2011年07月18日

こころのこよみ(第12週)〜ヨハネ祭の調べ〜

Der Welten Schönheitsglanz,

世の美しい輝き、

Er zwinget mich aus Seelentiefen

それは、わたしにこころの深みから強いる、

Des Eigenlebens Götterkräfte

内に生きる神々しい力を

Zum Weltenfluge zu entbinden;

世の彼方へと解き放つようにと。

Mich selber zu verlassen,

わたしは己から離れ、

Vertrauend nur mich suchend

信じつつ、ただみずからを探し求める、

In Weltenlicht und Weltenwärme.

世の光と世の熱の中に。



今週のこよみには「ヨハネ祭の調べ」という副題がついています。

アントロポゾフィーによる宗教改新運動であるキリスト者共同体においては、
洗礼者ヨハネの誕生日である6月24日に近い日曜日から4週間の間、
ヨハネ祭を祝うそうです。

わたしも、共同体に属してはいないのですが、この4週間、
ヨハネ祭のこころもちとはどのようなものなのかを、
探りつつ生活をしていました。

キリスト教が生まれる以前、古代諸宗教においては、
夏至を一年の頂点とするお祭りが熱狂的に行われていました。

人というものを導く神は、太陽におられる。

その信仰が人びとの生活を支えていたのです。

太陽が最も高いところに位置するこの時期に、
太陽におられる神に向かって、
人々は我を忘れて、
祈祷をし、捧げものをし、踊り、歌いながら、
その祭りを執り行ってきました。

洗礼者ヨハネは、
その古代的宗教・古代的世界観から、
まったく新しい宗教・新しい世界観へと、
橋渡しをした人でありました。

彼は、夏に生まれたというだけでなく、
いにしえの宗教における夏の熱狂を取り戻すべく、
まさしく、炎のような情熱をもって、
ヨルダン川のほとりにおいて、
全国から集まってくる人々に水をもって洗礼を授けていました。

しかし、彼は、これまでは太陽にあられた神が、
もうすぐこの地上に降りてこられることを知っていました。 

  「汝ら、悔い改めよ、天の国は近づけり」 (マタイ3.2)

そして、みずからの役目がそこで終わることをも知っていました。

  「わが後に来たる者は我に勝(まさ)れり、
   我よりさきにありし故なり」 (ヨハネ1.15)

  「我は水にて汝らに洗礼を施す、
   されど我よりも力ある者きたらん、
   我はそのくつの紐を解くにも足らず。
   彼は聖霊と火とにて汝らに洗礼を施さん」 (ルカ3.16)

  「彼は必ず盛んになり、我は衰ふべし」 (ヨハネ3.30)

ヨハネはイエスに洗礼を授け、
イエスのこころとからだに、
太陽の精神であるキリストが降り来たりました。

それは、太陽の精神が、その高みから降りて、
地という深みへと降りたということであり、
ひとりひとりの人の内へと降り、
ひとりひとりの人の内において活き活きと働き始める、
その大いなる始まりでもありました。

「内に生きる神々しい力」とは、
人の内にこそ生きようとしている、
キリストのこころざし(Christ Impuls)です。

ヨハネがそのことに仕え、みずからを恣意なく捧げたことが、
四つの新約の文章から熱く伝わってきます。

そのときからずっと、キリストは、この地球にあられる。

そのことをわたしたちは実感できるでしょうか。

しかし、シュタイナーは、その実感のためには、
ひとりひとりの人からのアクティビティーが要ると言っています。

みずからの内において、
キリストがあられるのを感じることは、
おのずからは生じない。

人が世に生きるにおいて、
みずからを自覚し、自律し、自立させ、自由に己から求めない限りは、
その実感は生まれ得ないと言います。

ヨハネ祭は、もはや、古代の夏至祭りではなく、
熱狂的に、我を忘れて祝うものではなく、
意識的に、我に目覚めて、キリストを探し求める祝いです。

それは、この世を離れるのではなく、
この世を踏まえつつ、羽ばたくという、
わたしたち現代に意識的に生きる人という人の求めることでもあります。


この夏の季節、
キリストは息を吐くかのように、
みずからのからだである地球から離れ、
世の彼方にまで拡がっていこうとしている。

わたしたち人も、
キリストのそのような動き・呼吸に沿うならば、
己から離れ、
己のからだとこころを越えて、
精神である「みずから」を見いだすことができる。

生活の中で、
わたしたちはそのことをどう理解していくことができるでしょうか。

からだを使って働き、
汗を流し、
学び、
歌い、
遊ぶ、
それらの動きの中でこそ、
からだを一杯使うことによってこそ、
からだから離れることができ、
こころを一杯使うことによってこそ、
こころから離れることができ、
「世の光と世の熱の中に」みずからという精神を見いだすことができる。

そう、実感しています。

夏至の頃に、キリストは世の高みと拡がりに至ることによって、
毎年繰り返して、高揚感を覚えていると言います。

ヨハネ祭の調べ。

それは、ひとりひとりが外の世に働きかけることによって、
意識的に、目覚めつつ、みずからを高めつつ、
みずからという精神を見いだすこと。

そこから、地上的なキリスト教ではなく、
夏に拡がりゆくキリストの高揚を通して、
より大いなる世のキリストを見いだしていくこと。

そのことがキリスト以降、
改められた夏の祭りとしての、
ヨハネ祭の調べだと感じます。






posted by koji at 17:33 | 大阪 ☔ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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