今日は、「ことばの家」初めての合同発表会。
16人の方に語っていただきました。
時間が大幅に長くずれ込んでしまって、みなさん、本当にすみませんでした。
来年もまたしますが、もっとよくプログラムを考えて、会を創っていきますので、
また、どうぞよろしくお願いいたします。
会の冒頭に、シュタイナーの「こころのこよみ」第3週を読ませてもらいました。
世のすべてに、語りかける。
おのれ自身を忘れ、
かつ、みずからの根源を肝に銘じながら、
人間の育ちゆく「わたし」が、語りかける。
「お前の中で、私は解き放たれる、
私自身であるということの鎖から。
私は、まことわたしたるところを、解き明かす。」
言語造形をしていて、何が難しいといって、
「おのれ自身を忘れ、かつ、みずからの根源を肝に銘じながら」「世のすべてに語りかける」ことほど、
難しいことはないと思っています。
上手い、下手ではなく、
そういうみずからの上手・下手を考えている余裕などないところで、
いまある自分を精一杯賭けて、
この「わたし」が、語るのだ、
というその切実さ。
せせこましい意識を超えた「その人そのもの」「人間そのもの」を、
人は言語造形を通して体験したいのだ。
人間に出会いたいのだ。
今日のみなさんの語りをずっと聴かせてもらっていまして、
私は、誰よりも、私自身が、そのことにまっすぐに進んでいくのだということを、
はっきりと自覚させられました。
時間があまりにも押していたために、
今日の会の中では、お話できなかったのですが、
言語造形という芸術を通して、
そんな切実さを持って人と人が集まることによって、
その集まること、出会うことそのことが、宗教的な意識の深まりに繋がっていく、
芸術を通して、人と人とが出会うこと、そのことがすでに宗教的なことなのだということを、
私は信じています。
宗教的な意識、
それは、対する人のことを普段よりも一段も二段も深く感じられること、
そして「人間って、こうもありえるんだ」ということに気づかされること。
芸術を通して、そんな場を創っていきたい........
これからも、みなさんと一緒に、この言語造形に取り組んでいけたらと願っています。
今日は本当に、本当に、ありがとうございました。
2006年04月30日
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自分が語らせて頂いてる時、皆さんがとても深く深く集中して聴いて下さっているのを感じました。
聴くということはきっととても奥が深いから、自分もこれから、自分が聴いて頂いたのと同じくらい深く「聴く」ことができるようになっていけたら、もっと良く変わっていけるように思いました。
それから。集うことって「芸術」なんですね!なるほど、先生や皆さんにお会いすると元気になれることに、理屈がついたようで、なんだか納得です。
お身体の調子が悪いのにもかかわらず、それに負けずに、「舞台(!)」に立って下さったこと、こちらのほうこそ、感謝です。
あの空気、「あっ、人が私のことばに耳を傾けてくれている」といった瞬間を味わうことによって、人は他者のことばにも、今まで以上に深みを持って、自ら耳を傾けていくことができるのかもしれませんね。
人に受け止められて、初めて、人は人を受け止めていく力を自分の中で養っていけるのではないかと思うのです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
また、なじみのあるお話が、語る方により、味わい深い、心にしみるものになり、お話を通して、語る方の奥深い人間性を感じることができたような気がしました。
最後に、千晴さん、夏木ちゃん、ご家族の皆様、お疲れさまでした!
そして、ありがとうございました。
KANNKOさんが、じっくりと時間をかけて、何度も何度もダメだしを出されながらも、練習してこられたことが、しっかりとあの場で花開いていましたね!
賢治があの作品に秘めた「悪」というものが、KANNKOさんの語りで、見事に浮き上がり、聴いていた私たちみなの哄笑を巻き起こしました。
KANNKOさん自身は、無我夢中でされていたと思いますが、私たちは、あのとき、物語を聴く喜びを噛み締めることができました。
KANNKOさんの、言語造形に対する姿勢に、私自身、また正される想いです。
本当にありがとうございました。