2011年10月01日

こころのこよみ(第25週)〜年のいのち〜

Ich darf nun mir gehören 

わたしはいま、わたしを取り戻し、
      
Und leuchtend breiten Innenlicht

そして、輝きつつ、内なる光が拡がりゆく、

In Raumes- und in Zeitenfinsternis.

空間と時の闇の中へと。

Zum Schlafe drängt natürlich Wesen,

眠りへと自然がせきたてられるとき、

Der Seele Tiefen sollen wachen   

こころの深みはきっと目覚めている。

Und wachend tragen Sonnengluten

そして、目覚めつつ、太陽の熱を担いゆく、

In kalte Winterfluten.    

寒い冬のさなかへと。



『こころのこよみ』を繰り返し繰り返し、
詠み上げ、詠み込むことで、
季節の推移の連続性を感じることができます。

それは、一年というものの生命、
年というものの中に息づいている精神を感じることだと言えます。

春の後が、夏。
夏の後が、秋。
秋の後が、冬。
冬の後に、また春が。

季節の移り変わりは当たり前のことです。
しかし、もしかしたら、多くの現代人は、
季節におけるその時その時の感覚印象だけに生きがちです。

春になったなあ。暑いなあ。秋めいたきたぞ。寒いなあ。

リズムはそこに感じられず、きわめて散文的な感じ方、生き方といえるかもしれません。

それは、
人が地球のリズムから逸脱して生きることができるようになってきた、
という時代の必然の流れの中にわたしたちがいたからです。

しかし、人は、これからふたたび、
意識的に、自由に、
地球のリズム、宇宙のリズムにみずからの生活を重ねあわせていくことで、
みずからを見いだし、
こころの健やかさを取り戻すことができます。

この『こころのこよみ』に沿いつつ、
目にも見えない、耳にも聴こえないものですが、
四季それぞれに息づいている「ことば」を聴くこと、
そしてそれらの「ことば」が生命ある連続として、
こころにしずしずと流れてくるのを感じることを学ぶことができます。

夏における、光と熱。
それは人に外からやってきました。

あの光と熱が、いま、外なるものから内なるものへと変容しているのを、
リアリティーをもって感じることができます。

こころの明瞭さと確かさと熱。
秋、わたしは、わたしを取り戻し、
萌していた希みが羽ばたこうとしているのを感じる。

光と熱。
それはいまや人の内から発し、
外なる空間と時間における闇、
そしてこれからやってくる外なる冬の寒さとのコントラストを際立たせようとしています。

秋における、
内なる光と外なる闇。
内なる熱と外なる寒さ。
内なる目覚めと外なる眠り。

あの夏をあのようにこころから生きたからこそ、
この秋があるのだ、
そして、この秋が、
冬へと引き続いていく。

そのような季節の内なる連続性と発展性・メタモルフォーゼを感じることで、
内なるこころの連続性と発展性・メタモルフォーゼをも自覚することができます。

四季を生きること、年のいのちを生きることが、
みずからを知ることへと人を導きます。


posted by koji at 22:56 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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