2011年12月04日

こころのこよみ(第34週)〜「ある」〜

Geheimnisvoll das Alt-Bewahrte

密やかに、古くから保たれてきたものが、

Mit neu erstandnem Eigensein

新しく生まれてきた己のありようと共に、

Im Innern sich belebend fühlen:

内において活き活きとするのを感じる。

Es soll erweckend Weltenkräfte

「それは、きっと、目覚めた世の数々の力を、

In meines Lebens Außenwerk ergießen 

わたしの人生の外なる仕事に注ぎ込み、

Und werdend mich ins Dasein prägen.  

そしてだんだんとわたしを、<ある>の内へと刻み込んでいくだろう」




「密やかに、古くから保たれてきたもの」

それは、
みずからのこころというものの核のことです。

こころは、その相(すがた)を刻一刻と変えます。
しかし、そのこころというものの核は、変わらずに留まり続けます。

その核を「わたしのわたしたるところ」、<わたし>、もしくは精神と言ってもよく、
それを意識の上に据えるために、
メディテーションというこころの練習があります。

そのメディテーションを続けていくならば、
その核を、
「おおもとのみずからにおいて繰り返す地上の人生を貫くところ」(『密の学のあらまし』)
として、どの人もそれを観るのだ、
とシュタイナーは書いています。

この『こころのこよみ 第34週』では、
それを、 「密やかに、古くから保たれてきたもの」と言い表しています。

そのみずからにおいて、
引き続くもの、消え去らないもの、留まるものが、
「新しく生まれてきた己のありようと共に、
 内において活き活きとするのを感じる」
とあります。

秋において、新しく生まれてきた己のありようとは、
実りゆく己として、
強められたわたしとして、
外の人生、仕事、生活の中に見いだすことができるありようです。

ものや人にこころを込めて向かい合うそのたびごとに、
新しく見いだされるそのものや人の輝き。
その輝きを見いだすとき、
実は、そのつどそのつど、
新しい己自身をも見いだしているものではないでしょうか。

人は何かにときめくとき、
ときめいているわたし自身にも気づくことができます。

その、ときめいているわたし自身が、
そのつど、そのつど、新しく生まれる己です。

別の言い方をするなら、
わたしが日々生きる局面という局面には、
生きることの仕合わせが織りなされています。

生きることの仕合わせとは、
わたしと人との間で、
わたしと世との間で、
織りなされる関係性、運命、カルマというものです。

その織りなしの中でこそ、
わたしのわたしたるところが、新しく見いだされます。
古くから保たれてきたものが、新しく見いだされます。

「古くから保たれてきたものが、
 新しく生まれてきた己のありようと共に、
 内において活き活きとするのを感じる」


わたしの中の、
古さと新しさ、
留まるものと新たに生まれたもの、
その織りなしあい。

それが、
人生の外なる仕事と、
内なる<わたし>のありようとの織りなしあいへと、きっと繋がっていきます。

内なる<わたし>が、活き活きとこころに生みだされるほどに、
わたしを囲む世の数々の力も、きっと活き活きと目覚めて、
わたしの人生の外なる仕事に注ぎ込まれてくるでしょう。

「そしてだんだんとわたしを、<ある>の内へと刻み込んでいくだろう」

<ある Dasein>とは、
「存在」「実存」というふうに訳されることが多いと思うのですが、
「はじめにことばありき」のあるですし、
「われあり」のあるですし、
「むかし、あるところに、じいさまとばあさまがあった」の「ある」ですし、
ありとあらゆるものを主語としえる「ある」です。

「古くから保たれてきたものが、
 新しく生まれてきた己のありようと共に、
 内において活き活きとする」
ほどに、
わたしは、
ますます<ありあり>と「ある」ようになっていく。

それは、
みずからの内なる古さと新しさの間の往復と合一、
みずからの内と外の間の往復と合一、
みずからがするメディテーションと仕事の間の往復と合一の中で、
だんだんと感じられていくことです。



posted by koji at 00:01 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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