2011年11月27日

こころのこよみ(第33週)〜人に任されている仕事〜

So fühl ich erst die Welt,

わたしはいま、世をこう感じる。

Die außer meiner Seele Miterleben

それは、わたしのこころが共に生きることなしには、

An sich nur frostig leeres Leben 

そこにはただ、凍りついた虚しいいのちのみ、

Und ohne Macht sich offenbarend,

そして、力が啓かれることもない。

In Seelen sich von neuem schaffend, 

人のこころにおいて、世は新しく創りなす。

In sich den Tod nur finden könnte.

世そのものにおいては、死を見いだすのみ。




前々週から、
己みずからの内なる力が満ちてくることと共に、
その力をもって世に出て行き、
世に働きかけ、
世と共に生き、
世に何かを生み出す、
そのような人のありようが描かれてありました。
http://kotobanoie.seesaa.net/article/234925600.html
http://kotobanoie.seesaa.net/article/236130223.html

世とは、
このわたしにとって、
四季折々に織りなしている自然のいちいちのことでしょうし、
人という人、他者のことでもありますし、
それは、このわたしをも含むものでもありますし、
そして、物質の域だけでなく、そこを超えて、
こころの域、
精神の域にまで及ぶものであります。

その「世」というものに、
この「わたし」が働きかけることによって、
何が生じるでしょうか。

たとえば、
こころを籠めて世の何かを、
世話する、
面倒をみる、
手塩にかけて育てる、などなど・・・。
人が、そうするとき、
その何かはどのような変化を見せてくれるでしょうか。

人がこころを注ぎつつ手入れしている庭と、
ほったらかしの庭とでは、
何かが違います。

人が大事に、感謝をもって住んでいる家と、
家のあちこちに対して文句を言いつつ、手入れが行き届かない家と、
また、誰も住んでいない家とでは、
それぞれ、趣きを異にします。

対象が、
庭や家だけでなく、
動物や人ならば、
その違いもより明らかに見られるのではないでしょうか。

それは、決して、気のせいではない、
明らかな趣の違いですね。

今週の『こよみ』では、こう記されてあります。

   わたしのこころが共に生きることなしには、
  そこにはただ、凍りついた虚しいいのちのみ

世は、
人によってこころから意を注がれることを待っているのではないでしょうか。

花も、動物も、水や風やあらゆる自然のものも、
人が創り出したあらゆるものというもの、機械類までも、
そして、
もちろん、人や、
目には見えないが世に存在している者たちも、
人から、こころを向けられるのを待っているのではないでしょうか。

人がこころを注ぐところに、
初めていのちが宿る。

いのち、
それは人が、その人みずからのこころの力をもって、
世に新しく与えることのできる愛、
と言ってもいいかもしれません。

人からの愛が注がれるところに、
初めて、世そのものがもっている力が啓かれる。

地球、そして世は、
人からの積極的な行為、愛を、待っている。

人とは、
なんと大きな仕事を任されていることでしょう。


posted by koji at 10:30 | 大阪 | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。