2009年07月01日
東洋陶磁美術館
今日、中ノ島にある東洋陶磁美術館に行き、
『淺川伯教が愛した韓国のやきもの』というテーマ展、
そして平常展による収蔵品をたっぷりじっくりと観てきた。
観ながら、その観ることに、感情が伴なってきて、
そのときの感情を忘れないうちに書き留めようと思う。
陶磁器のひとつひとつに、
固有の相(すがた)があることは当然のことなのだが、、
そのひとつひとつの相を迎えるごとに、
我がこころの内に、
各々異なったフォルムが生まれていることを覚え、
そのフォルムはまるで人の身振りから生まれる各々の呼吸の軌跡であるように感じる。
何のこざかしい作為も感じられず、
自然の法則に沿っておのずと生まれたような柔らかな曲線が、
器のフォルムとして顕われているとき、
より快い安らかな呼吸と共にある己を感じることができる。
碗といい、瓶といい、壺といい、甕といい、
それらやきものは、
人が、土と水と風と火との協働で創り上げ、
人が使い、
人から人へと使い廻され、
ものによっては、忘れ去られ、放置され、再び見直され、
またものによっては、愛され抜いてきたものだ。
それらが、今、目の前に静かにある。
それぞれの碗の縁に、
いったい何人の人の唇が触れてきただろう。
どんな人の手が、
これらのやきものを撫で擦ってきただろう。
視ているうちに、
そのものの後ろに、
なんだか、
それら人々の気配を感じるような気がする。
さて、韓国のものをずっと観つづけたあと、
日本のやきものの部屋があって、そこに入って観たとき、
もう、ひとつめの器の前に立つやいなや、
自分の呼吸のありようが変わったのに気づく。
これまで以上にゆるくほどけたような、
安心したような深い息遣いに変わって、
日本のものをひとつひとつ観ているうちに、
ニヤニヤしている自分に気づく。
韓国のものは、どこか潔さと気品の高さを総じてわたしに感じさせ、
それゆえか、無意識のうちにも、
己の外にあるものを迎えるときのような緊張を、
身内に生じさせていたのかもしれない。
日本のものを観るとき、
その緊張がほどけ、
それまでとは少し質の異なった時間が流れ始めている。
家に帰ってきたような感覚だ。
海を隔てた彼の地と比の地とでは、
その地水風火のありようがどれぐらい違ってあるのだろう。
その四大の要素の織り成しあいからそれらやきものは生まれる故、
この目に視て取られる表面の質感や色合いの違いだけでなく、
ことばで言い表しにくい違いが如実に感じられ、おもしろい。
観ることの練習。
これからも今日のように折をみて出かけて行って、
出来る限りものを親しく、精しく、みること、きくことをやっていきたい。
2009年06月20日
『昔の国語教育』4
柳田は、無論弱みもあり、誤謬もあっただだろうが、
昔の国語教育に理想的なものを見出している。
まず、人は生涯を通じて、
聴いてオボエタことばの中からみずから選択して、
口にことばを上せる。
そしてその模倣と選択は特に幼児において活発になされている。
6〜7歳ぐらいまでは、
どんなことばを模倣し、選択し、どれだけ覚えていくのかは、
子どもに任せていた。
幼児における聴く力、見る力、受け取る力の精確さ、敏捷さといった特異性に人は気づいていたし、
その気づきの上に国語教育が始められていた。
人間というものへの直感的な認識・信頼から国語教育が企てられ、実行されていた。
昔の国語教育の何が効を奏していたかというと、
大人たちの「やや乱雑でまた投げやりな感化法」であったにも関わらず、
そのことばが常に生きたことばであったことにその故がある。
昔の人は、そういうことばを使わなかっただろうが、
活きた息遣いと身振りを伴なって話される味わい深いことば、
すなわち「芸術としてのことば遣い」を人の生活の中に育てていた。
子どもたちにそのようなことばをふんだんに与えることによって、
みずからつかみ取り、選択していくというアクティブな力が、
子どもの内側で育ってくるのを直感的に知っていた。
それが、「一人前にものを言う力」になっていくのであろうし、
自分の脚で立つ力にもなっていくのだろう。
今、何が人の中で弱まっているか、
それは、世の中がどんなことになろうとも、
自分からつかみ取っていく力、
自分の道を切り開いていく力、
内的なアクティビティだと感じる。
そんな人のアクティビティは、
幼児期の教育のあり方と随分関係があって、
昔の日本人は、
そのみずからを信頼する力・そしてアクティビティを豊かに持っていたのではないかと想像する。
今や、メディアからの映像や音声が人のまわりに溢れかえっていて、
何もかもが、仕上がり済みで人に供給されている。
人が自分でアクティブに創って行くということがとてもしにくい。
機械から流れる映像や音声をシャットアウトしてしまうことは、
現代の生活においては、無理だし、また逆に不自然にも感じてしまう。
ただ、人のなまの息遣いと声で、ことばが語られるときにこそ、
人の内側からのアクティビティが起こされるということを知っていることは、
いいことだと思う。
これは、司馬遼太郎のことば。
・・・人間は、言語こそこの世の魅力の最高のものだと、
たれもが意識の底で思っている。
乳幼児は言語こそ発せられないが、
たえず母親の言葉によって、
聴覚を通し、
大脳に快く刺激を受け続けている。
人間が最初に出会う“芸術”は絵画でも音楽でもなく、
言語なのである。 (『風塵抄』より)
昔の国語教育に理想的なものを見出している。
まず、人は生涯を通じて、
聴いてオボエタことばの中からみずから選択して、
口にことばを上せる。
そしてその模倣と選択は特に幼児において活発になされている。
6〜7歳ぐらいまでは、
どんなことばを模倣し、選択し、どれだけ覚えていくのかは、
子どもに任せていた。
幼児における聴く力、見る力、受け取る力の精確さ、敏捷さといった特異性に人は気づいていたし、
その気づきの上に国語教育が始められていた。
人間というものへの直感的な認識・信頼から国語教育が企てられ、実行されていた。
昔の国語教育の何が効を奏していたかというと、
大人たちの「やや乱雑でまた投げやりな感化法」であったにも関わらず、
そのことばが常に生きたことばであったことにその故がある。
昔の人は、そういうことばを使わなかっただろうが、
活きた息遣いと身振りを伴なって話される味わい深いことば、
すなわち「芸術としてのことば遣い」を人の生活の中に育てていた。
子どもたちにそのようなことばをふんだんに与えることによって、
みずからつかみ取り、選択していくというアクティブな力が、
子どもの内側で育ってくるのを直感的に知っていた。
それが、「一人前にものを言う力」になっていくのであろうし、
自分の脚で立つ力にもなっていくのだろう。
今、何が人の中で弱まっているか、
それは、世の中がどんなことになろうとも、
自分からつかみ取っていく力、
自分の道を切り開いていく力、
内的なアクティビティだと感じる。
そんな人のアクティビティは、
幼児期の教育のあり方と随分関係があって、
昔の日本人は、
そのみずからを信頼する力・そしてアクティビティを豊かに持っていたのではないかと想像する。
今や、メディアからの映像や音声が人のまわりに溢れかえっていて、
何もかもが、仕上がり済みで人に供給されている。
人が自分でアクティブに創って行くということがとてもしにくい。
機械から流れる映像や音声をシャットアウトしてしまうことは、
現代の生活においては、無理だし、また逆に不自然にも感じてしまう。
ただ、人のなまの息遣いと声で、ことばが語られるときにこそ、
人の内側からのアクティビティが起こされるということを知っていることは、
いいことだと思う。
これは、司馬遼太郎のことば。
・・・人間は、言語こそこの世の魅力の最高のものだと、
たれもが意識の底で思っている。
乳幼児は言語こそ発せられないが、
たえず母親の言葉によって、
聴覚を通し、
大脳に快く刺激を受け続けている。
人間が最初に出会う“芸術”は絵画でも音楽でもなく、
言語なのである。 (『風塵抄』より)
2009年06月18日
『昔の国語教育』3
一 最初の選択
とにかく耳に聴いてよく分かるということと、
口にその語を上せるということとは、
本来は深い関係のある二つの働きであったように考えられる。
日本はこのけじめのかなり久しい間、
明瞭に立っていた国である。
「耳に聴いてよく分かる」ことばが、
裏のことば(精神)だとするならば、
「口に上せ」られることばが、
表のことば(からだ)だとして、
そのことばの運用における裏と表のけじめを、
人は直感的に知っていたと言う。
ことばを聴いて分かるということは、
その子の精神がことばの精神を捉えるということであり、
ことばを口に上せるということは、
その子の精神からこころを通ってからだにまで、ことばが下りてくるということだ。
幼児の目と耳の力は、
よその民族のことは何とも言えないが、
少なくとも近世以後の日本においては、
我々が普通想像している以上に、
時としては成熟した人々よりも精密に、
よくその役目を果たしていたらしいのである。
それをただ彼等が口にし得る言葉の量のみによって測定しようとすれば、
ひとり智能の幅、深みを究めがたいのみならず、
絶えずその間に行われている用語の選択に、
どういう本然の理性が働いているかを明らかにして、
後々の参考に資することもできぬわけである。
幼児期における精神の力の柔軟性たるや、
大人にはとてもかなわない。
口の言葉の数というものは、
おしゃべりと言われる児でもいたって少ない。
これが彼等の国語知識の全部でないだけは証明がいと容易である。
愛する人々はこれを確信して、
一言の受答えがなくても終日談り暮らし、
一方にはまたこの特殊の会話の用に、聴かせるためだけの句や単語が、
いくらともなく地方ごとに伝わり行われている。
耳に快く、聴いたらすぐ覚えられる面白い言葉が、
彼等のためだけに数多く設けられている。
こういう親たちの計画を国語教育でないという人は、
もうたいていはなくなっていると思うがどうだろう。
この練習はおいおいに成人と共通の言葉を覚えるために、
大きな準備となっていることは疑いない。
将来、活き活きと自分のことばをもって生きていくための大きな準備として、
「聴かせるためだけの」
「耳に快く、聴いたらすぐに覚えられる面白い言葉」
を子どもたちのために用意し、与えていくことは、
言語造形家が始めることのできる仕事のひとつである。
活きたことばによって、昔の子どもは育てられた。
この活きたことばには、必ずはっきりとした身振りが伴なっているはずである。
それは外的な表情やしぐさだけではない、
時に、内的な動きそのものである。
ことば遊びの文句やおまじない、子守唄、
もしくは警告のための「めぇ〜」や「アップ」「バブ」という極めて端的なことばには、
すべて活きたリズムと身振りが込められて子どもに与えられたのである。
大人よりも遥かに優れた幼児の耳と目の力を信頼して、
子どもの前で、子どもと一緒に全部やってみる。
それが、就学前の子どもへのことばの教育だ。
とにかく耳に聴いてよく分かるということと、
口にその語を上せるということとは、
本来は深い関係のある二つの働きであったように考えられる。
日本はこのけじめのかなり久しい間、
明瞭に立っていた国である。
「耳に聴いてよく分かる」ことばが、
裏のことば(精神)だとするならば、
「口に上せ」られることばが、
表のことば(からだ)だとして、
そのことばの運用における裏と表のけじめを、
人は直感的に知っていたと言う。
ことばを聴いて分かるということは、
その子の精神がことばの精神を捉えるということであり、
ことばを口に上せるということは、
その子の精神からこころを通ってからだにまで、ことばが下りてくるということだ。
幼児の目と耳の力は、
よその民族のことは何とも言えないが、
少なくとも近世以後の日本においては、
我々が普通想像している以上に、
時としては成熟した人々よりも精密に、
よくその役目を果たしていたらしいのである。
それをただ彼等が口にし得る言葉の量のみによって測定しようとすれば、
ひとり智能の幅、深みを究めがたいのみならず、
絶えずその間に行われている用語の選択に、
どういう本然の理性が働いているかを明らかにして、
後々の参考に資することもできぬわけである。
幼児期における精神の力の柔軟性たるや、
大人にはとてもかなわない。
口の言葉の数というものは、
おしゃべりと言われる児でもいたって少ない。
これが彼等の国語知識の全部でないだけは証明がいと容易である。
愛する人々はこれを確信して、
一言の受答えがなくても終日談り暮らし、
一方にはまたこの特殊の会話の用に、聴かせるためだけの句や単語が、
いくらともなく地方ごとに伝わり行われている。
耳に快く、聴いたらすぐ覚えられる面白い言葉が、
彼等のためだけに数多く設けられている。
こういう親たちの計画を国語教育でないという人は、
もうたいていはなくなっていると思うがどうだろう。
この練習はおいおいに成人と共通の言葉を覚えるために、
大きな準備となっていることは疑いない。
将来、活き活きと自分のことばをもって生きていくための大きな準備として、
「聴かせるためだけの」
「耳に快く、聴いたらすぐに覚えられる面白い言葉」
を子どもたちのために用意し、与えていくことは、
言語造形家が始めることのできる仕事のひとつである。
活きたことばによって、昔の子どもは育てられた。
この活きたことばには、必ずはっきりとした身振りが伴なっているはずである。
それは外的な表情やしぐさだけではない、
時に、内的な動きそのものである。
ことば遊びの文句やおまじない、子守唄、
もしくは警告のための「めぇ〜」や「アップ」「バブ」という極めて端的なことばには、
すべて活きたリズムと身振りが込められて子どもに与えられたのである。
大人よりも遥かに優れた幼児の耳と目の力を信頼して、
子どもの前で、子どもと一緒に全部やってみる。
それが、就学前の子どもへのことばの教育だ。
2009年06月16日
『昔の国語教育』2
このインターネットの画面を見ていても、
わたしたちは、ことば、ことば、ことば、に取り囲まれている、と感じる。
また、周りに文字が見当たらなくても、ことばとして外に発せられていなくても、
内側においてことばを綴っていることがよくある。
そのように、人間の内にも外にも、
まるで呼吸のように動いていることば。
人間を取り巻いていることば。
それらを活き活きとしたものにするのは、その人だし、
活かすことによって、またその人自身を活き活きとさせ、
その人をますますその人らしくさせる。
そのようにわたしたちの生涯に付き添っていることば。
それを活かすこと、
国語の主人になること、
それって、教育ということや人の成長を考えていく上で、
ひとつの大きなテーマになりえると思う。
さて、人がこの世に生まれて最初の約6〜7年間において、
国語教育はどのような発足点を持てるだろうか。
我々が児童を学校の国語教育に、委託する以前の六年有余は、
今でも決して空々寂々には過ぎていない。
この期間の指導法は、
乱雑無意識のようで実は目標があり、熱意があり、
また個々の社会の系統への遵依(じゅんい)があり、
その統一には世に伴なう拡大さえ見られる。
昔から、人は、金こそはかけなくても、
目標と熱意をもって、子どもたちへの国語教育に意を払っていたと言う。
「個々の社会の系統への遵依(じゅんい)」とは、
我が母国語、我が地域語、おらが国さのことばに沿って、ということであり、
「世に伴なう拡大」とは、
時代の移り変わりに応じて、
地域性の変容・崩壊に応じて、
国語教育にも変遷があったということだろう。
人の第一七年期における指導法とは、
どのようなものだったのか。
わたしたちは、ことば、ことば、ことば、に取り囲まれている、と感じる。
また、周りに文字が見当たらなくても、ことばとして外に発せられていなくても、
内側においてことばを綴っていることがよくある。
そのように、人間の内にも外にも、
まるで呼吸のように動いていることば。
人間を取り巻いていることば。
それらを活き活きとしたものにするのは、その人だし、
活かすことによって、またその人自身を活き活きとさせ、
その人をますますその人らしくさせる。
そのようにわたしたちの生涯に付き添っていることば。
それを活かすこと、
国語の主人になること、
それって、教育ということや人の成長を考えていく上で、
ひとつの大きなテーマになりえると思う。
さて、人がこの世に生まれて最初の約6〜7年間において、
国語教育はどのような発足点を持てるだろうか。
我々が児童を学校の国語教育に、委託する以前の六年有余は、
今でも決して空々寂々には過ぎていない。
この期間の指導法は、
乱雑無意識のようで実は目標があり、熱意があり、
また個々の社会の系統への遵依(じゅんい)があり、
その統一には世に伴なう拡大さえ見られる。
昔から、人は、金こそはかけなくても、
目標と熱意をもって、子どもたちへの国語教育に意を払っていたと言う。
「個々の社会の系統への遵依(じゅんい)」とは、
我が母国語、我が地域語、おらが国さのことばに沿って、ということであり、
「世に伴なう拡大」とは、
時代の移り変わりに応じて、
地域性の変容・崩壊に応じて、
国語教育にも変遷があったということだろう。
人の第一七年期における指導法とは、
どのようなものだったのか。
2009年06月12日
『昔の国語教育』1

『昔の国語教育』。
これは、民俗学者、柳田國男が昭和12年に書いたものだ。
わたし自身はこの本を随分前に読んだのだが、
我が家に3歳と1歳の娘がいて、
日々、彼女たちがことばに敏く反応し、
ことばを覚え、
ことばを正しく使い込んでいく様子を目の当たりにして、
今一度、頁を開いて読んでみたくなった。
言語のごときは呼吸飲食と同列に、
人の生活の実態をなしているものである。
これを正常にかつできるだけ有効に活用させようとするのが、
『育てる』ということの目的であったはずである。
もとより時代によって要望の精粗はあろうが、
根本の目的は千古を一貫している。
教育ということ、
育てるということ、
それは、おそらく、
それぞれの人の中の、
人間的な力、人間として生きていく力を引き出す作業だろう。
それは、昔も今も変わっていないのではないか。
ただ、昔と違って、きっと今は、
ひとりの人に要求するものが複雑多岐になりすぎているような気がする。
昔は、とてもシンプルで、
あまり多くを若い人に望まないが、
とにかく、人前に出て、一人前に口が利けるようにする。
それが、教育の大きな目標だった、と柳田は言う。
そのとき、そのときで、
余計なことは言わず、
考えていることとずれたことを言わず、
自分が考えていることをピタリと、過不足なく、
ものごとに即してことばを話すことができるように、
若い者を教育しようと、
昔の人たちは考えていたそうだ。
まさしく、
『言語のごときは呼吸飲食と同列に人の生活の実態をなしているもの』
だと自分も実感しているので、
わたし自身、娘たちを見ていて、つい、
この子たちは、将来、どういう人になるのだろう、
どういう女性になるのだろう、
と思いを馳せるとき、
「こころの籠もったことばを話す人、
ことばを大事にする人に、なれよ」と思ってしまう。
2009年05月02日
祭りの日

先日、娘が通っている幼稚園が引越しをするので、
手伝いに行った。
大人が約10人、それぞれ子ども連れで、ワッショイワッショイやった。
荷物を新しい園に運び込んだあと、
また、それぞれが誰から何を言われるのでもなく、
めいめい、小学生の子どもたちも含めて、自分が気づいたところで仕事をし始める。
ある人は、台所を磨き始める。
ある人は、庭の木を切って、部屋に光がよく入るようにする。
ある人は、金づちとのこぎりで園の中に様々な必要な物を壁に取り付けている。
ある人は、床を雑巾がけしている。
ある人は、新しい花を庭に植えている。
妊婦の方がお二人いたが、子どもの面倒やお茶などを出してくれたり・・・。
こうして、春の陽気の中、
一生懸命、楽しんで、働きあっていると、
本当に気持ちが爽やかで、
これが、古来ずっと村々で行われていた祭りの日の気分なんじゃないか、
と思った。
2009年04月06日
結婚、もしくは、結婚生活について
最近、結婚、もしくは、結婚生活について考えることが、なぜか多い。
自分が結婚をしてみて、そして実感していること。(あくまで個人的に)
結婚というのは、
開かれたステートメント。
個人と個人が自分自身の意志で踏み切る生活意志。
宗教的な門をくぐること。
宗教的な門をくぐるとは、つまり、
「この、わたしと相手、この人と人とのつながりは、以前から始まっていることなんだ」
という予感・直感を信じて、行動できるということ。
この先、どうなるか、なんてことは、誰にも分からない。
でも、このふたりの関係そのものは、
ずっと以前から続いてきているんだということの内的確信。
そこから始まる結婚生活というのは、
人と人との、とことん腰を据えての、こころとこころの交わりだということ。
随分、繊細な部分にいたる交わりだということ。
そして、そのこころの交わりは、
ひとりの人が成長していく上で、
ものすごく大事で、ありがたいものだということ。
ひとり、ふたりと、子どもが生まれてきてくれたり、
いろいろなことがあって、
生活の中で、様々なファクターが現れてくるけれども、
基本的に大事だなと思うところは、上に書いたことだと実感している。
自分が結婚をしてみて、そして実感していること。(あくまで個人的に)
結婚というのは、
開かれたステートメント。
個人と個人が自分自身の意志で踏み切る生活意志。
宗教的な門をくぐること。
宗教的な門をくぐるとは、つまり、
「この、わたしと相手、この人と人とのつながりは、以前から始まっていることなんだ」
という予感・直感を信じて、行動できるということ。
この先、どうなるか、なんてことは、誰にも分からない。
でも、このふたりの関係そのものは、
ずっと以前から続いてきているんだということの内的確信。
そこから始まる結婚生活というのは、
人と人との、とことん腰を据えての、こころとこころの交わりだということ。
随分、繊細な部分にいたる交わりだということ。
そして、そのこころの交わりは、
ひとりの人が成長していく上で、
ものすごく大事で、ありがたいものだということ。
ひとり、ふたりと、子どもが生まれてきてくれたり、
いろいろなことがあって、
生活の中で、様々なファクターが現れてくるけれども、
基本的に大事だなと思うところは、上に書いたことだと実感している。
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2009年03月20日
メルヘン・昔話のかたち
メルヘンには、わたしたちが現世的な頭で考える以上の深い内容が、
できるかぎりのシンプルなことばの並び・文章で組み立てられています。
そのシンプルさによって、逆に、聴く人が、
物語の絵姿をこころの内に豊かにアクティブに描くことができます。
そして、人は、そこに語られていることがらの深さをどこか予感し、
郷愁を覚え、魅せられるのです。
そして、目に見て、黙読するための文章ではなく、
声に出して、語るための文章なので、
そのリズミカルなことばの運び、音の連なりは、
聴く人の生命をいきいきとさせます。
また、今は多くの人にはもう使われていないようなことば遣いも、
そのようなメルヘンには多く見られます。
メルヘン・昔話独特のことば遣いです。
しかし、それらのことば遣いが、人の知性に訴えるというよりかは、
より人の情と意欲に働きかけるということも、
端的に感じられるところです。
人が自分からアクティブに描く絵姿。
平凡なものではなく、非凡なものにこそ潜んでいる輝き。
リズミカルに、人の情と意欲に働きかけることばの運用。
それらが、メルヘンの言語造形を通して、
人の意識の奥底に、生きることへの深い励ましを贈ります。
明日もメルヘンを大阪にてお贈りしますが、
これからも、各地で、頻繁に、
メルヘン・昔話を聴いていただくことが出来るよう、やっていきますので、
皆さん、楽しみにしていてくださいね。
できるかぎりのシンプルなことばの並び・文章で組み立てられています。
そのシンプルさによって、逆に、聴く人が、
物語の絵姿をこころの内に豊かにアクティブに描くことができます。
そして、人は、そこに語られていることがらの深さをどこか予感し、
郷愁を覚え、魅せられるのです。
そして、目に見て、黙読するための文章ではなく、
声に出して、語るための文章なので、
そのリズミカルなことばの運び、音の連なりは、
聴く人の生命をいきいきとさせます。
また、今は多くの人にはもう使われていないようなことば遣いも、
そのようなメルヘンには多く見られます。
メルヘン・昔話独特のことば遣いです。
しかし、それらのことば遣いが、人の知性に訴えるというよりかは、
より人の情と意欲に働きかけるということも、
端的に感じられるところです。
人が自分からアクティブに描く絵姿。
平凡なものではなく、非凡なものにこそ潜んでいる輝き。
リズミカルに、人の情と意欲に働きかけることばの運用。
それらが、メルヘンの言語造形を通して、
人の意識の奥底に、生きることへの深い励ましを贈ります。
明日もメルヘンを大阪にてお贈りしますが、
これからも、各地で、頻繁に、
メルヘン・昔話を聴いていただくことが出来るよう、やっていきますので、
皆さん、楽しみにしていてくださいね。
2009年03月19日
小さなサークルの勧め
自分自身の内なるところ「こころ」に目を注いでいくことが、
アントロポゾフィーの学びにおいて、まずもって、大事なところですよね。
でも、内なるところに目を注ぎすぎて、
外の世界が目に入らなくなってしまう、
外の世界との交流が途切れがちになってしまう、
孤立してしまう、
そんな危険性も、この学びにはあるかもしれません。
この学びは、個人が個人として立つためのものですが、
それには他者との共同、他者からのサポートから得られる励ましがとても大切な要素だと思うのです。
まず、小さくてもいいから、学びのためのサークルを作れるならば、
そこで、ひとりひとりが、たっぷりと、他者に話を聴いてもらえる時間を設定すること。
近況や、こころに思っていること、感じていることについて、
たどたどしくてもいい、自分の話すことばを、
(アドバイスやサジェッションなどなく)複数の人が傾聴してくれている、
そんな時間を創っていくこと。
(もちろん、何もことばが出ないのなら、話さなくてもいいのです)
これが、とても大事です。
人は、まず、こころの中にあるもの・ことばを肯定されることもなく、否定されることもなく、
ただただ受けとめてもらいたい。
それが実現することによって、
どれほどたくさんの人のこころが、
不安や恐れから解き放たれるきっかけをつかめるだろう。
そこからこそ、
人は、自分自身の内なるところへ目を注ぐことができる余裕が出てくるのではないか。
そして、一対一でもなく、たくさんの人数でもない、
継続性・持続性のあるそんな小さな学びのサークルにおいてこそ、
負担や物足りなさを感じたりすることなく、
こころの学びを共に内的に励ましあいながら続けていけるんじゃないか。
そんな風に考えながら、「ことばの家」もやっています。
アントロポゾフィーの学びにおいて、まずもって、大事なところですよね。
でも、内なるところに目を注ぎすぎて、
外の世界が目に入らなくなってしまう、
外の世界との交流が途切れがちになってしまう、
孤立してしまう、
そんな危険性も、この学びにはあるかもしれません。
この学びは、個人が個人として立つためのものですが、
それには他者との共同、他者からのサポートから得られる励ましがとても大切な要素だと思うのです。
まず、小さくてもいいから、学びのためのサークルを作れるならば、
そこで、ひとりひとりが、たっぷりと、他者に話を聴いてもらえる時間を設定すること。
近況や、こころに思っていること、感じていることについて、
たどたどしくてもいい、自分の話すことばを、
(アドバイスやサジェッションなどなく)複数の人が傾聴してくれている、
そんな時間を創っていくこと。
(もちろん、何もことばが出ないのなら、話さなくてもいいのです)
これが、とても大事です。
人は、まず、こころの中にあるもの・ことばを肯定されることもなく、否定されることもなく、
ただただ受けとめてもらいたい。
それが実現することによって、
どれほどたくさんの人のこころが、
不安や恐れから解き放たれるきっかけをつかめるだろう。
そこからこそ、
人は、自分自身の内なるところへ目を注ぐことができる余裕が出てくるのではないか。
そして、一対一でもなく、たくさんの人数でもない、
継続性・持続性のあるそんな小さな学びのサークルにおいてこそ、
負担や物足りなさを感じたりすることなく、
こころの学びを共に内的に励ましあいながら続けていけるんじゃないか。
そんな風に考えながら、「ことばの家」もやっています。
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2009年03月07日
自立したひとつの芸術
人間の限られた力だけによってするのではなく、
自らを、世の創造力のためのひとつの道具にすることができれば、
はじめに意図していたものよりもはるかに多くのことが、
事柄そのものから芽生え、繰り成していくようになります。
(ルードルフ・シュタイナー)
これは、シュタイナーが、
オイリュトミーを創りだし、発展させていくことについて語っているときに出てきたことばですが、
(他のだれでもなく、この「わたし」が)
言語造形を創りだし、発展させていくことにおいても、
まったく当てはまることです。
わたしの限られた力だけによってするのではなく、
世と、宇宙と、つながりをもって、やっていく。
自らを世に働く創造の力のための道具にしていく。
それが、まさに、稽古することの意味だと感じています。
稽古を重ねるほどに自らが空(から)の器になっていく。
その空になったところにこそ、
世の創造力が、ことばの精神が、流れ込んでくる。
そして、空気の震えとなって、ことばが、外の世に響き出づる。
芸術とは、時と場を踏み台にしながらも、それらを越えて、世に作用し続けていくもの。
そのとき、ことばは、目には見えず、耳には聞こえないあり方で、
世に働きかけていく。
自らを空の器にするための言語造形における練習の素材には、
シュタイナーが用意した数十の文章、
そして日本語では「外郎売」(!)などがあり、
それらを毎日繰り返し繰り返し、立って動きつつ口にのせて稽古します。
音韻のひとつひとつの造形、
ことばとことばの連なりから立ち上がってくる情のありよう、
ことばの勢いと間(ま)のバランス、
それらにリアルタイムに沿いながら、練習していきます。
ことばの精神という世のおおもとにあるものが響き出づる。
そこに向かって、こころから励んで、そのような稽古を重ねていくことによって、
ことばを話すということが、
自立したひとつの芸術なんだということを、
自らの身を通して、強く人々に伝えて行きたい。
そんなことを、上のシュタイナーのことばから、喚び起こされました。

