおいて、
世のことばが密やかに語ります。

いま、目覚めよ」と。

「世のことば」キリストは、
わたしというもの、人というもの誰しもの深みにおいてのみ、
きっと、ものを言うのでしょう。

いま、目覚めよ」と。

金は大切だ、生活も大切だ、いのちも大切だ、幸せも大切だ、
しかし、
あなたの仕事の目当てを
わたしの精神の光で満たしなさい。
わたしを通して、あなたを捧げるべく。



posted by koji at 23:51 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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