2022年01月24日

こころのこよみ(第43週)〜冷たさに立ち向かふこころの炎〜



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冬の深みにおいて、
 
精神のまことのありやうが暖まる。
 
それは、世の現はれに、
 
胸の力を通してありありとした力を与へる。
 
「世の冷たさに力強く立ち向かふのは、
 
 人の内なるこころの炎」
 
 
 
In winterlichen Tiefen
Erwarmt des Geistes wahres Sein,
Es gibt dem Weltenschine
Durch Herzenskräfte Daseinsmächte;
Der Weltenkälte trotzt erstarkend
Das Seelenfeuer im Menscheninnern.
 
 
 
 
いま、人と人は、どれほど分かり合へてゐるだらうか。
 
 
人と人との間に、無関心が、行き違ひが、無理解が、そして憎しみまでもが立ちはだかつてゐる。
 
 
自分自身のこととしても、そのことを痛切に感じる。
 
 
わたしたちは、そのやうなあり方を「世の冷たさ」として、密かに、ときにひどく辛く感じてゐる。
 
 
その冷たさから自分を守らうとして、こころを閉ざす。
 
 
こころを閉ざした者同士がいくら出会つても、求めてゐる暖かさは得られさうにない。
 
 
しかし、このあり方が時代の必然であることを知ることができれば、何かを自分から変へていくことができるのではないだらうか。
 
 
15世紀以降、人のこころのあり方が変はつてきてゐる。
 
 
意識のこころの時代だ。
 
 
この時代において、まづ、人のこころは冷たく、硬い知性に満たされる。
 
 
その知性は、すべてを、人までをも、物質として、計量できるものとして扱はうとする。
 
 
この時代において、この冷たく硬い知性が、人のこころに満ちてきたからこそ、現代の文明がここまで発達してきた。
 
 
そして、文明が発達すればするほど、人は、己れが分からなくなつてくる。人といふものが分からなくなつてくる。
 
 
人といふものは、からだだけでなく、こころと精神からもなりたつてゐるからだ。
 
 
だから、その冷たく硬い知性を己れのものにすることによつて、人は、人といふものがわからなくなり、他者との繋がりを見失つてしまふ。
 
 
己れの己れたるところとの繋がりさへも見失つてしまふにいたる。
 
 
文明の発達を支へる冷たい知性が、冷たい人間観、人間関係を生み出した。
 
 
そして、そのやうに繋がりが断たれることによつて、人は、自分が「ひとりであること」を痛みと共に感じざるをえない。
 
 
以前の時代には、無意識に繋がつてゐた人と人との関係。人と自然との関係。人と世との関係。
 
 
それらが断たれていく中で、人はひとりであることに初めて意識的になり、改めて、自分の意志で繋がりを創つていく力を育んでいく必要に迫られてゐる。
 
 
しかし、むしろ、かう言つた方がいいかもしれない。
 
 
ひとりになれたからこそ、そのやうな力を育んでいくことができるのだと。
 
 
ひとりになることによつて、初めて、人と繋がることの大切さにしつかりと意識的になることができる。
 
 
だから、このやうな人と人との関係が冷たいものになつてしまふことは、時代の必然なのだ。
 
 
そして、この時代の必然を見やる、ひとり立ちしたひとりひとりの人が、みづから天(精神)と繋がり、垂直の繋がりをアクティブに創り出すならば・・・。
 
 
そのとき、至極精妙な天からの配剤で、横にゐる人との繋がり、水平の繋がりが与へられる。
 
 
垂直の繋がりが、ひとりひとりの人によつて育まれるがゆゑに、水平の繋がりが天から与へられる。
 
 
さうして初めて、人と人とが分かち合ひ、語り合ひ、愛し合ふことができる。
 
 
地上的な知性で、地上的なこころで、地上的なことばで、人と人とが分かり合へるのではない。
 
 
そのやうな意識のこころの時代が始まつて、すでに500〜600年経つてゐる。
 
 
わたしたち人は、そのやうに、いつたん他者との関係を断たれることによつて、痛みと共に、冷たく、硬い知性と共に、ひとりで立つことを習つてきた。
 
 
そして、そろそろ、ひとりで立つところから、意識のこころの本来の力、「熱に満ちた、暖かい知性」、「頭ではなく、心臓において考へる力」、「ひとり立ちして愛する力」を育んでいく時代に入つてきてゐる。
 
 
他者への無関心、無理解、憎しみは、実は、人が、からだを持つことから必然的に生じてきてゐる。
 
 
硬いからだを持つところから、人は冷たく硬い知性を持つことができるやうになり、からだといふ潜在意識が働くところに居座つてゐる他者への無理解、憎しみが、こころに持ち込まれるのだ。
 
 
だから、これからの時代のテーマは、そのやうな、からだから来るものを凌いで、こころにおいて、暖かさ、熱、人といふものの理解、愛を、意識的に育んでいくことだ。
 
 
「世の冷たさに力強く立ち向ふのは、人の内なるこころの炎」だ。
 
 
その「内なるこころの炎」は、天に向かつて燃ゑ上がる。精神に向かふ意志の炎となる。
 
 
日常生活を送るうへで、日々の忙しさにかまけつつも、なほかつ求めざるを得ないこころの糧。それは、精神である。
 
 
地上に生きる人にとつて、なくてはならないこころの糧としての精神。その精神の具象的なもののうち、代表的なもののひとつは、キリストであらう。
 
 
キリストのこと、クリスマスにをさな子としてこの世に生まれたこと、春を迎へようとする頃、ゴルゴタの丘の上で起こつたこと、そのことを深みで感じつつ、深みで知りゆくことによつて、ますます意識的にこころを精神に向かつて燃ゑ上がらせることができる。
 
 
そして、人と人との間に吹きすさんでゐる無理解と憎しみといふ「世の冷たさ」に立ち向かふことができる。
 
 
ひとりで立ち、ひとりで向かひ合ふことができる。
 
 
キリストのことを考へないまま信じるのではなく、キリストのことを考へて、想ひ、そして知りゆくこと。
 
 
意識のこころの時代において、人は、そのやうなキリスト理解をもつて、みづからのこころに炎を灯すことができる。
 
 
なぜなら、キリストの別の名は、「わたしは、ある」だからだ。
 
 
「わたしは、ある」。
 
 
さう、こころに銘じるとき、わたしたちは、こころに炎を感じないだらうか。
 
 
そして、キリスト教徒であるなしにかかはらず、キリストと繋がる。
 
  
 

冬の深みにおいて、
精神のまことのありやうが暖まる。
それは、世の現はれに、
胸の力を通してありありとした力を与へる。
「世の冷たさに力強く立ち向かふのは、
 人の内なるこころの炎」
 
 




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2022年01月20日

ひとりの人 ルードルフ・シュタイナー



このクリスマスからお正月にかけて、わたしは、ルードルフ・シュタイナーの自伝や手紙を読むことに時を費やしてゐました。以前に読んだときよりも、はるかに親しく、熱く読むことができたことに、わたし自身とても満ち足りを感じることができたのでした。それは、彼の仕事の偉大さに近年ますます驚きと感動を覚えてゐて、このやうな仕事を成し遂げたひとりの人をもつと深く、親しく知りたいといふ念ひが強くなつてゐたからでした。彼の人としてのパーソナルな喜びだけでなく、痛みや悲しみ、苦しみがしたためられてゐる手紙、そしてそれらのことごとを精神において消化した上で述べられてゐる自伝の記述、どちらも、ひとりの人に宿つた精神の巨大さと、それゆゑの彼のこころの葛藤、みづからの孤独との語らひの様が、わたしに迫つて来るのでした。それらすべての内なる障害を潜り抜けつつの、あの膨大な仕事。どれほど時間をかけようとも、消化しえない課題を読み手に与へる、あの膨大、かつ深遠な仕事。


わたしは、その膨大な彼の仕事の中のたつた一冊『いかにして人が高い世を知るにいたるか』に、いま、じつくりと取り組んでゐます。個人的な案件が起こつたがゆゑに、この三年ほど、わたしはこの書に、まこと、師事してゐるのです。いや、師事せざるをえない、と言つた方がいいかもしれません。


この『いかにして人が高い世を知るにいたるか』といふ書に込められてゐる深い知は、ゆつくりと時をかけてこそ、人に明かされて行くやうに思ひます。さう、ゆつくりと、時をかけて、です。読むときも、文字を書くほどの速さ(遅さ)でゆつくりと読んでみます。さうしますと、一筋の道が読むわたしの前に伸びてゐて、その道は、めくるめく高みに向かつて通じてゐることをおぼろにも感じ、その道の遠さ、果てしなさ、と共に、その道のかけがへのない尊さと確かさに、こころが立ち上がるのを感じもするのです。


その道の上で少しでも前に進むほどに、それまで分からなかつたことがらに、新しい秘密を見いだすことができます。読むこちらが生きることの悲しみや苦しみを乗り越えて成長するほどに、ルードルフ・シュタイナーその人とこの書に対する敬ひと尊びの念ひがますます高まります。その念ひと情をもつて、この書の導きに沿ふほどに、読む人の内なる啓けが促がされ、志と勇気を起こされます。


この書は、そのやうに道を歩きゆくわたしたちを導く師であり、道を昇りゆくわたしたちを支へる梯子です。


この一冊の書は、わたしにとつて、ひとりの生きてゐる師なのです。




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2月からのオンラインクラス〜暮らしに取り込むこころのサイドトレーニング〜



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『〜暮らしに取り込むこころのサイドトレーニング〜
 2022年2月からのオンラインクラス
「いかにして人が高い世を知るにいたるか」へのお誘い』


このオンラインによるアントロポゾフィーの学びには、毎週木曜日のクラスと毎週日曜日のクラス、2クラスがあります。


どちらのクラスも、この2月から新しい章に入っていきます。木曜クラスは「実践的な観点(p.121〜)」、日曜クラスは「密やかな学びの条件(p.139〜)」です。


どちらも、サイドトレーニングという、時と場を選ばないこころの練習を扱っています。メディテーションやコンセントレーションが、ある程度、時と場を設えて集中してなされるのに対し、サイドトレーニングは、自分自身のこころに働きかけて行く同じ内なる作業なのですが、常日頃、気がついたときにしてみることのできる練習です。


よって、シュタイナーから生まれたアントロポゾフィーという学びの中でも、誰もが暮らしの中に取り込むことのできるものなのです。


この機会に、新しく、シュタイナーの学びを共に始めて行きませんか。


講師: 諏訪耕志



♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾



★『いかにして人が高い世を知るにいたるか』オンラインクラス


毎週木曜夜クラス 午後8時〜9時
毎週日曜夜クラス 午後8時〜9時


参加費
体験参加費 一回のみ 2000円
4回連続ご参加 5000円


御自身のご都合でのお休みは、キャンセル無効とさせていただき、録画したものを見ていただくことができます。なにとぞ、どうぞよろしくお願ひいたします。  


もし、お時間などのご都合がつかない方で、それでもご関心がおありになる方がゐらつしゃいましたら、録画受講といふ形でご参加されることもお勧めいたします。


ただ、クラスが、読書と共に、とても内密な語らひの場になりますので、録画ご視聴して下さる方のお顔とお声を参加して下さる皆さんに、ご紹介させてもらふことになります。


一度、オンライン上でお顔をお見せくださることが可能でしたら、とてもありがたく思ひます。


お振り込み  

// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041 スワ チハル  

// 他銀行から // 店名 〇ニ八(ゼロニハチ) 普通 2888904    

お申し込み、お振り込みいただいた方に、オンライン会議室ZoomのURLをお伝へします。    


鈴木一博氏訳の『いかにして人が高い世を知るにいたるか』を用います。本をお求めの際は、こちらでどうぞ。
「精巧堂出版」


お申し込み・お問ひ合はせ   
アントロポゾフィーハウス 「ことばの家」


どうぞよろしくお願ひいたします。

posted by koji at 15:34 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 講座・公演・祝祭の情報ならびにご報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月16日

父の思ひが分かること



父が亡くなつてから、もうすぐ15年が経たうとしてゐるのですが、夜更けになつて、ふと、父が生前、話してくれた、彼自身の幼い頃の思ひ出話を想ひ起こしました。それは、彼の母親(わたしの祖母)が水商売をしてゐたため、大阪の難波の店から生駒近くの家まで帰つて来るのが毎日夜の遅い時間、自分が眠つてしまつた後だつたこと。そして、自分の寝床にまで聴こえて来る、家の近くを過ぎ行く電車の走る音がするたびに、お母さんがこの電車で帰つて来てくれたのではないかと寝床の中で待つてゐたこと。

父よ。いまは、もう、お母さんと一緒にゐるのだね。


・・・・・・・


父の感じてゐた悲しみや切なさに、当時のわたしはやはり距離を持つて感じざるをえなかつたのですが、それが、何十年と経つことで、その距離が埋められて、とても、とても、リアルに感じてしまふやうになつてしまひました。


・・・・・・・


小林秀雄の『栗の樹』といふ短いエッセイからの文章を想ひ起こしました。


「思ひ出となれば、みんな美しく見えるとよく言ふが、その意味をみんなが間違へてゐる。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけである。」


わたしたちは、さう、つまらないことは忘れるに任せ、本当に大切なことを想ひ起こすことができる。それがまことの歴史といふものではないでせうか。


本当に大切なことを上手に想ひ起こすといふことは、時間がかかることですし、難しいことであると思ひます。




posted by koji at 23:23 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言語造形における祝福〜生きたことばのフォルムを味はふ〜






言語造形の場において、わたしたちは、ことばの音韻の響きの連なりに向き合ひます。その連なりを追ひます。

その時、こころに、精神のフォルムが描かれてゐるのをリアルに感覚することができます。その感覚は、目には見えませんが、密(ひめ)やかに、かつ、顕はに、物の世の空間を動くフォルムとしても同時に感覚されます。

その精神のフォルムを感覚することによつて、ことばを話す人、聴く人のこころに、深く生き生きとした情が育まれること、そして、その場が、精神から祝福されてゐることを、いつも感じるのです。

こころのこよみ(第42週) 〜こころをこめてする仕事〜



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この冬の闇に

みづからの力の啓けがある。

こころからの強い求めがある。

暗闇にそれをもたらし、

そして予感する。

胸の熱を通して、感官が啓くことを。



Es ist in diesem Winterdunkel
Die Offenbarung eigner Kraft
Der Seele starker Trieb,
In Finsternisse sie zu lenken
Und ahnend vorzufühlen
Durch Herzenswärme Sinnesoffenbarung.



毎週、この『こころのこよみ』を生きていく。


毎週、ここに記されてある詩句を繰り返しこころの内で味はつてみる。


さうすると、ここに記されてあることばが、それを読んでゐる自分自身のこころの歩みと、重なつてくるのを感じることができる。


そのこころに重なつてきてゐる力は、さらに、心(物質の心臓とエーテルの心臓の重なりあひ)の働きを活性化させるやうに感じる。


そのことは、この詩句に沈潜するほどに感じられる、体内に流れ出す熱い血をもつて確かめられる。


物質の心臓は、物質のからだの中心を司る器官で、血液の巡りによつて活き活きと脈打つてゐる。


エーテルの心臓は、人のエーテルのからだの中心を司る器官だが、愛の巡りによつて活き活きと脈打ち、そこから光が発し、熱が生まれる。


内に抱く考へが、愛を基にしたものならば、その考へはエーテルの心臓を活き活きと脈打たせる。


さうでないならば、その考へはその心臓を締め付ける。


活き活きと脈打つエーテルの心臓が光と熱をもつて、物質の心臓の働きを促し、熱い血の巡りを促す。それをここでは、「胸の熱」としてゐる。その胸の熱が、さらに、こころの働きといふ働きを促しだす。


その活性化されだしたこころの働きを通して、ものが、よく見えだし、よく聴こえはじめる。


そして、肉の目や耳には映らない、こころのもの、他者の情や他者の考へがリアリティーをもつて、心臓で感じられるやうになつてくる。


きつと、その道は、人の情や考へだけでなく、ものといふもの、例へば、植物や動物の情、地水風火の情や考へなどをも感じられることへと繋がつていくだらう。


頭の脳で理解するのではなく、心臓で感じ、心臓で考へることができるやうになつていくだらう。


外なる感官だけでなく、そのやうな内なる感官もが啓きはじめ、働きはじめる。


「そして予感する
 胸の熱を通して、感官が啓くことを」


そして、その啓かれるものを受けとることを通して、わたしたちはどう振舞ふことができるだらうか。


「 みづからの力の啓け
 こころからの強い求め
 それを冬の暗闇にもたらす」


その振る舞ひは、きつと、その人その人の仕事として、世の冬の暗闇に光をもたらすものになるはずだ。


お金を稼ぐことが仕事をすることだといふ意味ではなく、その人がこころをこめてすることこそが仕事であるとするならば、わたしたちは、いま、いる場所で、
その仕事を始めることができる。



この冬の闇にみづからの力の啓けがある。
こころからの強い求めがある。
暗闇にそれをもたらし、
そして予感する。
胸の熱を通して、感官が啓くことを。



posted by koji at 11:40 | 大阪 ☀ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月15日

アントロポゾフィーハウス【和歌山】言語造形とアントロポゾフィーのご案内



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ルードルフ・シュタイナーの学び「アントロポゾフィー」と共に、昔話や物語を語り、詩を朗唱する芸術「言語造形」に取り組んで行く、毎月第二月曜日の集いです。


言語造形の時間には、おひとりおひとり声に出してみたい作品をお持ちください。


アントロポゾフィーの時間では、基本的な理解のために、まず最初は講師の方からテキストを用意させてもらいます。そして、次に、こころの修練・メディテーションのためのテキスト『いかにして人が高い世を知るにいたるか(シュタイナー著・鈴木一博訳)』に取り組んで行きます。


シュタイナーに関心のおありになる方、ことばに関心のおありになる方、ぜひ、一度、足を運んでみて下さい。


芸術実践とメディテーションに取り組むことで、精神から生まれる芸術を生きる喜びを共に味わって参りましょう!


講師:諏訪耕志 https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji


10:00 言語造形
12:00 昼食
13:00 アントロポゾフィー
14:00 終了予定


♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾ ♾


日時:
2022年2月14日より毎月第二月曜日
(8月は第四月曜日の22日、10月は第三月曜日の17日) 
午前10時から午後2時まで
(間に昼食の時間一時間を取りますので、お弁当などをお持ちください)


場所:
和歌山県岩出市
(お申込みいただいた方に詳細をお伝えいたします)


参加費:
5回連続ご参加 20000円
体験ご参加   5000円/一回
その他、講師の交通費(往復1540円)を参加者全員で頭割りしてご負担していただきます。


お問い合わせ・お申し込み:
アントロポゾフィーハウス(諏訪)
https://kotobanoie.net/access/



posted by koji at 11:31 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月13日

及川徳子さんとの語らひ「言語造形について」






2022年1月6日、ライブ配信による、及川徳子さんとの語らひの様子です。

及川さんは、アナウンサーであり、心理セラピストでもあられます。

声、そしてこころに深く誠実に触れていくお仕事をされてゐます。

そして、ロックミュージックへの深い造詣からFMラジオにて二十数年間レギュラー番組をもってゐらつしゃつた方です。

その熱いこころと共に、深遠な世の真理を追い求めてをられる及川さん。

本当に彼女の的確な問ひかけと思ひやりに満ちたおこころ配りに、本当に50分といふ時間があつといふ間に過ぎていきました。

及川さん、本当に、ありがたうございました。


及川徳子さんのホームページ 

及川徳子さん OFFICIAL BLOG  

及川徳子さん you tube channnel  

年のはじめに念ひを定める



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下の文章は、昨年の今日、書いたものなのですが、改めて読み返してみて、昨年の一年は書いたとほりの年になつたのだな、と自分でも感心しました。年のはじめに念ひを定めるといふことは本当に大切なことなのですね。今年、2022年のはじまりにあたつても、しつかりと念ひをもつてやつていきたいと思ひます。



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『今年から始まる仕事 アントロポゾフィーハウス 2021年1月13日』


わたしは、自分自身の仕事であり、運動体であるものを、「ことばの家」と銘打つて、これまでアントロポゾフィーと言語造形といふ芸術活動に勤しんできました。


もちろん、これからも、わたしの仕事として「ことばの家」を勤しんで行きます。


しかし、今年、令和3年、2021年からは、自分ひとりだけで仕事をして行くのではなく、自分自身の仕事が他の方々の各々の仕事と結びつくやうな形を模索・実現して行きたいと希つてゐます。


仕事において、他の方と協力し合ひながら、自分一人ではできなかつた仕事をひとつひとつ、創り出して行きたいと希つてゐます。


その際に、わたしにとつて大切になるのは、アントロポゾフィーといふ精神(靈・ひ)です。


このアントロポゾフィーを共有して行くことが、他者との共同・協働における大切な点です。


アントロポゾフィーとは何か。何か特別なものなのか。さうとも言へます。しかし、さうとも言へません。そのことには、様々な観点から答へることができるでせう。


ルードルフ・シュタイナー自身は、あるところで、端的に、それは「人であることの意識」だと言つてゐます。


「人であることの意識」。これは、現代を生きるすべての人にとつて、人として生きる上での何かとても大切なものではないでせうか。


それは現代においては、「人が、その人であることの意識」「人が、ますます、その人になりゆく意識」「人が、自由と愛を生きる意識」と言つてもいいのではないでせうか。


「自由と愛」などといふことばは、すぐに宙に浮いてしまふ、大変やつかいなことばでもあるのですが、きつと、どの人も、こころの奥底で、そのことばの実現を乞ひ求めてゐるはずです。


生きた日本語でこのアントロポゾフィーを語ること、それが、わたしがわたし自身に課してゐる大きな、途方もなく大きな仕事です。


アントロポゾフィーとは、「道」です。その「人であることの意識」を学び、それを己れのからだとこころで確かめて行く実践です。人であること、自由であること、愛することができるといふこと、そのことへの「道」と言つてもいい。


その「道」とは、まぎれもなく、読書(講義の受講)と芸術実践です。


わたしは、アントロポゾフィーの基本文献を基にした講義をします。そこにおいて、共に考へること。考への世の内で、こころを暖めること、励ますこと、ひとりひとり目覚めゆくこと、へと共に歩いて行くのです。講義とは、共なる、メディテーションです。


わたしは、さらに、言語造形といふことばの芸術を通して、ことばの力の内側に参入して行きます。その営みを多くの人が必要としてゐることを確信してゐますので、必要とする人とその芸術を分かち合つて行きます。それは、極めて具体的な仕事です。ことばを話すといふ、まぎれもなく、その人まるごとを使ふ芸術的な仕事です。その仕事のためには、舞台づくりといふものが、何よりもうつてつけです。共に、舞台を創つて行くのです。


メディテーション、それは、考へる〈わたし〉の内に、世を見いだすことです・・・。


芸術実践、それは、世の内に、〈わたし〉を見いだすことです・・・。


あなたみづからを見いだしたければ、世を見よ。
世を見いだしたければ、あなたみづからを見よ。


アントロポゾフィーの講義、そして言語造形、それは、どちらも、日本語をもつて「人であることの意識」を耕し、育て、稔らせるやうな仕事です。この仕事には、十年、三十年、百年、何百年とかかるはずです。


これは、わたしができる仕事であり、わたしから始めて行くのですが、さらに、他の芸術に勤しんでゐる方々とのコラボレーション、共同でアントロポゾフィーに根付いた仕事をして行くことを、今年から、始めたいと考へてゐます。


メディテーションと芸術実践、わたしたちのテーマは、それです。


物理的・固定的な場を持たない、この精神からの仕事場を、「アントロポゾフィーハウス」と名付けます。


声を掛けさせていただきました時には、できましたら、お耳をお貸しいただきたく、なにとぞ、どうぞ、よろしくお願ひいたします。共に、日本語の内に、アントロポゾフィーの精神(靈・ひ)を灯していきませう。


諏訪耕志



アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos



※絵は、東山魁夷「白い馬の見える風景」


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2022年01月12日

1/27(木)【仙台】おひさまの丘 宮城シュタイナー学園 言語造形の集ひ「詩歌を詠ふ」



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シュタイナー教育の現場で、言語造形といふことばの芸術を通して、何かお役に立てないだらうか。


そんな思ひで、おひさまの丘 宮城シュタイナー学園に昨年の秋から伺はせていただいてゐます。


第二・七年期の子どもたとの和歌や詩の朗唱における言語造形。そして昔語り、神語り(神話)。


そして、授業が終はつた午後のひととき、学園の教師の方々、理事の方々、親御さんたち、外部の方々に集まつていただき、言語造形を楽しんでいただきます。


今回は、ご参加下さる皆さんおひとりおひとり、和歌や俳句、もしくは詩の中でご自身が声に出してみたいものをおひとつ、お持ち下さい。


2クラス、設けさせていただき(Aクラス:14時半〜16時  Bクラス:16時半〜18時)、1クラスにおいて人数を制限させていただくことで、おひとりづつのことばの体験を重ねていただく時間を増やしたいと思ひます。


言語造形によつて、声を出すその人がどんどん変はりゆく、その姿は、本当にどの人もどの人も美しく、「この人は、このやうな美しい方だつたのだなあ」「この作品は、このやうな深みあるものだつたのだなあ」「人とは、そもそも、ことばであつたのだ(はじめにことばありき)」といふことを想ひ起こすのです。


なぜ、言語造形は、そのやうな働きをするのでせう。


それは、アントロポゾフィーといふ精神の学から汲まれてゐる藝術であり、アントロポゾフィーは人と世の本質を汲み取らうとするからです。


東北地方の方々、仙台の方々、共に、ことばを大切にする文化、ことばに仕へゆく精神の文化を創り上げて参りませんか。どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。


アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志拝



ーーーーー


日時:
1月27日(木)
Aクラス:14時半〜16時  
Bクラス:16時半〜18時
(どちらのクラスも、お申込み先着10名様までで締め切らせていただきます)


場所: おひさまの丘宮城シュタイナー学園
  第一校舎(仙台市青葉区中山2-22-18)


参加費: 3,500円/1回 (4回連続参加の方は4回で12,000円です)


持ち物など: 動きやすい服装でお越しください。ご自身で声に出して読みたい作品をひとつご用意ください。


なお、コロナウイルス対策としてのマスク着用は、ご参加される方の全くの自由意志にお任せします。着けたい方は着け、着けたくない方はどうぞそのままでご参加下さい。


お問ひ合はせ、お申し込み
電話:022-725-5086
Eメール: info@ohisamanooka-steiner.or.jp
お名前、ご住所、お電話番号をお知らせください。




posted by koji at 17:17 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月11日

冬、考へを育む季節



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ひとつの考へは、人のこころにしつかりと宿れば、その人にとつてやがて成長して行くひとつの種になりえます。


種は、情報として本に書かれたままであつたり、インターネットの空間で行き交つてゐるだけでは、死んだものとして人々の間を忙しく交換・消費・廃棄されるだけです。


しかし、その考へといふ種をこころの内側にみづから宿すやうに受け入れ、お日様の光を当て、水分を補給してあげるやうに、何度も何度も繰り返し、その考へを、改めて、引き続き、考へ続けることによつて、その種は命を持ち始め、こころの内において芽を出し、葉を茂らせ、やがて、きつと、花咲かせ、稔りを得ます。


考へとは、一旦、死んでしまつてゐて、仮死状態にあるのですが、人が積極的にそれを自分自身の内側で育てますと、見事に息を吹き返し、その人に稔りを与へるのです。


そして考へは生き物として、その人の人生を前後左右に導いていきます。


ですので、どのやうな考へを胸の内に抱くのかが、とても大切なことなのです。それは、良き考へであれ、悪しき考へであれ、胸の内で生き物となつて、その人の生を導いて行くのですから。


それほどに、「考へ」といふものは、素晴らしいものでもあり、恐ろしいものでもあります。


その考へが、良きものか、悪しきものか、その判断はどうしてつけることができるのでせうか。


良き考へは、それを抱いたときに、こころが、胸の内が、広々と、明るく、暖かく、時に柔らかく、時に強く、開かれたやうな情をその人に与へませんか。


悪しき考へは、こころに固さと冷たさと狭さと暗さをもたらすでせう?


さう、情が、教へてくれますね。


情が教へてくれるためには、その情が健やかに育てられてゐなければならないでせう。


情を育てるのは、何でせう。


ひとつは、循環したものの言ひ方になつてしまひますが、よき考へを日々抱く練習をすること。それは、考へることの練習です。メディテーション、瞑想です。


まうひとつは、何か同じ行為をすることを繰り返すこと。それは、芸術的行為です。それは、意欲の練習、欲することの鍛錬です。


考へるの練習と、欲するの鍛錬とが、感じるの健やかな成長へと稔つてゆきます。メディテーションと芸術実践です。


かうして、人のこころの育みとは、考へること、感じること、欲すること、それら三つの働きにみづから働きかけることであり、とりわけ、冬の季節においては、考へることの練習を始めるのに、適してゐるのです。


年の初めには、良き考へを抱き、その考へを考へつづけることによつて、種から芽へ、目から葉へ、葉から花へ、とこころに大切なものを時間をかけて稔らせて行く。


その習慣がこころを精神へと導きます。


その精神が、その人を、ますます、その人にして行くでせう。


その精神の育ちが、手取り足取り人から教へられなくても、自分自身の足で自分自身の道を、その都度その都度あやまたず選び取れるやうになることでせう。


アントロポゾフィーハウス大阪「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos



※写真は、平櫛田中「平安老母」
 何を読んでをられるのか・・・。




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2022年01月10日

こころのこよみ(第41週)〜胸からほとばしる力〜



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こころから生み出す力、
 
それは胸の基からほとばしりでる。
 
人の生きる中で、神々の力を、
 
ふさはしい働きへと燃え上がらせるべく、
 
おのれみづからを形づくるべく、
 
人の愛において、人の仕事において。
 
 
 
 
Der Seele Schaffensmacht
Sie strebet aus dem Herzensgrunde
Im Menshenleben Götterkräfte
Zu rechtem Wirken zu entflammen,
Sich selber zu gestalten 
In Menschenliebe und im Menschenwerke.
  

 
 
人は、善きこと、素晴らしいことを、大いに考へることはできても、それを行為にまで移していくことには、難しさを感じるのではないだらうか。
 
 
考へることや思ひ描くこと。そして、実際に、すること。
 
 
この間には、人それぞれにそれぞれの距離がある。
 
 
 
 
「血のエーテル化」(1911年10月1日 バーゼル)と題された講演でシュタイナーが語つてゐることを要約して、今週の『こよみ』をメディテーションする上での助けにしてみる。
 
 
 
―――――――
  
 
人は、昼間、目覚めつつ考へてゐるとき、心臓からエーテル化した血が光となつてほとばしりでて、頭の松果体にまで昇つていき、輝く。
 
 
そして、人は、夜眠つてゐるあひだ、考へる力が眠り込み、逆に意志・意欲が目覚め、活発に働く。そのとき、大いなる世(マクロコスモス)から人の頭の松果体を通り、心臓に向かつて、「いかに生きるべきか」「いかに人として振舞ふべきか」といつた道徳的な力が、その人に朝起きたときに新しく生きる力を与へるべく、色彩豊かに流れ込んでくる。
 
 
それは、神々が、その人を励ますために夜毎贈つてくれてゐる力だ。
 
 
だから、人は夜眠らなければならない。
 
 
人が少しでも振る舞ひにおいて成長していくためには、眠りの時間に神々から助けをもらふ必要がある。
 
 
昼間、人において、「こころから生み出す力」、考へる力が、「胸の基」から、エーテル化した血が光となつてほとばしりでる。
 
 
その下から上へのエーテルの流れは、頭の松果体のところで、夜、上から下への神々の力と出会ひ、そこで光が色彩をもつて渦巻く。
 
 
その光の輝きは心臓あたりにまで拡がつていく。
 
 
それが、人といふミクロコスモスで毎日起こつてゐることがらだ。
 
 
そして、マクロコスモス、大いなる世からの視野には、キリスト・イエスがゴルゴタの丘で血を流したとき以来、そのキリストの血がエーテル化し、地球まるごとを中心から輝かせてゐるのが視える。
 
 
そのとき以来、ひとりひとりの人が、キリストのゴルゴタのことを親しく知るほどに、みづからの内なるエーテル化した血の流れが、キリストのエーテル化した血とひとつになつて、昼間、人を輝かせ、力づけてゐる。
 
 
そのキリスト化したエーテルの血と、マクロコスモスから夜毎やつてくる神々の力とが出会ふことで、人は、さらに昼間、愛において、仕事において、その神々の力をふさわしい働きへと燃え上がらせる。
 
 
考へ、思ひ描くこと。(胸から上つていくエーテル化した血の流れ)
 
 
そして、実際に、すること。(高い世から心臓に降りてくる力)
 
 
その間を、人みづからが埋めていく。
 
 
そのふたつを、人みづからが重ねていく。 
 
 
それが時代のテーマだ。
 
 
―――――――
 
 
 
 
 
シュタイナーによつて語られたこれらの精神科学からのことばを、何度も繰り返して自分の考へで辿つてみる。鵜呑みにするのではなく、折に触れて、何度も考へてみる。
 
 
キリストのゴルゴタのことを親しく知るといふことは、自分自身が生まれ育つた文化風土において、どういふ意味を持つのか、考へてみる。
 
 
キリストのゴルゴダのことの意味は、自分以外の人や物事を念ふて死ぬことができる、といふことではないだらうか。
 
 
むかしの日本に、さういふ文化が根付いてゐたこと。大いなる理想を考へ、そしてその通りに実行してゐた人が数多ゐたこと。
 
 
わたしたちの先祖の方々が当り前のやうに歩いてゐたそのやうな道を、わたしたち現代人が想ひ起こすとき、そのやうな道があつたことを、ありありと念ふとき、本当に自分のこころが、輝き、力づけられるかどうか、感じつつ、確かめていく。
 
 
そして、そのやうに輝き、力づけられた自分のこころと、神々の力が、交はつてゐること。
 
 
その交はりがあることによつて、自分の仕事が、充実して、まるで自分以上の力、神々の力が燃え上がるやうな瞬間を迎へることができること。
 
 
そのことを感じつつ、確かめていく。
 
 
 
こころから生み出す力、
それは胸の基からほとばしりでる。
人の生きる中で、神々の力を、
ふさはしい働きへと燃え上がらせるべく、
おのれみづからを形づくるべく、
人の愛において、人の仕事において。 
 



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2022年01月09日

からだといふ自然



冬本番になつたとはいへ、自然の美しさに触れることもなく、大阪の家に籠もるやうに生きてゐました。自然といへば、窓から見上げる青い空と流れる雲ぐらゐでせうか。

しかし、このクリスマスからお正月を超えて、ひとり、部屋にゐるわたしは、どこか透き通るやうな考へに恵まれるやうな日々を過ごしてゐるやうに思へたのです。本当にありがたいことです。

どこにゐようとも、いつであらうとも、自然はわたしを包み込み、貫いてくれてゐる。そして、最も豊かで密やかな自然が一番近くにある。それが、自分のからだです。このからだを、こころをこめて用ゐれば用ゐるほど、その働きは豊かなものをこころにもたらしてくれる。

こころをこめて目を用ゐれば、神からいただいた目といふ自然がこころに密やかに「徳」といふ精神の質をもたらしてくれはしないか。

こころをこめて耳を用ゐれば、神からいただいた耳といふ自然がこころに密やかに「聖」といふ精神の質をもたらしてはくれないか。

「徳」は目の働きに順(したが)ひ、「聖」は耳の働きに順ふ。

漢字といふ文字が人に教へようとしてくれてゐることにも、耳を澄ますことができます。

目といふ自然も、耳といふ自然も、唯物的感覚に裏打ちされた情報を仕入れるためだけに使はれるのではなく、そのやうにこころをこめて用ゐられることで、人のこころに、深く、豊かで、澄んだ情を育むことができるやうです。

からだといふ自然は、偉いものです。

そのやうに精神からの作法で、自然と共にあり、自然とつきあひ、自然を用ゐることで、高い感官(こころと精神の感官)を養ふことができるのだなあ・・・。

そんな思ひでゐます。



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2022年01月06日

2022年のクリスマスに向けて【青森・三沢】イエス生誕劇クラス 



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2022年12月24日(土)の青森県三沢市での舞台を目指して、イエス・キリストの生誕を祝う劇(上演時間2時間強)を創ってゆくクラスのお知らせです。

一年の終わりに、幼な子や小学生の子どもたちへのこころからのプレゼントとして、「聖き生誕劇」を共に創り上げていきませんか。

ルドルフ・シュタイナーの導きに沿って、イエス・キリストについての学び(『ヨハネ福音書講義』)と共に、言語造形を通して、劇作りに勤しんで行きます。

ことばの芸術である演劇は、芸術の中でも、とりわけ、〈わたし〉の力を育みます。その役をより美しくなりたたせるためには、ことばを〈わたし〉から発することができるかどうかに懸かっているのです。

そして、イエス・キリストとは、すべての人の内にある〈わたし〉に火を灯す、精神(靈・ひ)そのものです。

おおよそ10か月にわたる演劇への取り組み、このイエスの生誕劇作りを通して、わたしたちは、おのおの〈わたし〉の育みに取り組むことになります。

さあ、ともに、聖なる劇を、厳かに、かつ、喜びをもって、創り上げて行きましょう!

計14回のお稽古と学びを経て、本番に挑みます。

そして、わたしたちは、ここ青森を、アントロポゾフィーからの舞台芸術創造の新しい発信地としていくことを、志しています。



講師:諏訪耕志(アントロポゾフィーハウス)



一日の流れ:
9時半 アントロポゾフィーからのキリストの学び(シェアリングと『ヨハネ福音書講義』から)
11時 基本的な言語造形のお稽古
12時 昼食(お弁当をお持ちください)
13時 劇作り
15時 終わり

日時:毎月第四土曜日 9時半〜15時
(11月、12月のみ、イレギュラーです)

本番:12月24日(土)於・三沢市国際交流教育センター・ホール(予定)

クラス参加費:
全14回一括支払い 60,000円
分割支払い(7回分×2) 35,000円×2
中・高生は親御さんと合わせておひとり分です。

本番の舞台公演は、お客様からお代をいただき、その収益は、経費を差し引いた後、スタッフ・俳優ひとりひとりに還元します。

告知のための経費や本番会場費は、当日の収益から経費として賄います。

本番の衣装は、マリアやヨゼフ、そして星の歌い手の各役は用意しますが、羊飼いや宿屋の役のための衣装は俳優各自の手持ちの服を用います。

お問い合わせ・お申込み:
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/





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2022年01月05日

新春初笑ひ 言語造形発表会 アントロポゾフィーハウス和歌山







2022年1月5日、和歌山県岩出市にて行ひました言語造形発表会の模様です。


新春の初笑ひとしまして、西京子さんによるイタリアの昔話「ギアッコ少年と豆」から一部を。


「初笑ひ」。それは、我が国では大変、淵源の古いものです。そもそもは、天照大御神が天の岩屋戸からお目見えになられた時、八百万の神々は皆、面(おも)が白く、明るく輝いた、とあります。それこそ、「初笑ひ」です。すべての穢れを払ひ、こころが精神(靈・ひ)に満たされて初めて、神も人も世も皆、顔を明るく輝かせることができるのです。


年の初めのわたしたちの発表会も、イタリアの物語でありながら、そのやうな笑ひから始めることができました。


そして、平尾由美子さんによる聖なる日本の昔話「笠地蔵」を。


それは、厳粛で、かつ、こころの隅々まで暖まるやうな歳神さまの訪れを描いた物語であり、それは、やはり、わたしたちのこころの頂点をなすひとときを描いてゐます。


アントロポゾフィーハウス和歌山では、毎月一回、第二月曜日の午前10時から、和歌山県岩出市にて言語造形クラスを続けてゐます。


ご関心のおありになる方、どうぞ、お気軽にお問ひ合はせ下さい。
アントロポゾフィーハウス ことばの家 諏訪
https://kotobanoie.net/access/

2022年01月03日

永遠(とこしへ)の文学



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天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、

高天原(たかまのはら)に成りませる神の名(みな)は、

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。

次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、

次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。

この三柱(みばしら)の神はみな、
獨神(ひとりがみ)成りまして、
身(みみ)を隠したまひき。

次に國稚(くにわか)く、
浮き脂(あぶら)の如くして、
海月(くらげ)なす漂よへる時、
葦牙(あしかび)のごと
萌えあがる物によりて成りませる神の名(みな)は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)、

次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。

この二柱(ふたばしら)の神もまた、
獨神(ひとりがみ)成りまして、
身(みみ)を隠したまひき。

上(かみ)の件(くだり)、
五柱(いつばしら)の神は、
別(こと)天(あま)つ神。


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本居宣長による訓み下しで『古事記(ふることぶみ)』の冒頭です。

古き人(神)が唱へたままの「古語(ふること)」を、その息遣ひのままに、唱へ唱へて、とこしへに、この神語りを語り継いでゆく。

その声から声への継承をもつて、この国を、地上の国でありつつ、とこしへに精神の国たらしめん。

それが、第四十代・天武天皇の悲願でありました。

古事記冒頭の「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時」から、この「別(こと)天(あま)つ神」まで、まさに、人のことばではなく、神のことばだと感じる感覚。

『古事記(ふることぶみ)』のこれらのことばは、世(宇宙)のはじまりを描きつつ、いま、ここにある、〈わたし〉のありやうを描いてゐるやうに感じられてなりません。

〈わたし〉においては、つねに、いまが、「天地の初発」です。そして、次々に神々が生まれてをられます。

その精神の生命力。賦活力。創造力。

日本の文学の大元であり、とこしへを希ふ、この神語りを、令和のわたしたちが声に響かせる。

この国をこの国たらしめつづけるべく、この神語りを、これからの日本の子どもたちにも、伝へてゆきたいと念ふのです。




posted by koji at 22:22 | 大阪 | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月01日

最高の聴き手たち 「子守泥棒」






皆さま、ひととせの初めをめでたくお迎へになられてをられることと思ひます。明けまして、おめでたうございます。わたしとご縁をいただいた方すべて、そして世の人すべてに、おめでたうございます、ありがたうございます、と言ひたい、この「めでたさ」と「ありがたさ」をもつて、このひととせを生きて行きたいと思ひます。


昨年12月の冬のはじめの一日、5歳から6歳にわたる幼な子たちと昔話のひとときを持ちました。


最高のお話の聴き手、それは幼な子たちです。幼な子たちの前でお話を語らせてもらふ時、わたしはお話をどう語つたらいいのかを最も学ばせてもらへるやうな気がします。それは、彼らが頭で、耳で、お話を聞いてゐるのではなく、からだまるごと、こころまるごと、精神まるごとで聴いてくれるからなのです。そんな聴き手の前で、話し手であるわたしは、最も学ぶことができるのです。


「子守泥棒」といふお話です。(このお話は遠藤登志子さんといふ福島の語り部であつた方のお話集にあるものです。師の鈴木一博さんから教へてもらつたのです)


このお話は、0歳児でも夢中になつて聴いてくれます。


なぜなら、このお話の中で、身振り手振りを通して発されることばの響きに、見事なまでに芸術的な言語造形があるからです。


幼い子どもたちこそ、そのやうな、まことの「ことば」を求めてゐます。


さうした、意欲と情と考へに満ちたことばのかたち・すがた・動きこそが、幼な子たちのからだとこころを育んでいくのですから。


だからこそ、ルードルフ・シュタイナーは、教員養成のため連続講座において、毎日、ことばの練習「言語造形」を学び手たちに課しました。


それは、教師自身が、ことばの感官(言語感覚)を育むことによつて、そのやうな知・情・意に満ちたことばを話し、語る人になりゆくためにです。


わたし自身、まだまだ、これからも、練習をし続け、語り手として、聴き手として、成長し続けて行きたい、さう念ひます。


そして、かうして、子どもたちの前で、ひと様の前で、聴き手の前で、語らせてもらふことこそが、語り手にとつてなくてはならないことですので、どうぞ、皆さん、お声をお掛けください。どこにでも飛んで行きます。


皆さん、今年も、なにとぞ、どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。




2021年12月31日

「責任」といふことばのかけがへのなさ



とても個人的なことですが、思へば、2019年からこの2021年の終はりにいたるまで、いくつもの「なぜ・・・!?」といふことにわたしは襲ひかかられて来ました。襲ひかかられてゐる最中は、「なぜ、俺が、こんな目に会はねばならないのか」と歯ぎしりするやうな苦しみと怒りに懊悩しました。

でも、いま、それらすべての不合理が、わたしにとつて、なくてはならないものであつたことを知るのです。すべては、わたしのこころの奥底にあるものが引き起こして来たことであり、すべてがわたしの責任に負ふてゐるのです。

この世を生きるといふことは、この不合理を抱きしめることだといふことを、わたしはいま実地に学ばせてもらつてゐる、そんな思ひでゐます。


このやうな生き方は、多くの、無数の、勇気ある人がして来たことだと思ひます。すべてが自分自身の責任なのだといふ考へ方、生き方です。


わたしには、まだまだ、そのやうな胆力はついてゐないのですが、それでも、生きるといふことの深みに、少しづつ、少しづつ、触れさせてもらへてゐる、そんな感触があり、わたしは、この感触を愛さうとしてゐます。

posted by koji at 11:12 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天の使ひ



朝、家を出て、駅まで歩いて行かうとすると、道でひとりの女の子が向かうから歩いて来ました。この近くの私立の小中高一貫学校の制服を着てゐます。とても背が小さいので、おそらく小学一年生だと思ひました。本当に珍しいことに、その子はマスクをせずに歩いてゐます。わたしもマスクをせずに歩いてゐます。歩いてゐて、互ひの距離が狭まつて来るにつれて、その子はわたしの顔をまぢまぢと観ます。わたしもその子の顔を観ました。とても白い肌をした美しい大きな瞳をした子でした。わたしは思はず微笑み、その子もうなづきながら微笑んでゐます。すれ違ふときに、わたしはゆつくりと「おはようございます」と声にしました。すると、その子は立ち止まつて「おはようございます」ととても丁寧に声にしてくれました。さうして、すれ違つて、互ひに、それぞれの方向へ歩いて行きました。


わたしは、天の使ひが女の子の姿をとつて、わたしの前に現れて下さつたと思はずにゐられませんでした。昨晩、眠る前から、天の使ひの方の助力を願つてゐたのです☺️。

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〜お日様に照らされて〜「笠地蔵」






この動画を何度も撮り直してゐるうちに、夕方になり、空も雲に覆はれ、自然光のみのアトリエの中は薄暗くなつてゐました。動画を撮るのには、もう限界の明るさだな、これが最後だと思ひながら語つてゐました。お爺さんが地蔵様に笠をおかぶせして、お婆さんの待つ家に帰つて来たところにさしかかつた時、にはかに雲間からお日様がお出ましになりました。あとで動画を観直してみますと、白い服がいつさう白く輝き始めました。


偶然なのですが、このやうな偶然がわたしにもよく起こります。それを偶然と言ふのかどうかは分からないのですが・・・。


いまはわたしたちは新暦で生きてゐますが、それでも、この大晦日の日を、このお話と共に静かに送つていただくことができればと思ひ、昔話「笠地蔵」をお送りします。

2021年12月30日

聖なる日々 胸から羽ばたく鳩



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今日、今年最後のオンラインクラスを終へました。本当に、ご参加くださつた皆さん、こころからお礼を申し上げます。ありがたうございました。


そこで扱つてゐる内容を、常に、ことばをもつて表してきたのですが、あまりにも素晴らしく視覚化されたものを見つけたものですから、ここに貼らせてもらひます。


常にルーツィファー化されがちな頭と、アーリマン化されがちな手足を含む下半身の間に挟まれた、真ん中、胸・心臓こそが、キリストが息づくところであります。そこでは、暖かで光に満ちた深い情が育まれ、さうしていくほどに、頭からと下半身からのふたつの侵略から守られ、<わたし>といふ真ん中が、透明に光り輝く鳩として健やかに世に羽ばたかうとします。とりわけ、このクリスマスの時期に!





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夜更けの慰め



夜更けになると、からだもこころも疲れてゐるので、もう根を詰めた読書はできないが、美しい日本語を読むことは、本当にこころを慰め、暖め、潤してくれる。萬葉集、保田與重郎の『日本の文学史』、石村利勝氏の詩集『ソナタ/ソナチネ』の冬の詩をひとつ、またひとつと、味はふ。日本のことばといふものがもたらす美しさと悲しさ。それは、物の世を離れ、こころと精神の世への憧れと感覚の啓けを促すことばの力である。この国の強みのひとつは、ことばを美しく、確かに用ゐることのできる人がゐることだと思ふ。

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2021年12月28日

することを愛すること






人が自己教育に勤しむとき、目標を持つて勤しむことから、きつと、始めることと思ひます。


しかし、人は、勤しみの道を歩き続けて行くうちに、目標を持たなくても勤しむことのできるありやうへとみづからを育て上げて行くことができるのですね。


何かお目当てを射当てることにではなくとも、人は、みづからが振る舞ふこと自体、勤しむこと自体に、愛を持つことができ、満ち足りることができる、そんな自由な存在です。

2021年12月25日

元保育士の方のことば



下にご紹介する文章は、この秋、二回の枠珍接種を受けられた保育士をされてゐた女性の方のことばです。わたしの言語造形のクラスにずつとご参加されてゐた方で、接種を受けられる前は、ほとんど病気などもなされず、ごく健康な日常を送つてをられました。


ーーーーーー
「元保育士の方のことば」


もともと打つ気など全然無かったが、職場の同調圧力に負けて業務命令としてうってしまいました。園で体調を崩して、早退・休職してから、傷病手当の受給を条件に自己退職に追い込まれました。

私の住む市は保育士は職域接種の対象ではないです。しかし勤務先の園のある市は、保育士も職域接種の対象になり、予約の取れない他市から通う保育士には、キャンセルがでたら接種に行くようにと市から再三連絡がありました。

園長は枠珍推進派で、自分の娘に頸がん枠珍の接種もさせていた人で、「正職は『子ども達のために』接種して」と再三同調圧力をかけられました。

保育士は『子どものために』と言われたら命もかけられます!

1回目の接種の時は子ども達が一緒にいる前で『キャンセルが出たから子ども達のために接種に行って』と言われて拒否出来ず、私はそれを『業務命令』と受け止めて行きました。

左親指が腫れて腕に痺れが出たのですが高熱が出なかったので、大したことないと思ってしまい、2回目も市役所から連絡を貰い接種に行きました。

接種2回目後から体調不良となり、紹介された病院から処方された薬が合わず、体調が悪化していくうちに、理容院のヘアスプレーの匂いで呼吸困難などの症状が出ました。

現在は歩行障害があり杖歩行となっています。平衡機能検査では100点中1点という結果で、浮遊性のめまいで常に船酔いの状態です。脳の平衡機能を司る部位をやられたそうで、1点というのは、私が平衡感覚が命と言えるオイリュトミーの稽古を積み、身体が記憶していて無意識のうちにバランスをとっていたので取れた1点だと先生が仰っていました。

そこでセカンドオピニオンで化学物質過敏症の専門クリニックを受診して、重度の化学物質過敏症と、それに伴う神経機能障害と診断されました。事実、感覚過敏も酷く特に五感に常に攻撃されている感覚に襲われております。化学物質過敏症は、誰でも発症する可能性があります。

私の無念をどうか世の人に伝えて、世界が正しい判断をすることを祈ります。


ーーーーーー


そして、接種後、この方は言語造形をお休みされてゐたのですが、わたしにメッセージを下さいました。(ご本人の許可を得て載せさせていただいてゐます)


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こんばんは。

先日、化学物質過敏症とそれに伴う神経機能障害で確定診断がおりました。(念のため受診した精神科でも精神疾患ではなく、例のモノにより脳が誤認し誤作動がおきていると診断されました)

神経機能障害により、歩行障害がでて杖歩行となっていましたが、坂を転げ落ちるように日々悪化の一途をたどり、杖なしでは立っていることも難しくなってきました。(座位はとれています)

更に歯が1本知覚過敏をおこしたら、あっというまに全ての歯に痛みが拡がり、今は離乳食の中期レベルのものしか食べられない状態です。

今の苦しみは喩えるなら、生きながら煉獄に投げ込まれたような感覚です。

しかし私には信仰という盾と、言語造形という芸術という槍がまだ残されている事を信じて生きていく所存でございます。

もう、以前のような声量もなく、記憶、思考もとびだしていて、なかなか稽古も進みません。

日々色々なことが出来なくなって箸も上手く使えなくなり、まるで赤ちゃんに戻っていくような感覚です。

化学物質過敏症の先輩患者さんに聞いた話では、寝たきりになる方もいるそうです。

私も、もしかすると先々そうなっていくかもしれませんが、もし寝たきりになり何も出来なくなったとしても、呼吸し声が出せて話しが出来るかぎり、天に向かって物語を語り続けていきたいと思います。

今の私にとって、それが生きる証です。

26日の稽古、どこまで出来るかわかりません。もう、座ってしか語ることが出来なくなりました。それでも参加させていただけますでしょうか?

もう保育士に戻ることは出来ませんが、もし少しでも回復したならば、いつか子どもたちの前で物語を語りたい。その夢だけが、今の私の支えになっております。

日本語には『万が一』という言葉が示すように、その万が一が起きてしまったのです。

私は、保育者、教育者、そして人智学徒として、これを世に示していくことが、私の使命と感じております。


ーーーーーーー


この方は、40代です。接種前は、本当に元気であられました。

そして、いま、ここに書かれてゐるありやうへと「坂を転げ落ちるやうに」なられたのです。

わたしが、この方だつたら、果たして、かうして、ことばにする気力を持つことができるだらうか、さう思ひます。

本当に、物凄い営みです。ことばにするといふことは。こころのまるごとが懸かつてゐます。いのちが懸かつてゐます。

調べると、すぐに出て来ますが、このやうな苦しみを味はつてをられる方がたくさんゐらつしゃり、彼らの多くも、なんとか、からだを引きずるやうにして、ことばを綴り、ツイッター上に思ひを吐露されてゐます。

つい先日、ほかの言語造形の生徒さんの親しいご友人のご子息、19歳の青年が接種後、心筋梗塞で急に亡くなられました。その因果関係も伏せられてゐます。

「デマ」などではないと感じてゐます。

そして、この苦しみの中から皆さん同じく漏らされてゐることばには、病院もマスコミも政府もこの苦しみに至る因果関係をほとんど認めようとせず、それどころか、隠蔽しようとしてゐることへの困惑であり、そしてそれ以上の何かです。

なぜ、多くの被害実態を隠蔽しつつ、接種をこれほどまでに勧めるのか。

そのことについて、「何かある」と考へられない人はゐないはずです。

ともかくも、どうか、苦しんでゐる方の痛みや苦しみが少しでも治まりゆき、静かな夜を過ごす時が増えますやうに。




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2021年12月24日

クリスマスを前に おひさまの丘宮城シュタイナー学園にて



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おひさまの丘 宮城シュタイナー学園にて、一昨日、昨日と二日間にわたり、皆さんと息を合はせ、声の響きを奏で、ことばの調べと姿とに沿ひながら、ことばの芸術の時、祝祭の時を持つことができました。『古事記(ふることぶみ)』冒頭部分「天地の初発」の言語造形を通して腹の底から声を出していただいたのです。ひととせの終はりに、日本の古典、神の物語、世のはじまりを生きる時を与へられ、そのやうな、いまを生きてゐることをみんなで寿ぎ合へたことは、わたしたちに降り注いで来た恩寵以外の何物でもありませんでした。ことばの動き、ことばの生命、ことばの精神を生きる。日本の古典的文学作品はその喜びを教へてくれます。ただ、わたしたちが現代人特有の知性主義から抜け出る必要があるやうです。ことばの前に謙りくだり、その動きに沿ふこと。身をもつて、汗を流しながら、ことばに仕へること。わたしたちは、そんな時を紡ぎあげました。


そのやうな芸術実践と、こころを開いてのアントロポゾフィーの学びから始まるメディテーション。


それが、アントロポゾフィーハウスのなしてゆきたいことなのです。


その祝祭の二日間の後、いま、わたしは、わたしにとつての「聖なる家」シュタイナー学園の六年生が学んでゐる校舎で、クリスマスの時を過ごしてゐます。小高い山の麓にある家です。とてもとても静かなクリスマスです。


二日間にわたりお世話になりましたおひさまの丘 宮城シュタイナー学園の皆さん、足をお運びいただいた皆さん、そして、このやうな時を与へてくれた、なにか大きな大きなものに、こころより感謝いたします。ほんたうにありがたうございました。皆さんにとられましても、いと深きクリスマスの時が降り注いで来ますやうに・・・。


写真を撮つて下さつた和明さん、秋山さん、鈴木さん、どうもありがたうございました。


さて、今日の晩は、どんなことを想ひ描いて、寝床に入りますか。聖なる十三夜が始まります。


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2021年12月19日

12/18 ありがたうございました😇アントロポゾフィーハウス【青森三沢】



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クリスマスの聖き夜まで一週間。一面、真っ白な雪にすでに厚く覆はれた今日、青森の三沢にてオイリュトミーと言語造形、その後、シュタイナーの講演録からクリスマスについてのお話しをさせていただきました。それは、ささやかだけれども、聖き夜を寿ぐ祝祭の集ひでありました。


わたしたちは、この冬の日々、地の奥深くに鎮まられようとしてゐる地球の精神「キリスト」と静かさの中で繋がることの意味を分かち合ひました。


幼な子のやうな無垢なこころ・・・。


その天地(あめつち)の初発(はじめ)の人のこころを想ひながら、オイリュトミーと言語造形といふ芸術において、少しづつですが、一歩でも前へ、深みへとわたしたちは歩いてゐます。


アントロポゾフィーとオイリュトミー、言語造形といふ芸術にご関心のおありになる方、ぜひ、お気軽にお越しください。大歓迎いたします。


講師: 
諏訪耕志(言語造形&アントロポゾフィー講義)https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji


越中奉(オイリュトミー)


2022年のアントロポゾフィーハウス【青森三沢】は、以下の通りです。


2022年
2月1日(火)9時半〜13時
2月22日(火)9時半〜13時
3月22日(火)9時半〜13時

ご参加費:3回連続ご参加 9000円
     単発ご参加 4000円

場所: 青森県三沢市下久保1-4-6
    自由学舎「中川塾」

お問ひ合はせ・お申し込み:
佐々木 千晶さん aibaru0809@gmail.com



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2021年12月13日

アントロポゾフィーハウス第一回公演「山月記」へのお誘ひ







2022年1月に仙台、2月に青森三沢にて行ひます、アントロポゾフィーハウス第一回公演、言語造形とオイリュトミー、そしてピアノ演奏による『山月記(中島敦作)』のご案内です。


ーーーーー


1月30日(日)
おひさまの丘 宮城シュタイナー学園第一校舎にて
仙台市青葉区中山2-22-18


2月26日(土)
「自由学舎 中川塾」にて
青森県三沢市下久保1丁目4−6


いずれも、開場13時半 開演14時 終演15時半予定


また、どちらの会場も(特に青森三沢)お席の数が限られてゐます。お早目のご予約・お振込みをお願ひいたします。


参加費 ご予約 大人3000円  12歳〜20歳 1000円
    当日  大人3500円  12歳〜20歳 1500円


お問ひ合はせ・お申込み 
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/

※お振込みを確認させていただきました時点で、お申込み完了とさせていただきます。


参加費 ご予約 大人3000円  12歳〜20歳 1000円
    当日  大人3500円  12歳〜20歳 1500円


お問ひ合はせ・お申込み 
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


ーーーーー


オイリュトミー  越中奉(えっちゅうたすく)
言語造形     諏訪耕志(すわこうじ)
音楽・ピアノ   山本恵美(やまもとえみ)


演目   歌舞伎十八番から「外郎売」
     中島敦作「山月記」



●『山月記』について 

「この気持は誰にも分からない。誰にも分からない。」

夢や大志を抱く青年が、ひとりの男となる。
その長いプロセスには、
己れのなかに潜む魔と対峙せずにはおれません。
狂気とは、理性を忘れた人が陥るのではありません。
理性しか信じられなくなってしまった人に襲いかかってくるものです。
男は、一歩間違えば、きっと、化け物になります。
これは、詩人になれず、虎になってしまった男の物語りです。


●アントロポゾフィーハウスについて
わたしたちは、社会の混迷が極まつてしまつた2021年より、いまこそ、ルードルフ・シュタイナーの100年前の精神科学「アントロポゾフィー」がここ日本といふ国に必要だと痛感し、「アントロポゾフィーハウス」として、新しく仕事を始めました。
その最初の舞台が、このたびのオイリュトミーと言語造形とピアノによる舞台公演『山月記』です。
わたしたちの心意気と精神をもつて、舞台芸術を活き活きと甦らせて行きたい。さう希つてゐます。
皆さまのお越しをお待ちしてをります。



※この動画を作成して下さつたのは、株式会社秋田精巧堂の社長 二方 淳介さんです。彼の創るコマーシャル動画、ぜひご覧ください。
you tube channnel「フタカタジュンスケ」https://www.youtube.com/user/jfk11078722/videos


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年の終はりと始まりの静寂・・・昔話「笠地蔵」






「笠地蔵」は日本の昔話の中でも、本当のまごころと神秘を伝へる屈指の国語芸術だと思はざるをえません。


町に出て笠が売れないといふこと、その生きることの苦しみを、お話を聴いてゐる子どもたちにどれほど予感させるか。


そして、売れなかつた笠をお地蔵様にかぶせて家に帰ってきた爺様を、「それはよいことをしなさつたなあ」と言つて迎へる婆様。


きつと、日本人が何百年にも何千年にも渡つて、「人はこんなにも美しいこころを持つてゐる」と静かに感じ続けてきたお話です。


一年の終はりに捧げられる神仏への思ひ。 


一年の初めに甦る太陽の神からの恵み。 


そんなお話が終はつた時の静寂の深さ。


年の終はりと始まりに、いまもなくてはならない、幼な子たちとのかけがへのない時間です。


静かな夜更けに、こころを鎮めて聴いていただければ・・・。



「アントロポゾフィーハウス大阪 ことばの家」
チャンネル登録、よろしければ、どうぞお願ひいたします。
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/




2021年12月12日

12/22(水)〜23(木)【仙台】『古事記』とアントロポゾフィー講座へのご案内






聖なる夜、クリスマスの夜が近づく頃、「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」にて、二日連続講座『言語造形「古事記」とアントロポゾフィー講座』を行ひます。


世のはじまり、宇宙のはじまりを語る「古事記」の世界。神々の名が連ねられ、世の生成が繰りなされてゆくその物語を、遥か古代に語られてゐたことばそのもので、わたしたちも語つてみませう。


からだまるごと、こころまるごとを用ゐて、日本の精神を声に響かせる。それは、言語造形といふことばの芸術をもつて、全身の働きをもつて、表現されます。


二日間に渡つて、「古事記」といふ我が国のバイブルを生きてみませんか。


そして、一日目、12/22(水)の午後は、アントロポゾフィー講座『芸術実践とメディテーション』と題しまして、自己教育におけるふたつの道をシュタイナー教育の観点、アントロポゾフィーの観点から、皆さんと分かち合ひたいと思ひます。


ことばを大切にする文化、ことばに仕へゆく精神の文化をルドルフ・シュタイナーの精神を助けにしながら、創り上げてゆく、そのひとつのきつかけになることをこころより望んでゐます。


年の暮れの慌ただしい時ではありますが、「古事記」の精神、アントロポゾフィーの精神と共に、こころとからだまるごとを使つて、祝祭の時、聖なる時を共に生きませんか。


お待ちしてをります。


アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志拝



ーーーーー


日時:

12月22日(水)
10時〜12時 言語造形「古事記」
13時〜14時半 アントロポゾフィー講座「芸術実践とメディテーション」

12月23日(木)
14時半〜16時 言語造形Aクラス「古事記」  
16時半〜18時 言語造形Bクラス「古事記」


場所: おひさまの丘宮城シュタイナー学園
  第一校舎(仙台市青葉区中山2-22-18)


参加費:
二日連続参加 9000円
一日目のみ参加 6000円
二日目のみ参加 3500円


持ち物など: 動きやすい服装でお越しください。


なお、コロナウイルス対策としてのマスク着用は、ご参加される方の全くの自由意志にお任せします。着けたい方は着け、着けたくない方はどうぞそのままでご参加下さい。


お問ひ合はせ、お申し込み
電話:022-725-5086
Eメール: info@ohisamanooka-steiner.or.jp
お名前、ご住所、お電話番号をお知らせください。




2021年12月11日

言語造形による文学批評






文学作品は、目に見るだけでなく、声にして響かせてみると、人に新しい感覚を目覚めさせてくれます。


さらに、よりふさはしい表現を求めて、何度も繰り返して声に出して行くと、思つてもみなかつた表情がことばから浮かび上つて来もします。


さらに、さらに、年月をかけて、そのやうにからだまるごとを用ゐてことばを声に響かせて行くうちに、その作品が全く面貌を新たに生まれ変はるやうに、いや、真意を明らかにしてくれるかのごとく、秘めてゐた秘密を打ち明け始めます。


言語造形といふ芸術行為は、文学作品に秘められてゐる秘密への道を歩いて行くための批評行為でもあると、わたしは実感してゐるのです。


批評とは、敬ふべきものを敬ひ、愛すべきものを愛するための、芸術実践です。

2021年12月10日

幼な子たちとの至福の時間



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また、昨日も、幼な子たちとの至福の時間。


そこに、お話があれば、昔話があれば、深く闊達な息遣ひと身振りがあれば、幼な子たちから溢れ出すシンパシーに芸術的に応へることができるのです。


ことばをことばたらしめる、深くて活き活きとした息遣ひ。そこから生まれる身振り。そこから響くことば。


それは、幼な子たちの意欲を促します。


アントロポゾフィーから生まれることばの芸術「言語造形」が、いま、必要だと思ふのです。

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2021年12月09日

冬の夜 本と語らふ



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冬の夜は、本と語り合ふ時間です。本と対話するのです。


わたしは、本を読むとき、できるならば、その本と語り合ひたいなあと思ひながら読んでゐます。


本とは、ひとりの人が血と汗と涙をもつて書き上げたものであると思ふのです。


ひとりの「人そのもの」が、そこに鎮まつてゐる。


だから、そんなひとりの人と語り合ふとき、わたしはその人のことを信じたい。


はじめから疑ひつつ、半身に構へて、その人に向かひ合ひたくない。


さう、本を読むときは、著者とその著作に全信頼をもつてその本に向かひ合ふのです。


なぜなら、ひとつのことを疑ひ出すと、次から次へと疑ひにこころが占領されて、しまひには、その本との対話など全く成り立たなくなるからです。


こちらのこころのすべてをもつて、一冊の本を読む。


人を尊び、敬はなければ、対話は成り立ちません。


本の著者を尊ばなければ、本との親密な対話は生まれません。


しかも、一度では埒が明かないので、何度も何度も語らふがごとく、一冊の本を繰り返し読み重ねます。


さうしてこそ、その本は、その人は、己れの秘密を打ち明け始めるのです。


また、皆が読んでゐる本だから、その本がベストセラーだから、その本を読むのではありません。


わたしは、こころから会ひたい人と会ふやうに、こころの奥底から読みたいと思ふ一冊の本を読みたい。


そのやうなこころの吟味に適ひ、繰り返される読書の喜びに応へてくれるのは、よほどの良書です。


時の試練を越えて生き残つた「古典」。


そして、そのやうな古典は、古(いにしへ)と今を貫いてゐて、現在進行形の問ひを読む人に突き付けてきます。


永遠(とこしへ)です。


わたしが、ここ数年、変はらず語らひ続けさせてもらつてゐるのは、『古事記(ふることぶみ)』と『萬葉集』と保田與重郎全集全四十巻、そして、ルードルフ・シュタイナーの全集から限られた数の翻訳されたものです。


『古事記』は本居宣長の『古事記伝(ふることぶみのつたへ)』で、『萬葉集』は鹿持雅澄の『萬葉集古義』で、ルードルフ・シュタイナーは鈴木一博氏の翻訳で、読んでゐます。


ことばといふもの、日本語といふものに、すべてを賭けた先人の方々との対話。読書の豊かさ。ひとりとひとりであることの真剣勝負の喜び。


残りの人生のすべてをかけても、語らひは決して尽きないのです。




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2021年12月08日

アントロポゾフィーハウス第一回公演「山月記」へのお誘ひ







2022年1月に仙台、2月に青森三沢にて行ひます、アントロポゾフィーハウス第一回公演、言語造形とオイリュトミー、そしてピアノ演奏による『山月記(中島敦作)』のご案内です。


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1月30日(日)
おひさまの丘 宮城シュタイナー学園第一校舎にて
仙台市青葉区中山2-22-18


2月26日(土)
「自由学舎 中川塾」にて
青森県三沢市下久保1丁目4−6


いずれも、開場13時半 開演14時 終演15時半予定


また、どちらの会場も(特に青森三沢)お席の数が限られてゐます。お早目のご予約・お振込みをお願ひいたします。


参加費 ご予約 大人3000円  12歳〜20歳 1000円
    当日  大人3500円  12歳〜20歳 1500円


お問ひ合はせ・お申込み 
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/

※お振込みを確認させていただきました時点で、お申込み完了とさせていただきます。


参加費 ご予約 大人3000円  12歳〜20歳 1000円
    当日  大人3500円  12歳〜20歳 1500円


お問ひ合はせ・お申込み 
アントロポゾフィーハウス ことばの家
https://kotobanoie.net/access/


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オイリュトミー  越中奉(えっちゅうたすく)
言語造形     諏訪耕志(すわこうじ)
音楽・ピアノ   山本恵美(やまもとえみ)


演目   歌舞伎十八番から「外郎売」
     中島敦作「山月記」



●『山月記』について 

「この気持は誰にも分からない。誰にも分からない。」

夢や大志を抱く青年が、ひとりの男となる。
その長いプロセスには、
己れのなかに潜む魔と対峙せずにはおれません。
狂気とは、理性を忘れた人が陥るのではありません。
理性しか信じられなくなってしまった人に襲いかかってくるものです。
男は、一歩間違えば、きっと、化け物になります。
これは、詩人になれず、虎になってしまった男の物語りです。


●アントロポゾフィーハウスについて
わたしたちは、社会の混迷が極まつてしまつた2021年より、いまこそ、ルードルフ・シュタイナーの100年前の精神科学「アントロポゾフィー」がここ日本といふ国に必要だと痛感し、「アントロポゾフィーハウス」として、新しく仕事を始めました。
その最初の舞台が、このたびのオイリュトミーと言語造形とピアノによる舞台公演『山月記』です。
わたしたちの心意気と精神をもつて、舞台芸術を活き活きと甦らせて行きたい。さう希つてゐます。
皆さまのお越しをお待ちしてをります。



※この動画を作成して下さつたのは、株式会社秋田精巧堂の社長 二方 淳介さんです。彼の創るコマーシャル動画、ぜひご覧ください。
you tube channnel「フタカタジュンスケ」https://www.youtube.com/user/jfk11078722/videos


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2021年12月07日

なぜアントロポゾフィーを学ぶのか






『なぜアントロポゾフィーを学ぶのか』
(『いかにして人が高い世を知るにいたるか』オンラインクラスより)


何をわたしは学ばうとしてゐるのか。何をわたしは仕事を通して生きようとしてゐるのか。何をするためにわたしはかうして生かされてゐるのか・・・。


わたしは、よく、自分自身に問ふのですが、皆さんはいかがですか。


オンラインクラスの中で、また、そのことを問ひながら、話しを進めさせてもらひました。

2021年12月04日

12/18(土)アントロポゾフィーハウス【青森三沢】のお知らせ



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『12/18(土)アントロポゾフィーハウス【青森三沢】
 言語造形とオイリュトミー&アントロポゾフィーの集ひ』


青森でのアントロポゾフィーの集ひ。2021年といふ年に始まり、はやくも年の瀬を迎へてゐます。


これまでに計4回の集ひを持つて来ました。アントロポゾフィーの集ひに来るとは、アントロポゾフィーと芸術を営む「人」に会ひに来るといふことなのです。


アントロポゾフィーとは、「アントロポス=人」「ソフィー=知ること」、つまり「人を知るといふこと」です。


この集ひは、仲間が集まるといふよりも、アントロポゾフィーを求める「人」が集まる場です。「人を知るといふこと」を求めてゐる「人」が集まる場です。人はそのやうな場を求めてはゐないでせうか。なぜなら、人は、まさに、「人」を求めてゐるからです。


青森には、そんな場があります。


毎月、「中川塾」で行はれる「アントロポゾフィーハウス【三沢】」の営みです。


来たる2022年もこの集ひがひたすらに続けられて行くことを切に希ひます。


ーーーーーーー


●9時半〜10時 子ども(小学生)たちの言語造形「音読に挑戦!」
9時半〜10時 大人 オイリュトミー


●10時〜11時半 大人たちの言語造形ワークショップ「シュタイナー教育におけることばの話し方」
(おひとりおひとり、自分自身が声に出してみたい作品をひとつ持つて来て下さい。小説でも、詩でも、昔話でも、どのやうなものでも構ひません)


●10時〜 子ども(小学生)たちひとりひとりにオイリュトミー


●11時半〜13時 大人たちとのアントロポゾフィー講座
 



講師: 
諏訪耕志(言語造形&アントロポゾフィー講義)https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji


越中奉(オイリュトミー)


場所: 青森県三沢市下久保1-4-6
    自由学舎「中川塾」


参加費: 4回連続ご参加 12000円
     単発ご参加 4000円


お問ひ合はせ・お申し込み:
佐々木 千晶さん aibaru0809@gmail.com



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2021年12月03日

言語造形ワークショップの様子 宮城シュタイナー学園






『言語造形ワークショップの様子 
 おひさまの丘 宮城シュタイナー学園にて
 そして、クラウドファンディングのお願ひ』


2021年11月25日に、おひさまの丘 宮城シュタイナー学園にて行ひました言語造形ワークショップの様子をご紹介させて下さい。


まづもつて、言語造形において踏まえられてしかるべきなのは、身の動きに伴はれた息遣ひの闊達さと深さです。


このたびの動画に収められた作品は、どれも、宮澤賢治の作品になりました。


ワークショップ参加者の皆さん、そして『おひさまの丘 宮城シュタイナー学園』の皆さん、本当にありがたうございました。




いま、『おひさまの丘 宮城シュタイナー学園』では、ひとりひとりの子どもたちが持つてゐる無限の可能性が啓かれて行くことを願つて、毎日の授業がなされてゐます。


ここは、「人といふもの」への深い認識と高い希望が、毎日、生まれる場所なのです。


ただ、いまはまだ、一般の世間での認知度も低く、生徒数も多くありません。


それゆゑ、この学園をなんとかの維持・発展させて行くために、12月20日までクラウドファンディングを行つてゐます。https://readyfor.jp/projects/miyagi_ohisama2021...

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なにとぞ、どうぞ、皆様の高き御芳志をお寄せいただけましたら、この上ない喜びです。ご協力をお願ひいたします。




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2021年12月01日

愛知県豊橋市にじの森幼稚園での言語造形 12/1



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今日は初めて愛知県豊橋市にある「にじの森幼稚園」に伺ひ、お母さんたちと一緒に言語造形を楽しみました。


この園は、取り立てて「シュタイナー」といふ名を出しての告知はしてゐませんが、本当に深くからシュタイナーの精神「アントロポゾフィー」を50年近くにも渡つて大切に育んでゐる園で、園長をされてゐる堀内節子さんとも今回、そのことをたんと語り合ふことができました。


幼い子どもたちの傍にゐるわたしたち大人が、息遣ひを安らかに深く繰りなす毎日。


幼な子たちの何を大切に守り、何を大切に育んで行くことができるのか。


そのことを考へながらも、また一方で、からだを目一杯動きのなかへ導きつつ、話し、語ることばに意欲を注ぎ込みつつ、ことばの芸術「言語造形」に、皆さん初めて取り組まれたのでした。


参加して下さつた皆さんの柔軟で積極的な姿勢、穏やかな微笑み、昨晩からの大雨だつた空も晴れ上がり、わたしたちはとても健やかで朗らかな時をいただきました。


皆さん、この健やかな息遣ひをお家に持つて帰つて下さつたのではないかな・・・。


この言語造形といふ芸術が、静かに、日本の地に住むひとりひとりの暮らしの中に根付いて行くこと、そして、アントロポゾフィーといふ精神の学がひとりひとりの人のこころに宿り始めることをこころから希ひ、皆さんとこれからも学び続けて行きます。


にじの森幼稚園の方、写真を撮つて下さり、ありがたうございました😇





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2021年11月30日

まぎれなく考へよう!






わたしたちは、いま、神さまを見ることができない時代を生きてゐます。天使の方々を見ることができない時代を生きてゐます。しかし、神さまのことを、天使の方々のことを、「考へる」ことは、できる。


その「考へる」働きが、神々しいものといふものとの交はりを取り戻す、はじまりになりえます。精神のリアリティーを取り戻す、はじまりになりえます。


いま、人は、人だけでは、やつて行くことができない時代に生きてゐはしないでせうか。


「人よりも、自分よりも、高いものがある」との信を、交はりのリアリティーをもつて再び稼いで行く時代に、わたしたちは生きてゐるのではないでせうか。


そのやうな生き方の始まりは、決して、何かを信じ込むことや鵜呑みにすることではないはずです。


「まぎれなく考へる」こと、「問ひを立てる」ことから始まるはずです。




2021年11月27日

第二回 言語造形 in おひさまの丘 宮城シュタイナー学園



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幾枚かの写真にありますやうに、人の前で、紙に記されてある文字を声に出す時、人は大抵まっすぐ立ち止まつてゐます。(カメラの具合ひが芳しくなく、ピントが甘くなつてしまひました。申し訳ありません😇)


そして、出来る限り間違つて文字を読まないやう、少しでも上手く読めるやう、幾分緊張しながら声を発します。


そのときに発せられることばは、しかしながら、聴き手の頭に届きはしますが、ハートにまで響きにくく、肚や腰や手足にも働きかけません。


20世紀初頭を生きた精神科学者ルードルフ・シュタイナーは、からだをまるごと使ひつつ、とりわけ、腕と脚に芸術的な動きをもたらしつつ、ことばが話されることによつて、ことばはその生命と精神を甦らせる、さう語つたのでした。


さうして、動きと共に語り出す皆さんのことばのなんと活き活きとしてゐることでせう。


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言語造形の学びには、様々な側面があります。


わたしは、次のことを、まづもつての次第にして、皆さんとことばの芸術を分かち合つてゐます。


それは、音韻の細やかな区分けから入るのではなく、文の姿・かたちの中にぢかに入つて行くかのごとく、からだの動きをもつてまとまりのある文を発声して行くのです。作品の中にぢかに入つて行くのです。


からだを普段以上におほらかに、優しく、時に激しく、動かしながら、それによつて解き放たれる息遣ひに乗つて発声する時、ことばの響きが空間に精神のフォルムを描きながら、隅々にまで拡がりゆくのをわたしたちは体験することができます。


さうすることによつて、聴き手は、もはや、頭でことばを聴くのではなく、からだまるごとで聴いてゐます。ことばに包まれてゐます。神経系ではなく、血液系でことばを聴いてゐます。


さう、ことばとは、そもそも、「聴くもの」といふよりも、「体験されるもの」「生きられるもの」なのです。


そのやうなことばのフォルムや動きを感覚する「ことばの感官」がどの人にもあるのですが、そのやうなアクティブで、芸術的なことばの聴き方、話し方を現代人の多くは失つてゐます。


言語造形を通して、いま一度、古代人が持つてゐたそのやうな「ことばの感官」を意識的に育むことによつて、わたしたちは、ことばの精神文化を再び興していくことができる。


わたしは、さう、固く信じてゐます。


来月12月は、22日(水)と23日(木)、二日連続で、『古事記』を原文で語る言語造形の時間を持ちます。また、22日には『メディテーションと芸術実践』と題しましてアントロポゾフィーの講座もいたします。詳しくは、後日、また、このブログで発表いたします。


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2021年11月26日

考へを律する 情を節約する






わたしもまた、ひとりの人として、「仕事」をしたいと切に希む者です。自分自身が輝くことなど、当たり前のことではないですか。さういふことよりも、世を輝かせるために何かできないかと考へたい者です。


アントロポゾフィー運動は、有意義な情と生産的な考へを基とします。


有意義でない情、生産的でない考へ。それらは、人のこころの力を殺ぎます。それらは、これまでの人生においてほとんど習慣的なものとなつてしまつてゐる反射的な情と考へです。


みづからの外において何かが起こる。すると、反射的に、その何かに刺激されて、激情や偏つた考へに走る。


そのやうなあり方で、どうして世を輝かせることなどできませう。


さういふ考へを律する、情を節約することによつて、わたしたちはみづからのこころを生産的に育てて行くことができるのです。


そして、さうであつてこそ、そのこころは、きつと、「仕事」へと繰り出して行きます。


「仕事」です。人が闇の世を光で輝かせうるのは。


「仕事」です。人を人となしうるのは。




11月 おひさまの丘 宮城シュタイナー学園



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東北で唯一の全日制シュタイナー学校おひさまの丘 宮城シュタイナー学園。


先月に引き続いて、二日間に渡つて、2年生、4年生、6年生のエポック授業を見学させていただきました。


漢字の学び、運動遊び(体育)、地理から他国の文化・風習、そしてお料理実習、機織りまで・・・。


担任の先生によるそれら授業のひとつひとつが、すべて、芸術の営みでした。子どもたちとひとつになつて創り出す芸術実践でありました。そこには、常に、歌があり、音楽があり、声があり、動きがあるのです。


学年が上がつてゆくにつれて、子どもたちの意欲への促しから、知性への働きかけへと授業のありやうも移りゆくのですが、そこに変はらず通つてゐるのが、「いのちの流れ」と言つたらいいのでせうか、息遣ひの闊達さと晴れやかさ、そして何より喜びがあるのです。


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さういつた先生方による教育芸術の営みは、どこから生まれてくるのか。


そこにルードルフ・シュタイナーの精神の学「アントロポゾフィー」が深く胚胎されてゐるからこそ、そこからの芸術実践として、あのやうな授業が毎回、毎回、新しく生まれいづるのですね。


100年前のシュタイナーから発された精神が、まさに、この仙台の地に「からだ」を持つて生まれ、育つてゐることを実感します。


この生まれた「からだ」は、いま、6年目を終へようとしてゐます。そして新たな七年期に入らうとしてゐるのです。


この「からだ」は、最低でも21年間はしつかりと育て上げられていいはずだ、とはつきりと思ふのです。


そのためにも、この「からだ」を育ててゆくひとりとしてわたしもまた、12月20日までのクラウドファンディングが成功することをこころから祈つてゐるのです。
クラウドファンディング ↓
https://readyfor.jp/projects/miyagi_ohisama2021


わたしからもまた、言語造形による授業をさせていただきました。一・二年生は昔話を聴き、四年生は和歌を朗唱し、六年生は『萬葉集』の生まれた意義を知り、巻頭第一首目の雄略天皇による長歌を共に動きながら詠ひ上げる、そんな時間を共に過ごしました。


おほらかな息遣ひ、共感(シンパシー)と反感(アンチパシー)の交錯、動きあることばの生命力と豊かな情感。そんな音楽的なことばの体験です。


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2021年11月21日

「植物観察と芸術実践」いかにして人が高い世を知るにいたるか・オンラインクラスより






わたしたちのからだの外には風や水や光だけが流れてゐるのではありません。


こころといふもの、精神といふものも流れてゐます。


我がからだもこころも、その密(ひめ)やかな流れに貫かれてゐます。


そして、生きて行く上での要は、その流れに巻き込まれないやうに、離れて観ること、そして、その流れから逃げずにその流れを受け止めること、そして・・・。


さういふ内なる作業は、ずつと続きます。


しかし、なにごとも、備へが要ります。


植物はとても健やかで清らかな内なる密やかな姿と流れを、観る人のこころに顕はにしてくれます。植物を前にしてこころを凝らして見詰め続けることが、その流れの健やかさ、清らかさゆゑに、さういふ内なる作業の相応しい備へになるのです。


そして、芸術実践も、そのやうなこころと精神の流れを生きるための練習をさせてもらへます。


植物観察から始めるメディテーションの道と、芸術実践。


それらのふたつの柱は、わたしをわたしとしてどこまでも健やかにしますし、アントロポゾフィーハウスの大切な指針です。


いまも、青森にゐて、観ることと練習することで毎日が過ぎて行きます。まこと、ありがたいことです。


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この動画の後半は、次の動画です。「考へを律する 情を節約する」https://youtu.be/01ogt3CGQlI

※これら一連の動画は、みな、シュタイナーの講演録『普遍人間学』や著作『いかにして人が高い世を知るにいたるか』における本筋を踏まえながらも、その本筋とは別に、参加者の方々から発せられることばを講師の諏訪耕志が聴くことから即興的に生まれた話を収録してゐます。

ーーーーーーー


『いかにして人が高い世を知るにいたるか』オンラインクラスには、二クラスあります。
いずれも、毎週木曜と日曜の夜に行つてゐます。

木曜夜クラス 午後8時〜9時
日曜夜クラス 午後8時〜9時


●参加費
体験参加費 一回のみ 2000円
4回連続ご参加 5000円

御自身のご都合でのお休みは、キャンセル無効とさせていただき、録画したものを見ていただくことができます。なにとぞ、どうぞよろしくお願ひいたします。  

もし、お時間などのご都合がつかない方で、それでもご関心がおありになる方がゐらつしゃいましたら、録画受講といふ形でご参加されることもお勧めいたします。

ただ、クラスが、読書と共に、とても内密な語らひの場になりますので、録画ご視聴して下さる方のお顔とお声を参加して下さる皆さんに、ご紹介させてもらふことになります。

一度、オンライン上でお顔をお見せくださることが可能でしたら、とてもありがたく思ひます。

●お振り込み  

// ゆうちょ銀行から //
記号 10260 番号 28889041 スワ チハル  

// 他銀行から // 店名 〇ニ八(ゼロニハチ) 普通 2888904    

お申し込み、お振り込みいただいた方に、オンライン会議室ZoomのURLをお伝へします。    

鈴木一博氏訳の『いかにして人が高い世を知るにいたるか』を用います。本をお求めの際は、こちらでどうぞ。
「精巧堂出版」https://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0007  

●お申し込み・お問ひ合はせ   「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/

どうぞよろしくお願ひいたします。




2021年11月20日

11/20 アントロポゾフィーハウス【青森三沢】ありがたうございました😇



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『メディテーションと芸術実践 11/20
 アントロポゾフィーハウス【青森三沢】ありがたうございました😇 』


わたしたちアントロポゾフィーハウスは、メディテーションと芸術実践といふ二本の柱を、行く場所、行く場所に、打ち樹ててゆく精神の運動体です。


アントロポゾフィーといふ精神科学を日本の地で根付かせ、暮らしの中になりたけさせようとする文化的運動体です。


毎回、毎回、わたしたちは、精神の世との繋がりを深い息遣ひの中で意識しながら集ひます。


そして、その毎回の集ひの中で、人と人とが出会ひ、語り合ひ、新しい何かを創り出さうとしてゐます。


それゆゑ、アントロポゾフィーハウスの集ひは、毎回、祝祭です。


みんな、各々、みづからのこころを清々しいところへと持ち上げつつ、捧げつつ、アントロポゾフィーからの芸術に勤しみ、学びに前のめりになつて取り組みます。


なぜ、毎回、そのやうな集ひになるのか、わたしにもよく分かりません。しかし、「うやまひ」といふこころの構へを持つことが、もしかしたら、そのやうな集ひを創る、ひとつの条件なのかもしれません。


アントロポゾフィーの集ひとは、知を集めに来るのでもなく、仕事や生活に役立つものを手に入れるために来るのでもなく、「人」に会ふために皆が来るところのものです。


願はくば、アントロポゾフィーハウスのこの動きが継続してゆきますやうに。


この混迷を深めてゐる日本社会に、まづもつて、ひとりのこの<わたし>から、光を灯し、暖かい熱を放つてゆくことができますやうに。


そして、そのひとりの<わたし>とひとりの<わたし>が出会ひ、そこから清新な何かが生み出されますやうに。


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posted by koji at 23:07 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

11/16 ありがたうございました😊アントロポゾフィーハウス【青森】言語造形の集ひ



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夜(よ)の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢(びん)のほつれよ


与謝野晶子のデヴュー作『みだれ髪』から、いくつもの歌を詠ひ上げることから始まつた今回の言語造形の集ひでした。


解き放たれる母音の響きに続く余韻の調べ。


ことばといふものの深みは、そこにこそあります。


表面的な意味ではない、ことばの陰翳を味はふことは、わたしたち日本人がずつと育んできた文化でした。


そこには、「もののあはれ」が息づいてゐます。


日本語を言語造形を通して芸術的に生きること、それは、日本人であることの仕合はせを想ひ起こす、ひとつの機縁なのです。


ご参加下さつた皆さん、こころより嬉しく思ひます。どうもありがたうございました。


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2021年11月17日

たましづめとお祓ひ オンラインクラス「普遍人間学」より






呼吸、息遣ひ。


それは、人と植物との間でなされる横のレムニスカートの流れと共に、天と地との間でなされる縦のレムニスカートの流れをもつてなされてゐます。


息遣ひの、その縦と横における交はりがあるからこそ、わたしたちは人として、精神においても、こころにおいても、からだにおいても、健やかさの恩恵に預かつてゐます。


その恩恵の顕れのひとつが、ことば、です。



※これら一連の動画は、みな、シュタイナーの講演録『普遍人間学』や著作『いかにして人が高い世を知るにいたるか』における本筋を踏まえながらも、その本筋とは別に、参加者の方々から発せられることばを講師の諏訪耕志が聴くことから即興的に生まれた話を収録してゐます。






2021年11月13日

アントロポゾフィーハウス和歌山 言語造形発表会ダイジェスト






2021年9月23日(木・秋分の日)、和歌山岩出市の旧和歌山県議会議場内での、言語造形クラスの第二回発表会から、平尾由美子さんによるグリム童話「おいしいお粥」、西京子さんによる伝説「ミカエルのつるぎ」をダイジェストでお聴きください。(コメント欄に動画を貼つてゐます)


言語造形といふ芸術が、少しづつ、かうして動画でも世に伝はりゆくことを希んでゐます。


また、言語造形をしてゐる人がひとりでも多くなること、そして動画でも、もちろん舞台ででも、みづからの作品を発表し、互ひに聴き合ひ、学び合ふ、そんな状況になりゆくことをこころから望みます。


ーーーー


アントロポゾフィーハウス和歌山は、毎月第二月曜日の午前10時より、和歌山県岩出市内にて言語造形の稽古を続けてゐます。
ご関心のおありになる方、どうぞ、お気軽にお問ひ合はせ下さい。
https://kotobanoie.net/access/



言語造形(Sprachgestaltung)とは、ルドルフ・シュタイナーの精神科学・アントロポゾフィーから生まれた、ことばの芸術です。ことばを話すことが、そもそも芸術行為なのだといふことを、シュタイナーは、人に想ひ起こさせようとしたのです。


わたくし諏訪耕志は、1993年から、アントロポゾーフ・言語造形家である鈴木一博氏に師事し、2003年より「ことばの家」として、大阪の住吉にて、言語造形、ならびに、アントロポゾフィーを学ぶ場を設けてゐます。
「アントロポゾフィーハウス大阪 ことばの家」https://kotobanoie.net/



「アントロポゾフィーハウス大阪 ことばの家」チャンネル登録、どうぞよろしくお願ひします。
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos




2021年11月10日

昔話や神話を信じること



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幼な子にお話を語る時、それは、昔話であり、神話であつたりするのですが、大切にしたいことがいくつかあります。


その内のひとつに、お話を「まこと」と信じることがあります。


風や山や動物、植物のひとつひとつが、人と同じやうにいのちを持ち、こころを持つてゐる。そして、互ひに語り合つたり、喧嘩したり、仲直りしたり・・・。


そして、そのやうなお話はまことを語つてゐるのだと信じることを大人であるわたしたちは学ぶのです。


それは、どの人も幼い子どもの頃に感じてゐたリアルなことです。


幼な子は、いまだ、いのちのあるものとないもの、こころのあるものとないもの、〈わたし〉と世とを、分かつことをしません。分かつことができません。


〈わたし〉を含めて、世はまるごとでひとつ。そんな意識を幼な子は生きてゐます。


それは、神々しい意識とも言へます。その神々しい意識は、いまだ神々のお姿を見ますし、神々のお声を聴きます。


そして、そのやうな神々の振る舞ひ、姿を描いたものが、昔話であり、神話であります。


幼な子は、そのやうな昔話や神話を、ことばに出して言つたりしませんが、こころの底から、からだまるごとで求めてゐます。


幼な子にお話を語る時、こんな昔話は荒唐無稽だけれども子どもは喜ぶんだから、まあ、それ風に語つておかうといふやうな意識で、頭に分別をたつぷりと詰め込んで声を出す時には、幼な子のこころもからだも荒(すさ)んでしまひます。


一方、わたしたち大人がみづからの心臓にファンタジーを湛へつつ、このお話は真実を語つてゐるのだといふ念ひで声を響かせることで、繊細な感覚を持つ幼な子は、からだとこころまるごとでそのお話を聴き、血の巡りと氣の働きを活き活きとさせます。


そして、そのやうな繰り返されるお話体験は、その後の人生に、自分自身から創りなすアクティブな力(創造力・想像力・ファンタジー)に満ちた健やかなこころの礎をもたらします。


アントロポゾフィーは、昔話や神話にはまことが湛へられてゐることをわたしたちに教へてくれます。


アントロポゾフィーによつて、昔話や神話を信じることをわたしたちは学ぶことができるのです。


アントロポゾフィーからの叡智を咀嚼しつつ、メディテーションを重ねつつ、言語造形を通してお話といふ芸術に通じて行く、そのやうな芸術実践を重ねて行き、日本中の幼な子たちにお話を語り聞かせてゆく、そんな現代の吟遊詩人・・・。


わたしたちアントロポゾフィーハウスの主たる仕事のひとつです。



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2021年11月02日

11/5(金)19時半〜20時 第二回【無料】オンラインライブ 英語教育を問ふ



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先日10月30日に行ひました有料オンラインクラス「なんで英語を学ばなきゃならないの」にご参加下さつた皆さん、どうもありがたうございました。


通訳藝術道場の冠木友紀子先生からのお話は、ふたつのことを中心に展開されました。


まづ一つ目は、「なんで英語を学ばなきゃならないの」といふ問ひに対してのことばでした。


わたしなりのことばになつてしまふのですが、それは、「英語といふものに【呼ばれてゐると感じた】者が英語を学ぶべきであり、日本人全員が強制的に学ばされてゐることによつて、その【呼ばれてゐる】といふ心臓の感覚、リズムの感覚を鈍麻させてしまふことこそが、人の成長にとつて、恐るべきことである」といふものでした。


二つ目は、「では、これほどまでに英語が全世界共通語とも言へるほどになつてしまつてゐる現代の状況の中、わたしたち日本人は果たして英語とどう向き合つていくことができるのか」といふ問ひに対する考察でした。


その問ひに対して応へつつ彼女から響いたことばは、かうだつたのです。


「世界中の人は、いま、他人よりも秀でたい、勝ち抜きたい、得をしたい、そのやうな欲望のもと、英語を学んでゐるがゆゑに、英語といふ言語の精神を司つてをられる天使の方はとても悲しんでゐる。日本人が英語を学ぶとは、その天使の方々の悲しみを癒し、救ふためである」と!


言語に対して、言語の精神に対して、わたしたちは、膝まづく必要がありはしないか。


ことばといふものを真摯に迎へてみる必要がありはしないか。ことばを使ふことから、ことばに仕へる、そのこころの構へを子どもたち、若者たちに、伝へてゆく、その意識をもつてわたしたちは仕事をして行きたいのです。


今週の金曜日11月5日の19時半から20時までの30分間、また無料でオンラインライブをさせていただきます。


是非、ご覧いただければと思つてをります。
https://fb.me/e/KERUmrnw



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注文の多い料理店・序






13年前の今日、この作品から始まる公演『呼吸する世界 宮沢賢治』をしたのでした。


ここからも、たくさんのよきものが生まれました。


いま、あらためて、振り返り、ありがたく想ひ起こします。本当に感謝です。


2008年11月2日、大阪市立住吉人権文化センターで行ひました『語り芝居 宮沢賢治 呼吸する世界』と題する公演から、諏訪耕志によるオープニングの作品「注文の多い料理店・序」を聴いていただきます。(作曲・演奏 吉田 幸平)


なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
宮沢賢治 『農民芸術概論綱要』より


わたしたちは毎日を生き抜いていくために、衣食住といった物的な糧とともに、必ずこころの糧を求めます。


こころの糧は本来的に精神からやってきます。


精神とは、まことと愛と善きことです。その精神から、こころの糧は得られます。


賢治は、風から、雲から、そのこころの糧を得よ、と叫びました。


風に、雲に、宇宙に、精神は息づいているからです。わたしたちの生きている時代は、どんどん先に進んでいます。


しかし、人が人として生きていくパワーとエネルギーを根本的にどこから得るのかということは、時代を貫いて変わらないのではないでしょうか。


みずからの恣意を離れ、風が(もしくは神々しい息が、精神が)吹き込んでこられるように、みずからのこころと身体を空っぽにすることができれば、わたしたちは、その都度その都度、生きる底力を湧き立たせることができる。


これらのことは、何事も一生懸命に頭で考えて考えて考えている現代人である私たちにとっては、分かりにくくなっていることかもしれませんが、人間の本当に原始的なこととして、皆さんと分かち合いたいと希んでいます。


身体とこころまるごと使ってことばを語り歌う、言語造形という芸術を通して。


覚悟を通して。


この「序」を聴いていただき、『注文の多い料理店』の宇宙的、精神的な深みを持つ作品群まるごとを読んでみようかといふ、ひとつのきつかけになれば、と思つてゐます。


「アントロポゾフィーハウス ことばの家」 諏訪耕志




11/6よりクラウドファンディング! 宮城シュタイナー学園



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ひとりひとりの子どもがすでに持つてゐるものを引き出すシュタイナー教育。


東北、仙台の地にこの教育を根付かせて行くために懸命に働き続けて来られた「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」と、わたくしどもアントロポゾフィーハウスもご縁をいただき、僭越ながら少しでも支へさせていただくことに資することができれば、さう考へてゐます。


この教育がこの地にさらに根付いて行くべく、共に働いて行くことができればと希つてゐるのです。


以下、宮城シュタイナー学園のクラウドファンディングのお知らせです。



【おひさまフレンドシップ基金】

私たち「おひさまの丘宮城シュタイナー学園」は、2016年4月に仙台市青葉区に開校したNPO法人立の小・中一貫校です。

学園が立ち上がったきっかけは、2011年の東日本大震災直後のことです。ドイツからトラウマケアのシュタイナー教育支援チームが宮城県の被災地を訪れました。そこで行われていた水彩やコーラス、リズム遊び、オイリュトミーといったワークショップは、シュタイナー学校で日常的に行われているもので、心が癒されるものでした。

そのワークショップを体験し、「その子がその子として愛され、様々な比較をされることなく、子供たちが真に元気に生きていける学校を作りたい」という思いを持っていた数人の有志が集まり、この宮城の地に、「震災で傷ついた子供たち、大人たちの魂が癒されていく学校を」と、学園が誕生しました。

​本校はNPO法人であり、公の財政支援がありません。本校の活動に共感してくださった皆様が寄付という形でご支援くださることは、この学校が成長を続けるための大きな力となっています。

ぜひ、あなたのお力をお貸しください。どうぞよろしくお願い申し上げます。


11月6日10時からクラウドファンディングに挑戦します!

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・「真に自由な人間を」豊かな創造性を育む学園づくりにご支援ください!
 https://readyfor.jp/projects/miyagi_ohisama2021 
・目標金額 150万円
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【概要】
私たち「おひさまの丘宮城シュタイナー学園」は、東北で唯一の全日制シュタイナー学校として誕生し、今年で6年目となります。学園が大きくなるにつれ、校舎や教師の充実が新たな課題となってきました。活動を維持していくためにぜひお力をお貸しください!
クラウドファンディングが開始しましたら、改めてみなさまへお伝えいたします。その際には、みなさまと繋がりのある方々へお知らせいただき、またご支援をぜひよろしくお願いいたします!



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