1924年に最後の講義を終えるまで、
膨大な講義録が本になって残されています。
当時は、テープレコーダーに類するものが何もなかったので、
シュタイナーの弟子たちが一生懸命速記してくれたのです。
シュタイナーだけでなく、
彼の側にいて、すごい集中力で懸命に仕事をしてくれた当時の方々に、
こころから感謝したいと思っています。
しかし恐らく当時の学び手たちも、
それらの講義を受けただけではすぐさま充分に理解できず、
消化不良に類するような感覚を感じたことと思います。
それは、シュタイナーがひとつのことがらに対して、
様々な方向から意識の光を当ててながら、その都度、別の角度から語り、
聴く人にものごとを複眼的・総合的に考えてもらえるようにしようとしたからです。
当然、当時の学び手たちも残された速記録を貪るように読み込んだのではないでしょうか。
一度読んだだけでは、まるで表面をかすったような理解しかできず、
まだ自分の血肉にはなりえないし、
自分のことばでそのことがらを語ることができません。
本を読み込むことは、
相当の情熱と意欲と体力が必要なことをわたし自身、感じます。
『プネウマトゾフィー』第4講(1911年12月16日・ベルリン)に次のようなことが語られています。
私たちの共同体では、
自立しようとする意志と衝動をもった魂たち同志が互いに出会っています。
この魂たちは、私が示唆することしかできなかった内容を、
独自に深めて研究していこうとする真剣な意志を持っています。(中略)
銘々が本当に独立した魂の働きに向き合おうとするとき、
そして自分の内的に独立した感情をますます大きく育てていく時、
私たちの共同体は真価を発揮できるようになるのです。
これまで『テオゾフィー』の名で呼ばれてきた私たちの大切な精神潮流によって、
人類に開示されるべき諸世界をますます共体験しようと努めて下さい。
そのためにも、銘々が、自立して下さい。
シュタイナーが、学び手に対して望んでいたことが、
ここにはっきりと述べられているように思うのです。
本を読むことでも、人の話を聴くことでもいいのですが、
この瞬間、ひとつのことに、集中して向かい合うこと、
そのことが、どんどんその人をその人にしていく、
その人を自立させていく大きな力になるのではないでしょうか。
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