2018年09月25日

幼な子との共同作業

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聴くといふ行為は、まぎれもなく、愛です。
 
ある保育所での幼な子たちとの時間。
 
かういふ時に、特に、言語造形をやつてゐて、よかつたなあ、幸せだなあと思ふのです。
 
活き活きとした息遣ひとことばの精神(言霊)に導かれて、幼な子たちのこころもからだも弾みます。
 
幼な子たちは、耳でお話しを聴いてゐません。
 
全身で聴いてゐるのです。全身が耳なのです。 
 
だからこそ、知性の勝る賢い大人とは違ひ、幼な子は、共に舞台を創つてくれます。
 
演じ手と共に、聴き手が創造に参加してくれるのです。
 
こんな豊かさはありません。

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2018年09月24日

新しい人形劇芸術 〜山崎淳子さんの「三匹のやぎのがらがらどん」〜


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小さな保育室 こっこでの今日の講座『ことばと子どもの育ち 』、無事終わりました。
 
山崎さんによる人形劇「三匹のやぎとがらがらどん」が、本当に素晴らしかつたのです。
 
演者の深くて活き活きとした息遣ひに導かれて、空間に静かに響き渡ることばと人形の動き。
 
そのことば遣ひと、一挙手一投足が、ひと呼吸ひと呼吸の息遣ひに貫かれてゐます。
 
いのちの営みである呼吸が、物語りのことばと人形の動きを芸術的なスタイルの上で織り合はせ、音楽的な調べを生み出す様をありありと、まざまざと目の当たりにすることができました。
 
また、その息遣ひに貫かれた人形の動きは、いはゆる写実的なものから離れ、法則に沿つて抑制された芸術的な動きであり、それゆゑ、いつさう観る人の想像力を掻き立ててくれます。
 
言語造形を通して演じられる人形劇は、大人が観ても、こころ揺さぶられる芸術であることを、今日の山崎さんによる上演が無言の内に教へてくれました。
 
願はくは、このやうな人形劇芸術が幼児教育の場に拡がつてゆきますやうに・・・。
 
来て下さつた皆さん、そして山崎さん、どうもありがたうございました。

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2018年09月23日

音楽による空間造形のリアリティー 〜箕面高校OB吹奏楽団第8回演奏会〜


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小西 収さんが指揮する、箕面高校OB吹奏楽団第8回演奏会を次女と共に聴きに行きました。
 
場所は、箕面市立メイプルホール。音の響きが素晴らしい会場でした。
 
そして、なにより、驚愕の小西さんの指揮。
 
全身全霊の指揮によつて、楽団のポテンシャルを引き出す、引き出す!
 
音楽に関して、全く語彙力のない自分が情けないのですが、彼の指揮によつて、楽器を奏でる楽団員ひとりひとりの背後の空間から、その都度その都度、音楽的建築物が立ち上がつてくるのです。
 
この音楽による空間造形の圧倒的なリアリティーに、涙が溢れてきます。
 
小西さんはじめ箕面高校を卒業してから40年以上経つOBの方々から現役高校生まで、楽団一丸となつて音の芸術に喜びと共に奉仕してゐる姿。
 
音楽に対する情熱と愛。
 
それは、本当に、かけがへのないものだと感じました。
 
演奏に一心に取り組んで下さつた皆さんにこころから感謝します。
 

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前夜の準備


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仕事をする上でわたしが大切にしてゐることのひとつに、前日の晩、眠る前に、次に日に会ふひとりひとりの人のお顔、姿、声、表情などを親しく想ひ浮かべるといふことがあります。
 
さらに、そのおひとりおひとりの後ろにをられる、目には見えない存在の方々とわたしの仕事が結びつくやうお祈りをします。
 
ちょつと、ぎょつと思はれるかもしれませんが、そのやうな精神の世の方々との共同作業こそが、これまでのわたしの仕事を支えてきてくれたやうに思ひます。
 
また、メルヘンや昔話を、夜寝る前に改めて味はふことがとてもよくて、その行為によつて、お話しの中に息づいてゐる精神の世の方々との協働が翌日生まれます。
 
例へば、グリムメルヘンの『ルンペルシュティルツヘン』。
 
夜の間に藁(わら)を紡いで金にすることができる小人、ルンペルシュティルツヘン。
 
メルヘンを味はふ、わたしの内なる藁を、金に変えてくれる。
 
願ひではなく、そんな確信をもつての前夜の準備です。
 

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2018年09月12日

9月24日(月・祝)箕面 ことばと子どもの育ち


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言語造形による山崎さんの人形劇
「三匹の山羊のがらがらどん」上演があります

 
緑豊かな箕面の山のふもとにある、新稲(にいな)の一軒家の子どものための小さな場所「小さな保育室 こっこ」。
 
ここは、山崎淳子さんによつてルドルフ・シュタイナーの人間観に基づく保育(シュタイナー乳幼児教育)がなされてゐる私設の保育室です。
 
ここで、山崎さんによる人形劇『三匹のやぎのがらがらどん』の上演と保育についてのお話し、そして諏訪耕志による、ことばと子どもの成長の関係についての講座、さらに子どもへの物語り・絵本などの読み聞かせ・語り聴かせを学ぶ一日講習をいたします。
 
来たる秋の一日、子どもの育ちにとつて、いかにことばの響きがたいせつなものであるのかを、こころとからだまるごとで、ご一緒に学んでみませんか。
 
 
【静けさのなかで全身でお話を聴く 山崎淳子】
耳をすまして歌やことば、お話を聞く機会が少ない今だからでしょうか、「昔話の語りを聞くことが嬉しい、もっと聞きたい。」という大人の方からの声をいただくことが増えました。少しの時間、静けさのある空間で、日常を離れ「全身でお話を聴く」…そんな機会になればと思います。
  
 
【ことばと子どもの育ち 諏訪耕志】
子どもは、ことばと共に育っていきます。大人が話すことばを全身で聴きながら育っていきます。大人が営む息遣いに包まれて育っていきます。お話しの朗読や絵本の読み聞かせを通して、わたしたち自身の息遣いとことば遣いを見直してみましょう。そうして、今日から新しく、子どもと一緒にことばの世界を楽しんでいきましょう。
 
 
●日時
9月24日(月・祝) 10時から13時
 
●場所
小さな保育室 こっこ 
大阪府箕面市新稲(お申し込みして下さつた方に詳しくお伝へします)
 
●参加費
大人のみ 4000円(今回はお子様のご参加はご遠慮をお願いしております) 
 
●お問い合わせ・お申し込み
nonnotokokko☆gmail.com 山崎 (☆マークを@に変換して下さい。)
info@kotobanoie .net 「ことばの家 諏訪」
tel 06-7505-6405
 
 
 
講師プロフィール 
 
●山崎淳子(やまざきじゅんこ)
1971年 箕面市に生まれ育つ。私立幼稚園教諭を経て、市の児童発達支援事業所に保育士として12年間勤務。2009年より「みのおシュタイナーこども園」の保育助手、2013年からの3年間は担任を務める。2012年より言語造形家・諏訪耕志氏に師事、昔話の語りを学ぶ。2016年 日本シュタイナー幼児教育協会教員養成講座修了。2018年4月 ルドルフ・シュタイナーの人間観に基づく私設の保育室「こっこ」を開室、現在は「親子のクラス」を行っている。
 
●諏訪耕志(すわこうじ)
1964年大阪市生まれ。1994年よりルドルフ・シュタイナーハウスにて言語造形家鈴木一博氏に師事。2004年より「ことばの家 諏訪」として関西を中心に自身の活動・言語造形を始める。言語造形の舞台、ワークショップ、シュタイナーのアントロポゾフィー講義などを生業としている。日本語の美と風雅(みやび)を甦らせ、子どもたちに伝えていくことが念願。

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2018年09月09日

和歌山での生誕劇に向けての取り組み 9月


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和歌山の親子えんげき塾 ことばの泉は、12月28日のキリスト生誕劇上演に向けて、ずつと稽古を重ねてゐます。
 
誰もが、芸術に取り組むことができる。
 
その取り組みのなかでこそ、しだいに大切な何かに気づいていくことが重なつていきます。
 
その気づきを重ねていく人の姿は、本当に美しいです。
 
メンバーが書いて下さつた昨日のお稽古からの文章です。
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーー 
 
9月の稽古日。
 
人間の苦しみ、不安、悲しみ、怒り、絶望。
ひとつひとつの感情に、
必死にしがみつくように、
演じる。
 
祈りをこめて
歌う。
 
皆が真剣に、
この劇と向き合い、
支え合い
創っている。
 
言語造形は楽しい、
元気になる、
面白い、、
というだけではない何かがある。
 
私たちの命が響きあうように、
ことばが行き交う。
 
壮大な運命を受け入れた
マリアとヨゼフをどう演じるか、
 
羊飼いのキャラクターをどう際立たせるか、
 
必死でもがき苦しみ、それぞれが答えを探し出す。
 
素人の私たちには、本当に大変だ。
 
でもそれは孤独ではない。
 
そこにいる皆が
一人ひとりに心を寄せて、
物語を生きるから。
 
人間の奥にある精神にふれる活動を
仲間と共に必死に行う。
 
これが
演劇というもの、
本番があるということがもたらす
めぐみなのだろうか。
 
そして、この精神の活動の
最後の参加者がきっと
この生誕劇に導かれた
観客のみなさんなんだと思います。
 
まだまだ練習は続きます。。
母ちゃんたち、
がんばらねば。
 

 

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2018年09月08日

形を見る詩人の直覚 〜小林秀雄『歴史の魂』を読んで〜

 
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 _______________________
 
あの本(本居宣長『古事記伝』)が立派なのは、はじめて彼が「古事記」の立派な考証をしたといふ処だけにあるのではない。今日の学者にもあれより正確な考証は可能であります。
 
然しあの考証に表れた宣長の古典に対する驚くべき愛情は、無比のものなのである。彼には、「古事記」の美しい形といふものが、全身で感じられてゐたのです。さかしらな批判解釈を絶した美しい形といふものをしつかりと感じてゐた。そこに宣長の一番深い思想があるといふことを僕は感じた。僕はさういふ思想は現代では非常に判りにくいのぢゃないかと思ふ。
 
美しい形を見るよりも先づ、それを現代流に解釈する、自己流に解釈する、所謂解釈だらけの世の中には、「古事記伝」の底を流れてゐる様な本当の強い宣長の精神は判りにくいのぢゃないかと思ひます。
(中略)
 
・・・歴史を記憶し整理する事はやさしいが、歴史を鮮やかに思ひ出すといふ事は難しい、これには詩人の直覚が要るのであります。

 
________________________
 
 
解釈・判断をしばらく置いておき、「形を見ること」「動きを聴くこと」に習熟していく。
 
そして、考へる力がゆっくりと熟してくるのを待つ。
 
あらかじめの考へや意見を、ものや人に当て嵌めてものを言ふのは、そのものや人だけでなく、自分自身を損なつてしまふ。
 
解釈や思惑を置いておき、そのときに見えてくる形、聴こえてくる動きを直覚する。
 
その感覚が、美しいものに触れることへとだんだんと近づいていく。
 
古典に対する、芸術に対する、ものといふものに対する、とても大事なあり方だと思ひます。
 

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2018年09月05日

夕方の空


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嵐が過ぎ去りし明くる日の夕方の空。
 
夕去りて 仰ぐ大空 なにゆゑか
まなこ浸み入る のかなしみ 


諏訪耕志


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嵐のあとの万代池


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一夜明けて、すぐ近くの万代池の様子。
 
唖然とした。凄まじい。
 
こんな万代池を見るといふことが信じられない、と通りがかりの人(同じ年代で、わたしと一緒で生まれた時から同じこの地域にずつと住んでゐる方)と話しした。
 
子どもの頃から見慣れ、親しんでゐたこれらの樹木が倒れてしまつた。

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2018年09月04日

風の神の物凄さ 〜台風21号〜


こんな凄い台風は生まれて初めてでした。
 
家の窓のガラスが風圧で湾曲してる!(古すぎる家で雨戸が閉まらない!)
 
猛烈な風の音と共に、家がきしんで悲鳴を上げてゐる!
 
二階の大きなトタンの屋根と木の庇が吹っ飛んで、空にぐるぐると舞いあがつてゐる!
 
天井から雨水が流れ出してゐる!
 
家族四人で、家にゐながら、まるでボロボロの一艘の舟に乗り込んで荒波を越えながら懸命に航海してゐるやうな(ちょつと大袈裟に聞こえるかもしれませんが)、そんな三時間でした。
 
娘たちも窓ガラスにテープを貼つたり、床に溢れ出る雨水を拭き取つたり、懸命に働いてゐました。
 
嵐が過ぎ去つたあと表に出てみると、驚きました。
 
お隣の家や家の前の道路に、何枚もの全長四、五メートルあるトタン屋根や、バラバラになつた木材や瓦が散乱して、車が通れなくなつてゐます。
 
しかし、まだ雨の降る中、次々に近所の方々が出てきて下さり(通りがかりの人も)、片づけを手伝つてくれました。
 
自然災害に遭つたときのために、色々な用心を前もつてしておかなければならないのですね。わたしは、台風のことを甘く見てゐました。
 
またこんな時にこそ、人の暖かさを感じることができて、日頃のご近所様とのお付き合ひがあるからこそだと(特に我が家では妻が気を配つてくれてゐます)、強く念はされました。
 
汗まみれ、泥だらけの一日でした。

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2018年09月01日

仕事と暮らしの関係


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絵:東山魁夷『緑響く』(1982)

言語造形の舞台をしてゐて、どうあがいてみても、美しく歌ふことができない時があります。
 
準備も重ねてきたし、意識の上でも前向きになつてゐるのに、どうしてだらう・・・。
 
しかし、本当は分かつてゐるのです。
 
生活に原因がある。毎日の生活のなかで重ねられていく意識はやがて無意識の底に沈められていきますが、その沈められてゐるものの質に原因がある。
 
生活がまつすぐになつてゐない。生活の中で余計なことをしすぎてゐる。余計なことを思ひすぎてゐる。
 
そして、作品に対するまごころ、ことばに対する敬意への意識がどこか不鮮明になつてゐるのです。
 
かういふときに、立ち戻る場所のひとつとして、わたしには昭和の文人・保田與重郎のことばがあります。
 
全集第二十巻にある『古典論』を開いてみました。
 
ーーーーーーー 
心持が如何にことばの風雅(みやび)の上に現れてゐるかは、心持の深さや美しさのものさしとなるし、作者が神の創造の思想に達してゐる度合のめもりである。
 
かくして言葉に神のものが現れるといふ言霊の風雅(みやび)の説、人各々の精神の努力と誠心とから遊離せぬものである。
 
人各々の心にある神が、ことばにも現れたときに、その歌は真の美しい歌となるといふ意味だからである。
 
我が内に鎮(しづ)まる神が現れることは、かりそめの誠意ではあり得ないことであつた。
ーーーーーーー
 
與重郎のことばは、わたしにとつて清潔で志の通つた山であり、谷であり、川であり、海であります。そこに帰つていくことで、わたしは漸くそのことばの内に宿つてゐるいのちの泉から清冽な水を汲み、喉を潤すことができます。
 
ただ、何度も、よく読まなければなりません。
 
ことばに沿つて、ことばのうしろにある、ことばの真意をとくと味はひ、骨身に徹して感じることは、実はそれほど易しいことではありません。
 
わたしといふひとりの人間。
 
その暮らしのひとこま、ひとこまに、どのやうなこころが抱かれ、育まれてゐるのか。
 
美(まこと)は、いかにして、我が身を通して生きうるものなのか、醜(うそ)は、なにゆゑ、我が身に忍び寄り、寄生しようとするのか。
 
「かりそめの誠意」ではなく、自分の、まごころとは。
 
稽古を毎日し続け、舞台に立ち続ける、といふことによつてこそ、暮らしの中で育み続けることのできるこころの領域。
 
ここでの、「稽古」「舞台」とは、すべての人に通じる「仕事」のことであります。
 
どんな険しい経験も、新しい認識となつてくれるといふことは、何とありがたいことでせう。
 

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2018年08月28日

人はみな言語造形をしてゐた 〜寅さんの生業〜



 
感情を交へずに、淡々と声にすることを旨とすべし。
 
シュタイナー教育において子どもに向かつて物語を語りかけるときに、このことをこれまでよく本などで目にしましたし、人がさう言ふのを耳にしました。
 
しかし、シュタイナー自身がかう語つてゐます。ことばの味はひを本来的に感じはじめる小学生のこころと精神をあまりに強くからだに受肉させることから守るために、いかに語りかけるか、といふことに関して、です。
 
ーーーーーーー
歴史の物語に子どもが強く情をもつてかかはるやうに、教師自身が、人物について、強く情から心を寄せ、敬ひ、あるいはまた憎むに値する人物のことを述べるときには、敬ひ、あるいは憎しみを湛えて語ることです。そのことをもつて歴史の授業は、子どもが物質的になりすぎないことに、ことのほか役立ちます。(『メディテーションをもつてものにする人間学』鈴木一博訳)
ーーーーーーーー
  
シュタイナーが語つてゐることがらを長い時をかけてわたし自身で確かめてみるに、語り手自身が、言語造形を通して、ことばに沿ふことによつて、おのづから抱かれる深い情を湛えながらことばを発すること、それは決して聴き手への情の押し売り、頭でつかちな考への押し付けには決してなりません。
 
芸術とは、人の知性にではなく、情に訴へてくるもの。要(かなめ)は、語り手の独りよがりな情ではなく、作品そのもの、ことばそのものに潜んでゐる、まことの情が、ものをいふことです。まことの情こそが、小学生を育てます。まことの情こそが、子どもたちと、分かち合はれ、その分かち合ひは、わたしたちのふるさとである精神の世を想ひ起こさせます。
 
また、シュタイナーはかうも言つてゐます。今度は、子どもをある程度、その子その子に応じてふさわしく地上的にするために、いかに語りかけるかです。
 
ーーーーーーー
子どもがあまりに夢見がちであると気づいたなら、その子が言語の唱へられるところ、音楽的なところ、リズム、拍を受け止めることのはうへと目覚めるやうに試みます。言語の音楽的なところは、<わたし>をからだに入り込ませるのに役立ちます。育てる人としては、それを芸術として身につけることが欠かせません。(同書)
ーーーーーーー
 
ことばの音楽的な側面。それは、子どもの意欲を強め、萎えがちなところにいのちを吹き込むだけでなく、子どもを意識の目覚めへとゆつくりと導きます。
 
ーーーーーーー
いにしへには、人がそもそもリズムなしに話すなどありえない代々がありました。人がリズムのうちに話さうとする向きをもつてゐました。たとへば何ごとかを言ふのに、言語造形によらずに言ふことはありえませんでした。(『言語造形と演劇芸術』鈴木一博訳)
ーーーーーーー
 
本当の意味での、人といふものの育み。それには、生の中に、授業の中に、いのちを吹き込む芸術的な情が欠かせません。
 
と、いふところで、あまりにも急な展開かと思はれるのも無理はありませんが、そんな情をあまりにも豊かに湛えてゐた達人のひとりを紹介いたします。
 
寅さんです!
 
こころ(アストラルのからだ)からのはずみを基に話されてこそ、ことばは生きて来ること。
 
そのことのモデルケースを見せてくれてゐます。
 
子どもたちを育て、人を活き活きと活かすためには、このことばを話す「はずみ」が促されることが、教育の上で取り上げられていい、さう思ひます。
 
寅さんが、先生だつたらなあ。

 


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2018年08月23日

本番

 
本番の舞台があるといふこと、試合があるといふこと、決戦があるといふこと、試験があるといふこと、それらは、本当にありがたいことである。
 
それらがあるからこそ、人は本気になつて努力することができる。
 
根本的には、他人に認められることを求めて努力するのではない。
 
人は、本気になつて、自分自身を生き切りたいのだ。
 
神とこそ交はりたいのだ。
 
練習のための練習では、埒があかない。
 
数知れず失敗を繰り返しながら、準備を重ね、本番に挑み続ける。
 
その連続こそが、人を成長させる。
 
だから、打ち続く暮らしの中に、常にどこかに本番を設定することが、よいやうに思ふ。
 
もつとも、世が、必ずそのやうな舞台を用意してくれてはゐる。
 
そのやうな舞台をそのつど決戦と見据えることができることが、たいせつだと思ふ。

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2018年08月22日

己れのことばを持つ人

 
ことばは、人に考へがあることを知らせる。
 
感情があることを知らせる。
 
欲求があることを知らせる。
 
そして、希ひがあることを知らせる。
 
その希ひとは、精神からのものであることもある。
 
ことばは、人に精神があることを知らせてくれる。
 
だから、己れのことばを持つ人は、自分自身の考へや情や思ひを精確に表現することができるやうになつてゆくだけでなく、自分自身の内側にある豊かなもの、無尽蔵なものに気づくことができるやうになつてくる。
 
そもそも、人とは、ことばを持つことによつて、<わたし>といふものに気づいていくことができ、<わたし>といふ人になりゆくことができる存在なのだ。
 
考へがあつて、ことばにするのではない。
 
ことばを発し、聴くことから、人は、考へることを習ひ、覚えへていくことができる。 
 
ことばの発し方、聴き方に習熟していくほどに、己れの考へ方が明瞭になり、深まり、繊細になる。
 
だから、「はじめにことばありき」であり、とりわけ我が国は、「言霊の幸はふ国」である。
 
日本語を話すといふこと。日本語を深く聴きとるといふこと。
 
国語力といふものが、人が人になりゆく上で、どれほど、たいせつな力か。

「ことばの家 諏訪」では、自分自身を、そして子どもたちをことばを持つ人となるべく育てていく、そんな働きをしていきたいと希つてゐる。
 


※これらのことがらについて深めたい方は、ルドルフ・シュタイナーの『普遍人間学(鈴木一博訳)』第九講をご参照ください。
 





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2018年08月20日

普通じゃない我が家?


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うちは、「ことばの家」なるものを屋号にして、言語造形といふ芸術をなりはひにしてゐるやうな変はつた家。
 
大人である私や妻にとつては、そのやうな家にすると自分たち自身で決めたことだから問題はなんらない。
 
だけど、娘たちにとつては、学校の友達たちの家庭と随分と毛色の変はつてゐる我が家のありやうが、ときに恥づかしく感じたりもする。
 
娘たち曰く、うちは「普通じゃない家」。
 
思春期に入つて来た中一の長女にとつては、特に、そんなことを敏感に感じたりしてゐると思ふ。
 
そんな娘たちが帰ることのできる神奈川県の祖父や祖母のところ。
 
そこには「普通の暮らし」があつて、テレビも観ることができるし、買い物をしにドライブにも連れて行つてもらへるし、羽も伸ばすことができる。
 
「普通じゃない」我が家のあり方と、さうでない「普通のあり方」との両方を体験できること。
 
娘たちにとつて、わたしたち夫婦にとつて、それは、ありがたいことだと思つてゐます。
 
満たされた顔で、娘たちが一週間ぶりで大阪に帰つて来ました。
 
お義父さん、お義母さんに、感謝・・・。


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2018年08月17日

神功皇后の御陵と想芸館


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朝早く起きて、夫婦で奈良市山陵町にある神功皇后(息長足姫)の御陵にお参りするために足を運びました。
 
来年、没後1750周年を迎へられる神功皇后をテーマにした舞台創りを目指してゐるわたしたちなのです。
 
御陵の敷地内に入つた途端、空気が変はり、静かな秋を想はせる爽やかな空と風と光が一気にわたしたちを包んでくれるやうな感覚がするのでした。
 
 

その後、佐紀のひなびた大和路をゆつくりと歩いて、この秋に千晴さんが言語造形の公演『舟』をさせていただく想芸館を訪れました。
 
ここでは普段、奥田 英明 (Eimei Okuda)さんご夫妻によつて浮遊体アートといふ水中オブジェの制作・展覧が行はれてゐます。
 
先日、息子さんの奥田峻史さんとお会ひして、今日はご両親の英明さん、なほさんにお会ひすることができたのでした。
 
19歳の息子さんから伺つてゐたご両親についてのお話しと、ご両親から伺ふ息子さんについてのお話しが、今日は重なりあふやうで、わたしにとつては、とても趣深い時間なのでした。
 
浮遊体アートといふ、非常に繊細な素材を独自のアイデアとこれまた非常に繊細な工夫とで創りあげられた作品についても、少しお話を伺ふことができました。
 
わたしたち夫婦も、おふたりの優しく柔らかなお人柄にすつかり寛がせていただいたのでした。
 
ここで改めましてですが、英明さん、なほさん、峻史さん、今日はどうもありがたうございました。
 
 
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2018年08月15日

言語造形さん


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五年前に書いた記事です。 
 
小学二年生の長女に、まだ少し早いかもしれないが、ミヒャエル・エンデの『モモ』の読み聞かせをここのところ、ずつとしてゐる。5歳の次女も、分かつてても分かつてなくても、じつと耳を澄まして聴いてゐる。
 
今日は、前半のクライマックスと言つてもいい、「時間どろぼう」の章に差し掛かつてきた。
 
「時間どろぼう」の語りかけることばにこころを奪はれてしまつた人は、いかに時間を節約して、いかに無駄を省き、いかに計算通りに効率的に生きていくかに血道を上げていくことになる。
 
その生き方、そのこころのあり方が、他の誰でもない、この本を読んでゐる自分自身のことだとまもなく気づく。 
 
「時間が足りない」「お金が足りない」「・・・が足りない」「足りない」「足りない」・・・。そんな、思考にもならない深い感情のところで、こころが何かに急かされるやうに焦つてゐる。
 
さうして、人は人のこころを失つていき、この世をみづから住みにくい世にしてゐるのだ。
 
どれほど子どもの前で「早くしなさい!」「ぐずぐずするな!」といふことばを連発してゐるだらう。
 
自分自身のあり方が戯画として描かれてゐるのを観て、『モモ』を読むそのたびごとに、こころが治癒されるのである。
 
「時間どろぼう」に取りつかれてゐた自分自身をこの読書が治癒するのである。
 
この本を読むことで、お父さん自身の呼吸がだんだんゆつくりとなり、表情も豊かに優しくなつてくるのを、子どもたちも感じるんだらう。
 
「お父さんやお母さんが『早くしなさい!』なんてゆふ時、時間どろぼうがお父さんやお母さんの背中に張り付いてるねん」なんてことを話しても、娘たちはにこにこして、親のそんなあり方を懐深く広く受け止めてくれる。
 
次女がこんなことを今日言つたので大笑ひした。
「生まれてくる前に、神さまにお願ひしてん。時間どろぼうさんが一杯ゐるところぢやなくて、言語造形さんが一杯ゐるところに生まれますやうにつて。そやからお父さんも言語造形さんになつてん」
 
さうや、さうや、言語造形をするから、普段よりもずつと息を深くして間(ま)をもつてことばを話すことができるな。言語造形さんは、時間どろぼうさんを追ひ払ふんや。
 

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2018年08月14日

9月24日(月・祝)箕面 ことばと子どもの育ち 一日講座


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緑豊かな箕面の山のふもとにある、新稲(にいな)の一軒家の子どものための小さな場所「小さな保育室 こっこ」。
 
ここは、山崎淳子さんによつてルドルフ・シュタイナーの人間観に基づく保育(シュタイナー乳幼児教育)がなされてゐる私設の保育室です。
 
ここで、山崎さんによる人形劇『三匹のやぎのがらがらどん』の上演と保育についてのお話し、そして諏訪耕志による、ことばと子どもの成長の関係についての講座、さらに子どもへの物語り・絵本などの読み聞かせ・語り聴かせを学ぶ一日講習をいたします。
 
来たる秋の一日、子どもの育ちにとつて、いかにことばの響きがたいせつなものであるのかを、こころとからだまるごとで、ご一緒に学んでみませんか。
 
 
【静けさのなかで全身でお話を聴く 山崎淳子】
耳をすまして歌やことば、お話を聞く機会が少ない今だからでしょうか、「昔話の語りを聞くことが嬉しい、もっと聞きたい。」という大人の方からの声をいただくことが増えました。少しの時間、静けさのある空間で、日常を離れ「全身でお話を聴く」…そんな機会になればと思います。
  
 
【ことばと子どもの育ち 諏訪耕志】
子どもは、ことばと共に育っていきます。大人が話すことばを全身で聴きながら育っていきます。大人が営む息遣いに包まれて育っていきます。お話しの朗読や絵本の読み聞かせを通して、わたしたち自身の息遣いとことば遣いを見直してみましょう。そうして、今日から新しく、子どもと一緒にことばの世界を楽しんでいきましょう。
 
 
●日時
9月24日(月・祝) 10時から13時
 
●場所
小さな保育室 こっこ 
大阪府箕面市新稲(お申し込みして下さつた方に詳しくお伝へします)
 
●参加費
大人のみ 4000円(今回はお子様のご参加はご遠慮をお願いしております) 
 
●お問い合わせ・お申し込み
nonnotokokko☆gmail.com 山崎 (☆マークを@に変換して下さい。)
info@kotobanoie .net 「ことばの家 諏訪」
tel 06-7505-6405
 
 
 
講師プロフィール 
 
●山崎淳子(やまざきじゅんこ)
1971年 箕面市に生まれ育つ。私立幼稚園教諭を経て、市の児童発達支援事業所に保育士として12年間勤務。2009年より「みのおシュタイナーこども園」の保育助手、2013年からの3年間は担任を務める。2012年より言語造形家・諏訪耕志氏に師事、昔話の語りを学ぶ。2016年 日本シュタイナー幼児教育協会教員養成講座修了。2018年4月 ルドルフ・シュタイナーの人間観に基づく私設の保育室「こっこ」を開室、現在は「親子のクラス」を行っている。
 
●諏訪耕志(すわこうじ)
1964年大阪市生まれ。1994年よりルドルフ・シュタイナーハウスにて言語造形家鈴木一博氏に師事。2004年より「ことばの家 諏訪」として関西を中心に自身の活動・言語造形を始める。言語造形の舞台、ワークショップ、シュタイナーのアントロポゾフィー講義などを生業としている。日本語の美と風雅(みやび)を甦らせ、子どもたちに伝えていくことが念願。
 
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2018年08月13日

初めての大海神社の月次祭


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今日、初めて、住吉大社の摂社・大海神社(おほわだつみのかみのやしろ)の八月(はづき)の月次祭(つきなみのまつり)に臨むこと叶へり。
 
懸けまくもかしこき海の神、豊玉彦神・豊玉姫神のいと近きところにて、膝まづき祈りを捧げることを許されたり。
 
小出英詞権禰宜の奉る祝詞の響き、五臓六腑に沁み渡ること覚へたり。
 
ありがたきことなり。

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2018年08月12日

母なる蛇の環

 
安易に繋がりを求めることなかれ。
 
安易に応援を求めることなかれ。
 
ひとりになれ。
 
たつたひとりになりきれ。
 
さうしなければ、汝はとこしへに、母なる蛇の環のなかに閉じ込められた男の子にすぎぬ。
 
当時、三十代前半のわたしに、未来のわたしが、さう語りかけてゐた。
 
男は、母なる蛇の環から出なければならぬ。
 
女は、さういふ男の子を甘やかしてはならぬ。

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2018年08月11日

夏の意欲 〜和歌山・親子えんげき塾 ことばの泉〜


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和歌山の親子えんげき塾 ことばの泉のメンバーが、夏の日の輝く今日も生誕劇創りに取り組みました。
 
彼女たちは、みな、初心者です。
 
演劇の、芸術の、初心者です。
 
しかし、どうせやるなら、本物に取り組まうといふ、意欲があるのです。
 
まことに強烈な意欲です。
 
呼吸をアクティブに、ダイナミックに、ことばからことばへ、文から文へ、織りなしていく。
 
それは、会場いつぱいに柔らかい透明な反物を次々と繰り広げてゆくやうな作業です。
 
劇が始まつたならば、終演までの二時間の間ずつと、ひとときたりとも、その作業をおざなりにすることはできません。
 
さらに、ことばといふことばには、すべて身振りが胚胎してゐます。母音ひとつひとつ、子音ひとつひとつに、固有の身振りがあります。
 
その呼吸の織りなしのうちに、母音から母音への繋がりある流れを生きる。子音ひとつひとつの質を際立たせていく。身振りから身振りへと本能のごとく動きを繰りなしていく。
 
それらの要素を引き立てていくには、繰り返し、繰り返しの練習がどうしても必要です。
 
それは、とても体力と気力と精神力の充実を要求します。
 
だからこそ、演劇は、言語造形を通して、芸術になります。
 
ことばの泉のメンバーは、汗を流しながら、いま、夏を生きてゐます。
 
(いつも、ことばの泉のページから写真を拝借させてもらつてゐます。ありがたうございます)39069486_284508182337657_3932582333797892096_n.jpg

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奥田峻史さん「The21st百人一首」


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今日、奥田峻史さんが「ことばの家 諏訪」を訪ねてくれました。
 
彼がひとりで始めたプロジェクト「The21st百人一首」。http://www.toimen.xyz/posts/2704775
 
カメラの前で、自分自身のこころにずつと仕舞つておいた一曲について語るひとりひとりを記録し、編集し、かたちある作品にしていく、といふものです。
 
こころの内にいつたん降りてゆき、想ひ出を汲み上げながら、ぽつりぽつりと出す声が記録されます。ことばが記録されます。表情が記録されます。空気が記録されます。
 
人生のある時期にこころの核心部分に触れた音楽、その音楽について語るとき、人は口ごもります。ことばを探します。
 
しかし、彼の穏やかな佇まひ、そしてこころの静かさが、わたしたちのこころと口を緩め、開かせてくれるのです。
 
聴き手である奥田さんと、ひとりひとりの語り手との静かな共同作業でありました。
 
彼は、この営みを「アート」とは言ひ切つてしまひたくないと語つてくれました。
 
さういふカテゴライズされたものとしてではなく、生身の人のこころとこころとが出逢ふ、その瞬間を感じること、そのことを彼の心身に集積していきたい、そんな希みを感じました。
 
彼は、19歳です。
 
ご関心のあられる方、どうぞ、わたしか、妻か、奥田さんご本人に連絡をしてみてください。

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2018年08月09日

感想文といふもの

このたびの『名人伝』公演終演後にいただいた感想文をもう少し掲載させていただきます。

●語りが始まったとたん、自分の耳だけでなく、全身、いや、からだが上下左右大きくのび拡がって聴いてる、というような不思議な体験をしました。圧倒されました。後半はもう語り手の諏訪さんと自分と部屋の空間の区別がつかないような状態になりました。
(y.j.さん)

●中島敦が諏訪さんに乗り移ったような、一つの物・弓・言語造形を追い求めていく姿が、重なりあっていたような気がしました。独特の世界にひきこまれました。
(m.k.さん)

●中島敦のことは全く知りませんでしたが、諏訪さんの彼についての前もっての説明を聴き、何と不運な方で、無念を残して、この世を去ったんだ、と知りました。諏訪さんの話芸も一段とそのすご味を増して、名人の域に達して来た気がします。落語、講談とは、また違った芸であると思います。応援しています!!
(m.m.さん)

●今日は人生の課題をもって観させていただきました。本格的に芸術家としてやっていけるのか、どうか、というわたしの課題です。そして、大きなヒントをいただきました。芸術家のやりたいことは、「目にみえないものをみんなにわかるように表現すること」、それに尽きる。そのことがわかりました。その媒体が、諏訪さんの場合は「ことば」であること。そして本当の媒体は「カラダ」なのだということです。そんなヒントをいただきました。
(m.s.さん)
 
公演が終演したすぐ後にお客様に感想文を書いていただくなど、あまりにも素早い応答をお客様に求めすぎてゐはしないか。

そんな懸念があるにはあるのですが、もう少し違ふ角度から、わたしは感想文を読ませてもらふことを楽しみにしてゐます。

ここでも、恐縮するようなことばを頂いてゐるのですが、書かれたことば、話されたことばといふものは、どこか、瞬間的にも、その人のこころのありやうをまざまざと写すものです。

そのやうな感想文は飾られた上っ面なものに過ぎない、などといふことを言ふ人がゐますが、どのぐらいのこころの深さで文字が綴られてゐるのかは読めば、たいてい人は感じます。

たとへ辛口の感想であつても、まごころを感じる感想文を終演後、読ませていただくことが、とても楽しみなのです。

その楽しみとは、演者であるわたしに対する賛辞を期待してのことと言ふよりかは、観客おひとりおひとりとの、芸術を通しての、ことばを通しての、真剣な出会ひを求めてのことです。




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2018年08月07日

美という理想と偉大なる敗北 〜映画『風立ちぬ』を観て〜


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五年前、ジブリの映画『風立ちぬ』を観た時の「美」について感じた拙文章です。
 
その映画の中で、主人公が何度か「美しい」といふことばを言つてゐました。
 
「美」とはなんだらう。
 
「美といふ考へ・イデ―」・・・。
 
考へ・イデ―といふものは、そもそも、目に見えません。それらは精神の世にあります。
 
この世に実現されるべき「理想」といつてもいいのではないでせうか。
 
その考へ・イデ―・理想が見事に整ひつつも活き活きと躍動しながら、この世の何かに宿つてゐるのを見いだした時に、そのイデーをことばにできず、ことばになる前に人は「美しい」と感じてしまふ。
 
主人公は、大空を駆け巡る飛行機のフォルムと機能性にその「美」を追ひ求めてゐます。
 
さう、飛行機といふイデ―そのものが、きつと、「美」を体現しうるものだといふ憧れと予感を手放さずに、その「美」を実現するために飛行機の設計に取り組みつづけます。
 
飛行機が戦闘機として人を殺戮するための兵器であることを求められたとしても、彼は、子どもの頃からこころのうちに大切に育んできた「美といふ理想」を決して手放さず、その「理想」の実現のために毎日を静かに、しかし、懸命に生きます。
 
それは、人が空を飛ぶといふイデ―そのものが、もう既に「美」であり、「人であることの更なる可能性」であると彼が感じてゐるからなのでせうか・・・。
 
そして、彼はこころの次元に於て、既に空を飛んでゐます。美しく大空を駆け巡つてゐます。
 
既にこころに於て理想を生きてゐる人が、己れのこころのありかたに等しい世界を求めるのでせう。
 
「美」を求める生活、「美」を追ひ求める生き方、それは、表層のものではなく、既にもうこころに宿つてしまつてゐる「理想としてのわたし」を、ただ表の世界に実現する、その人その人のありかたなのでせう。
 
こころの奥に「美」を既にもつてゐる人こそが、その「美」に等しいものを外の世界にも見いだし、創りださうとする。
 
そのやうな、美を求める唯美的、理想主義的精神は、この世の経済戦争、政治戦争、そして人と人とが実際に殺し合ふ本物の戦争に於ては、必ず、敗れ去るでせう。
 
しかし、この世では敗れ去るからこそ、逆に精神として勝ち、時の試煉を経て必ず人から人へと引き継がれていく不朽の生命を得る。
 
そのやうな逆説をわたしたちはどこまで本気になつて受け止めることができるでせうか。
 
映画から、そのやうなことを感じました。
 
宮崎駿氏の言ふことや書く文章は、個人的にはわたしはあひ入れられないところが多々あります。
 
一見グローバルに拡がる意識の連帯・共有を目指しながら、その実、狭い戦後的言論空間に無意識的に閉じ込められてゐる知識人特有の悲しさを感じてしまふのです。
 
しかし、彼が、それこそ、意識の向かうから引つ張られるやうに描いてしまふ画像の連なりから必然的に生まれて来る物語には、ほとほと魅せられてしまひます。
 
不思議なことです。
 

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2018年08月06日

名張『名人伝』ご感想のご紹介


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本日の名張の桔梗が丘「ゆいのいえ」での『名人伝』公演、無事終へることができました。

ことばの芸術「言語造形」を分かち合へる、このやうな時間と空間を人様と共にできること。

そのことが、わたしには何よりもありがたく、嬉しく、たいせつなことなのです。
 
なぜならば、言語造形といふことばの芸術が、この国に根を張ること、生まれいづること、花開き、実を稔らせることを念願してゐるからなのです。
 
そして、舞台にのぼるごとに、精神がしつかりとありあはせることの難しさを感じます。己れを大いなるものに捧げ切ることの難しさです。今日もさうでした。

しかし、何がどうあらうとも、かうして言語造形の舞台に立ち続けること、それがわたしの天職です。

稽古を重ねるたびごとに、舞台を重ねるたびごとに、わたし自身に(望むべくは、観客の皆さんにも)作品の深み、ことばの深み、芸術の深みが、見えてくるのです。

「ああ、この文章、この一文、このことばは、こんなふうに表現されたがつてゐたのか・・・!」といふ気づきの重なり。

ありがたくも、ご感想を頂いてゐます。ここにご紹介させていただきます。
 

●原作を先に読ませて頂いた上で、今回の公演に臨みました。物語が活きている、そんな実感を抱きました。喜怒哀楽、焦燥感、恐怖など、主人公のみならず、登場人物すべての感情が如実に現れていました。見えない存在が目前にいるような、そんな気さえしました。
時間を忘れ、空間を忘れ、ただ発せられる言葉の「圧」を十二分に味わうことができました。
(m.s.さん)

●すばらしかったです。まさに「言語造形」。情景がとても立体的に目に浮かんできました。一人一人の人物もくっきりみえました。そして、ひとつの道を極めていく、その終着点が、まさか、「忘れる」ことにあるとは!!とても深い宇宙の真理だと感じました。文学をもっと読みたい。そう改めて思います。
(t.c.さん)

●遅れてきました。ご迷惑をおかけしてすみません!でも、来てよかったです。諦めかけていたのですが、遅れてでも、来て本当によかった。語りが心に深く突き刺さり、情景が目前に広がり、主人公の紀昌(きしょう)が辿りついた境地が、本来私たちが辿りつくべきところなのだと感じ、心が熱くなりました。
(h.y.さん)

●作者の解説をしていただいたので、背景がとても分かりやすく、物語に入りやすかったです。そして語りの一言一言のことばの迫力に吸い込まれそうでした。また、腰から話すという意味がよく分かりました。エネルギーが一体になってゆく、間、空間の大切さも学びました。中島敦という作家に惹かれる諏訪さんの気持ちがよく分かります。
(n.m.さん)


本当に遠くから来て下さつた方がゐらっしゃいました。
 
本当に久しぶりに来て下さつた方がゐらっしゃいました。

来て下さつた皆様、会場を準備して下さつた皆さん、本当に、どうもありがたうございました。

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2018年08月04日

ひとりの人が世界を変へる Douglas Newton


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ひとりの人が世界を変へる。
 
今回の「ねっこぼっこ合宿」では、そのことばが本当であることを知りました。
 
Douglas Newton、ひとりがゐるだけで、子どもたちの生きる歓びが甦る。
 
世の自然のいちいちに驚くことのできるこころ。
 
人の生まれながらのみずみずしさに涙することのできるこころ。
 
子どもの時からいまも依然輝き続ける彼のこころは、同時に、蒼い湖の水面(みなも)のやうに、閑かに鎮まつてゐる。
 
人といふものは、かうもありえるのか・・・。
 
わたし自身、そんな深い想ひを抱かせてもらひながら、Douglasと共に三日間を過ごすことができたのです。
 
集まつた子どもたちみんなが、生きて、いま、ここにあることの喜びに浸り切ることのできた、この夏の三日間は、おそらく、生涯の宝物になると、わたしは確信してゐます。
 
Douglas 、本当にありがたう。 
 
また、一緒に仕事をしよう!

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2018年08月03日

夏の汗 親子えんげき塾 ことばの泉 


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一昨日、昨日と、親子えんげき塾 ことばの泉、まさに二日間連続の怒涛のお稽古でした。
 
「ことばの泉」は、今年の暮れ12月28日午後に、和歌山の玉津島神社のすぐお隣のアートキューブにて、生誕劇を上演します。
 
生徒さんたちの溢れ出るばかりの意欲の力に、驚くばかりです。
 
そして、稽古を重ねるほどに、皆さんのことばへのセンス、「ことばの感官」が開かれていく。
 
演劇といふものは、そもそも、ことばの芸術だつたのだ。
 
さらには、ことばへの信仰を、密かに、顕わに、育む芸術だつたのだ。そんな繊細な感覚までも流す汗と共に共有してくださる。
 
そして、子どもたちの輝く声。
 
大人たちの真剣な取り組みにおのづと促されて、また大人たちの暖かい配慮に守られて、幼児から小学生まで(次回から中学生も加わります)、大声で共に歌ひ出すのです。
 
夏のこの汗が、冬のクリスマスには精神の光となるべく、稽古を重ねてゐます。
 
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2018年07月31日

ねっこぼっこ合宿 ありがたうございました


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信濃でのねっこぼっこ合宿、無事終了しました。
 
最高のお天気に恵まれ、信濃の山々に囲まれ、光と風を全身で浴びながらの三日間でした。
 
ご参加下さつた皆様、お手伝ひして下さつた仲間たち、共に三日間の講座を織りなしてくれた講師陣たち、本当にありがたうございました。

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毎朝、歌とリズム遊びとオイリュトミー、そして「こころのこよみ」で始まる朝の会。
 
次に、根本弘一郎さんによる渾身の講義「こころの育み」。
 
稲尾教彦さんによる「詩作」。
 
諏訪耕志による「言語造形」。
 
三日間、この四つの次第を毎日繰り返すことを経て、参加者おひとりおひとりのこころの内側に灯り出す<わたし>の光。
 
根本さんの講義。それは、考へることを育むことによつて、自由への道をひとりひとりが自分自身の足で歩み始めることができることを示唆するものでした。そして、その道を歩む人の中でやがて愛が目覚めゆくことを力強く促すものでもありました。
 
そこから引き続いて、稲尾さんは、ひとりひとりの内側の光り輝くところ、暖かさが湛えられてゐるところ、静かさに鎮まつてゐるところから聴こえて来る「ことば」に耳を澄ますことへと参加者の方をみちびきます。
 
そのみちびきは、その人がその人であることへの信頼、自分自身にも底知れぬ創造力があることの自覚を促すものでした。
 
その詩作の営みが、どこまでも、ひとりのひとりたるところに根差しながら、同時に、心情の共同体を織りなすことへと繋がつてゆくことを参加者は皆、深い感動の下に分かち合つた、そんな時間でした。
 
そして、信濃の光、風、水、山、樹木、草木との交流によつて深まつたこころの奥底から生まれてきたことば、「詩」を自分自身の声で朗唱することを試みた言語造形の時間。
 
それは、感情の迸りでありました。
 
子どもの頃から失はれてゐない輝きでありました。
 
こころが、ことばといふかたちを得て、空間に甦る。
 
造形されたことばが人に働きかけて、こころに光と熱と安らぎを与へます。
 
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皆さん、本当にありがたうございました。
 
ダグラス・ニュートンによる子どもの時間は、子どもたちから生きる歓びを引き出す、「素晴らしい」といふことばでは追ひつかない、本当に、本当に、かけがへのないものでした。

そのことは、また稿と写真を改めて掲載させてもらひます。

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2018年07月26日

明日からのねっこぼっこ合宿


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明日からの信濃の諏訪のすぐ南に位置する伊那にての『ねっこぼっこ合宿』に向けて、いまから大阪を出発します。
http://kotobanoie.seesaa.net/article/460565120.html
 
詩を自分の中から生み出し、自分の声をもつてその詩を響かせる。そんな三日間です。
 
頭を捻つて、詩を生み出すのではないのです。
 
風や光にからだまるごとをゆだね、草木を見つめ、そして、己れのこころのささやきに耳を澄ませることで、聴こえてくることばを掬ひ上げ、結び上げていくのです。
 
詩、歌は、まごころだけが載る、不思議な文芸です。
 
文芸、文学とは、こころとことばの不即不離なありやうに通じていく、ことばの道。
 
それは、人のこころの道であり、磨けば磨くほどに、ことばとその人がひとつになりゆき、その人がますますその人になりゆく道です。
 
そして、詩人とは、「人は、いかにして、人となりゆくか」を神に問ひ続ける人であります。
 
とりわけ、我が国の詩人たちは、土着のことば、先祖たちから手渡されたことば・やまとことばを通して、己れのこころの源を探り、己れのこころを先祖の方々と結ぶことで民族の血に繋がることを祈願し、未来の子孫たちにその精神を繋げることを乞ひ願つてゐました。
 
日本語には、その希ひの精神がいまも息づいてゐます。
 
この三日間の合宿で、わたしたちは、言語造形を通して、我が国の詩人たちに連なる、そのきつかけに触れてみたいと思つてゐます。
 
そもそも、人は、誰しも、詩人です。

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時は待つてはくれぬ

 
ある人と向かひ合つて口論をしてゐた。
 
すると、自分の横から、「時は誰をも待つてはくれぬ。ましてや己れをや」といふ声が聴こえた。
 
その親しい声に横を見ると、死んだ父親だつた。
 
優しい顔をしてゐた。
 
その姿を観て、こころが懐かしさと安らかさにほどけた。
 
そんな夢で目が覚めた。
 
 
身に沿ふは 常なるひかり あたたかき
親の想ひよ 静かに響く

 
諏訪耕志
 

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2018年07月25日

8月5日(日)三重・名張 言語造形公演「名人伝」再演のお知らせ


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8月5日(日)午後6時より、名張市桔梗が丘にて、言語造形公演『名人伝(中島敦作)』を上演させていただきます。先月からの再演となります。
 
言語といふもの、ことばといふものが、芸術になりうる。
 
そのことを多くの人と分かち合つていきたい。
 
そのことを希つて、舞台に立ち続けてゐます。
 
お申し込み、お待ち申し上げてをります。
 
※7月5日に行ひました大阪公演の記事を掲載してゐます。
https://kotobanoie.net/past/
 
●言語造形
諏訪耕志
 
●日時
8月5日(日) 
午後5時45分開場 午後6時開演 午後8時終演予定
 
●場所
ゆいのいえ
三重県名張市桔梗が丘6番町1街区  
桔梗の森公園(十号公園)そば
tel 090ー4184ー7234
 
●参加費
ご予約 3000円
当日  3500円
 
●お申し込み
ことばの家 諏訪 https://kotobanoie.net/access/
 
お席が少ないので、おはやめの御予約を御願ひいたします。
 
下記口座へお振込の上、ことばの家へご一報くださいませ。
 
 ◎ゆうちょ銀行  
 記号 10260 番号 28889041 
 諏訪 千晴(スワ チハル)
 
お振込の確認をもって、ご予約完了とさせていただきます。
 

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2018年07月24日

夏の朝・明治神宮


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代々木の苑 ひとあしごとに 変はる光
我をみちびく 夏の朝かな

 


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彼ひとり 我もひとりし 額(ぬか)づかむ
明治の杜の 神のみまへに

 
諏訪耕志

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2018年07月21日

ありがたうございました!くすのきシュタイナー幼稚園での『ことばと子どもの育ち』


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くすのき園 - 大阪あびこシュタイナー幼稚園での夏期講座『ことばと子どもの育ち』を今日は担当させていただきました。
 
この園が開園して、今年で10年です。(我が家の娘たち二人もお世話になりました)
 
その記念に、樋口早知子先生がこれまでの幼児教育実践を踏まえられた教育論を小さな本『しあわせな子育て』にまとめられました。
 
その内実のある文章とともに写真と製本デザインも美しく、これからの幼児教育へのひとすじの光ある道を探し求めてゐる親御さんたちにぜひ、お勧めしたい書籍です。
 
あとがきでも書かれてゐます。
「子どもを育てる上で一番大切なのは、保育者やお父さん、お母さんが、楽しんで子育てができているかということだと思います」
 
我が家の「ことばの家 諏訪」に来ていただいた時に無料でお渡しできますので、お申しつけください😊
 
今日の講座も、皆さんの積極的なご参加のお蔭で、とても暖かく、心情の深みを共有しあへたやうな、素晴らしい時間でした。
 
子どもへの教育を考へるときに、まづもつて、大人自身が自分自身の人生を大切に育み、肯定し、生き切ること。
 
その具体的な示唆を、毎日の子どもへの絵本の読み聞かせの時間にをいて、いかにもつことができるか。
 
今日は、そんな意識をもつて、昔話を言語造形を通して読み聴かせる体験を皆さんと共に分かち合ふことができました。
 
早知子先生、そして、ご参加くださつた皆さん、どうもありがたうございました。
 
また、大阪市内、堺市内近辺で、幼な子に対する教育に何か大切なものを求めてゐる方に、ぜひ、このくすのき園をご紹介したいと思ひます。
 
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2018年07月17日

夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日


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わたしたち、男ねっこぼっこ四人衆がお待ちしています!

『夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日』
 〜詩作と朗読、こころの育み、子どもたちへの贈り物〜
 
来週に迫ってまいりました!
 
大人たちは、静かで、かつ、熱い時を。
子どもたちは、からだもこころも夏の陽射しの中で躍動する。
 
夏の信濃「ねっこぼっこ合宿」のお知らせです。
 
わたし自身、どんな時間になるか、楽しみで仕様がありません! 

 
 

信濃の山里での今回の合宿では、こころの育み「知ることの細道」を辿る根本弘一郎と、詩を綴る稲尾教彦、そして、詩の朗読・言語造形をする諏訪耕志とで、こころとことばとの密やかな出会いを分かち合う時間と場所を皆さんと一緒に創ってゆきたいと思います。
 
また、小学生(3年生以上)プログラムとして、北海道で活躍中のネイチャーガイド、ダグラス・ニュートンが信濃の山を流れる清流や木陰に子どもたちをいざないます。からだの感覚をフルに使って丸三日間遊ぶ体験は、生涯忘れられないような夏の想い出を子どもたちのからだとこころに刻み込むでしょう。
 
夏の信濃の山里で、大人も子どもも、こころとからだを解き放ってみましょう。奮ってのご参加をお待ちしております。
 
                諏訪耕志記
 
 
●日程  2018年7月27日(金)〜29日(日)

※遠方から公共交通機関でお越しの方は、前泊(26日入り)、後泊(30日お帰り)、それぞれ一泊ずつの必要もあります。
 

●場所  ひだまりの家  
長野県伊那市富県2455-1  
電話090―9514―4477 (根本)
 
※交通機関が限られていますので、なるべく車でのお越しをお勧めします。

※会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします。 
車でお越しの場合:中央自動車道「伊那インターチェンジ」降りる
電車でお越しの場合:JR飯田線「伊那市」駅
高速バスでお越しの場合:「伊那バスターミナル」
 
 
●大人プログラム
8時半〜8時45分    朝の会
8時45分〜10時45分   講座 こころの育み
11時〜13時      詩作
13時〜14時半     昼食・休憩
14時半〜16時半    詩の朗読 (言語造形)
16時半〜17時     一日の振り返り
17時         解散
 
 
●子どもプログラム
8時半〜8時45分     朝の会
8時45分〜13時     午前の遊び
13時〜14時       昼食・休憩
14時〜17時       午後の遊び
17時          解散 
  
 
大人、子ども、どちらのプログラムもおおよそのものです。細かい変更が当日生じることもあります。
 
 
 
●参加費:
三日間昼食込み 大人38000円
        子ども(小学生3年生以上) 22000円
(小学2年生以下の子どもは、3日間で9000円にて、預かり保育のご相談に応じます)
(朝食・夕食は、各自ご自身でお取りいただきます)
 
 

下記口座にお振り込みをもってお申し込み完了といたします。
◎ゆうちょ銀行 記号 10260 番号 28889041
諏訪 千晴(スワ チハル)
   
 
 
●持ち物  大人  ノートとペン   
子ども 川遊びのための水着とタオル
山野で遊んでも支障のない服装と靴と軍手
雨天時のカッパ類
 
 
 
●お申し込み・お問い合わせ
「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/
電話06-7505-6405 
e-mail info@kotobanoie.net
 
 
 
●宿泊のご案内 (宿泊、会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします)
 
 
仙流荘 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd3/index.php…
 
入野屋 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd2/index.php…
 
文校館 
http://www1.inacatv.ne.jp/~bunkoukan/
 
 

 
 
●「講座 こころの育み  根本弘一郎」
本当の自由とはいかなるものなのでしょうか。私たちはあらゆる先入観や感情に縛られて生きています。体の調子にも、其々が持つ個性にも時として縛られます。どんな感情に自分は縛られているのか、生まれ持つ個性にはどのような種類があるのか。「こころの育み」の講座の目的は、自分の心の趣、考えの基調を感覚し知ることによって、「生来の自分」の原点に立つことにあります。自分を知り、志を持ち、そして立ち歩みだすことこそが本当の自由と言えるのかも知れません。本当の自分を見つけてみませんか。 
  
 
●「詩作  稲尾教彦」
詩を紡ぐという営みは、より、わたしそのもののことばと出会うこと。じっと観る、耳を澄ます、注意深く歩く。外界の事象の中に、内界への入り口を見つける。目をつむる、想い起こす。そうして、「問う」ことが出来る。問うことを通して、階段をおりる。みずからの内へ。わたしそのものへ。遥かなるものを通してこころが動くとき、ことばがともしびとなる。
この夏、長野の自然の中で、詩を紡いでみませんか。
 
 
●「詩の朗読 (言語造形)  諏訪耕志」
詩を朗読してみる。それは、ことばという当たり前のものが当たり前のものでないことに気づくことでもあります。ことばは発声されることで、とりわけ、その人のこころとからだのありようを映し出すと共に、ことばそのものの深みを響かせます。そんなことばとの密やかで美しい出会いを、詩の朗読・言語造形を通して、この夏、集中的に体験してみましょう。
 
 
●「子どもプログラム 思いっきり遊ぶ!  ダグラス・ニュートン」
夏の森や川には、子どもにとって無限の宝が詰まっています。ことば遊びや歌や手遊び。森に入って果実を摘み、火を起こします。そして、樹木の枝や丸太や石で道具を作ったり、遊び場を作ったり、冷たい清流に泳いだり・・・。からだの感覚をいっぱい使って、夏を生きる三日間です。
 
 
 
 
●根本弘一郎プロフィール
( 治療教育家 「ひだまりの家」主宰 )
ニュージーランドより帰国後、北海道にて心の学校を開設。自死を試みた若者達と暮らし自由への手引きに携わる。その後、北海道ひびきの村にてシュタイナー教員養成課程基礎コースの担任を務め平成26年に長野県に移住。主に虐待を受けた子どもの心の治療にあたる。
  
●稲尾教彦 プロフィール( 詩人 )
1980年長崎県生まれ。日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒。同大学卒業後、からだを壊したことをきっかけに、詩作・朗読を始め、自然農を川口由一に学ぶ。2013年より、大阪「ことばの家」の諏訪耕志に言語造形を学ぶ。以後、自作詩による言語造形公演を行う。2015年より、北海道に移住。ひびきの村にて、演劇講師、詩作と言語造形の講座の講師を務める。主な作品は、詩集「涙の歌」。
  
●諏訪耕志プロフィール
( 言語造形のためのアトリエ「ことばの家 諏訪」主宰 )
1964年大阪市生まれ。1994年よりルドルフ・シュタイナーハウスにて言語造形家鈴木一博氏に師事。2004年より「ことばの家」として関西を中心に自身の活動を始める。言語造形の舞台、ワークショップ、和歌講座、シュタイナーのアントロポゾフィー講義などを生業としている。日本語の美と風雅(みやび)を甦らせ、子どもたちに伝えていくことが念願。
 
●ダグラス・ニュートン プロフィール Douglas Newton
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。1987 年~ 1993 年 米国空軍にて、火災救助隊員、救命士。1994 年~ 2002 年 青森県十和田市にて幼稚園教師、児童養護助士。2002 年~ 2008 年 北海道伊達市(※当時、現在は豊浦町)。NPO 法人シュタイナースクールいずみの学校にて、英語教師及び青空教室指導員。現在、壮瞥町を中心としたジオパーク地域でネイチャーガイドとして様々な活動に携わる。昭和新山・火山マイスター。 
 
 


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2018年07月12日

涼しさのおすそ分け 桃尾の滝


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真白にも 落ちてたぎつる 石上(いそかみ)の 
岩肌黒く 鳥の声かな

 
先日、奈良の石上神社の奥の宮といはれてゐる社の少し上流にある桃尾の滝に触れてきました。
 
涼しさのおすそ分け・・・
 

posted by koji at 09:08 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

小西収さんによる『名人伝』ご感想


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先日、行ひました大阪での言語造形公演『名人伝』を聴きに来て下さつた小西 収さんが、日を経て、感想の文章を送つて下さいました。
 
芸術が依つて立つのは、目や耳に感覚できないものの受肉ではなく、むしろ、感覚的・事実的なものの転形・造形なのだといふことを、今回、わたし自身、感じてをりました。
 
芸術といふ、ひとりの人の行為によつて得られた姿・形は、わたしたちを満ち足らせる姿・形であります。
 
その姿・形が、そのまま、精神の顕れでもあります。
 
ことばに、そのやうな姿・形をもたらす。動きをもたらす。いのちをもたらす。
 
音楽における楽譜のやうに、文学のテキストもまたひとつの譜面のやうに扱ふことが可能です。
 
言語造形の試みを、このやうに汲み取つてくださつたこと、それは創造的立場からの極めてありがたい批評で、小西さんには感謝の念に堪えません。
 
密やかにわたしのしてゐることが、ことばをもつて言ひ表されてゐる・・・。
 
それは、本当に嬉しい驚きです。
 
以下、小西さんによる文章を掲げさせていただきます。
 
小西さん、どうもありがたうございます。
 
 

 
======

中島敦のこの短編が,これほどまでに高密度に内容の詰まったものであったとは!来場直前の黙読予習ではまったく想像だにできませんでした。
 
「名人伝」の,短いといっていいあの活字の列が,一文・一節・一句・一語・一音・一韻が,音声となって,場所/空間へ次々に降り立ってくる。言葉の彫刻。
 
できあがった彫刻作品ではなく,今,彫られていっている,行為としての彫刻。その“彫刻刀遣い”の振る舞いの,何という忙しさ!そして,それを聴くという充実した時間。
 
どこをとっても聴きどころであるそれらすべてを,逃さず味わい追っていこうとして聴き手の私もまた目紛しく(“耳”紛しく)集中しました。
 
私はただ客として聴いているだけなのに,まるで目の前の芸術家と同時進行で何かをともに作り上げているかのような喜ばしい錯覚もふと起きたほどです。
 
他では真に得難い,貴重な体験でした。
 
上に「内容」と書きましたが,それは私にとっては,物語の意味内容よりもむしろ言葉そのもの(のつながり)・音韻の妙です。
 
そしてそれらの間にある間(ま)や語の発せられる直前の呼気(吸気?)の息遣いまでもが「内容」となって迫ってきました。
 
例えば,「最早師から」の「も」と「もしそれが本当だとすれば」の「も」の何という違い。でありながら同じ「も」でもあるという,造形。…と,例を挙げてしまうと卑小なことのように聞こえることを惧れます。
 
こういう一瞬一瞬の連続であり総体だった,と受け止めました。その全貌はとても書ききれません…。
 
そうした細部のリアリティーがあってこそ,起昌が,飛衛が,甘蠅師が「そこに現れ」,中島敦の「声がした」のだ…と,思い出しつつ今改めて感じております。
 
「真実は細部に宿る」とは,こういうときのためにある言葉ではないかと想起した次第です。
 
また,(終演後も少しお話ししましたが)今回のご公演を受けて,諏訪先生の言語造形の行為が,私の普段携わる音楽演奏表現の行為と通底するということを改めてますます強く感じ入ることができました。
 
失礼を重々承知で書かせて頂きますと「先生と私は,ひょっとしてまったく同じことをしようとしているのではないか」と,嬉しくなり,これからの自分の活動への大いなる勇気づけを頂きました。
 
深い感謝の気持ちでいっぱいです。
 


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誠と嘘

 
自分のゐる場所で、いつでも宮中のやうな静けさを創り、深山へ籠つたやうな深遠さを創り出すこと。
 
このことがわかれば、自分のいまゐる場所がこの世で最高の場所となる。
 
こころとは実に繊細な生き物。こころは、真に美しく静かで豊かな場所でこそ育むことができる。
 
だから、己れのこころを修練し育み成長させたいならば、その環境をみづから、いま、ここで、生み出す勇気をもつこと。
 
肉眼をもつてみえないものを「幽」と言ふ。つまり、外の顕わなものでなく、内の幽なるものを見る練習をする。
 
『静にして閑』とは、この世の中で最も豊かな場所を表す。それは己れが己れの意志で創るのである。
 
門を厳重にして、念には念を入れて戸閉まりをし、また出入りをする人間の質を選ぶ。さうすれば、そこには宮中と同じ厳粛さが生まれ、思索を行ふにまたとない、静かな環境をその人に提供してくれる。
 
そこはまぎれもなく、各々の人にとっての宮中になり、社中となる。
 
これらのことは、以前、執行草舟氏の著書『友よ』の中で読んだことです。
 
「己れ」「家」「宮」とは、大切に守り育みたいものを、じつと見つめる場所。
 
その人の意志次第で、そのやうな時と場所を意識的に創ることができる。
 
その人の意志次第で。
 
いつでも、どこでも。
 
だから、「どこそこへ行かなければ、学べない」とか、「どこそこが本場だ」とか言つてゐるのは、嘘である。
 
さう思ひます。

posted by koji at 09:22 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月5日(日) 三重・名張 名人伝再演のお知らせ


IMGP0275.JPG 会場に隣り合ふ昨日の睡蓮の池 


8月5日(日)午後6時より、名張市桔梗が丘にて、言語造形公演『名人伝(中島敦作)』を再演させていただきます。
 
お申し込み、お待ち申し上げてゐます。
 
 
●言語造形
諏訪耕志
 
●日時
8月5日(日) 
午後5時45分開場 午後6時開演 午後8時終演予定
 
●場所
ゆいのいえ
三重県名張市桔梗が丘6番町1街区  
桔梗の森公園(十号公園)そば
tel 090ー4184ー7234
 
●参加費
ご予約 3000円
当日  3500円
 
●お申し込み
ことばの家 諏訪 https://kotobanoie.net/access/
 
お席が少ないので、おはやめの御予約を御願ひいたします。
 
下記口座へお振込の上、ことばの家へご一報くださいませ。
 
 ◎ゆうちょ銀行  
 記号 10260 番号 28889041 
 諏訪 千晴(スワ チハル)
 
お振込の確認をもって、ご予約完了とさせていただきます。

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2018年07月08日

大阪・住吉『名人伝』公演、ありがたうございました


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昨日は、近畿地方に大雨が続く中、言語造形公演『名人伝』にお運び下さつた皆様、本当にありがたうございました。
 
何かと行き届かないところがございましたが、それにもかかはらず、弓の名人になることを目指して生きぬいた一人の男の物語りに、約一時間、皆さん、耳を澄まし続けてくださいました。
 
頂きました皆さんの御感想文が、演じ終はつたわたしに、限りない励ましと、更にこの道を歩み続けてゆくための勇気を注ぎ込んでくれてゐます。
 
これからも言語造形といふことばの芸術を通して、言霊の幸ふ、そんな文化の礎をこつこつと築いていくつもりでをります。
 
ぜひ、また、言語造形の舞台へのご愛顧を、どうぞ、よろしくお願ひ申し上げます。
 
今年の秋、11月30日(金)夜に、阿倍野区民センターにて同じ中島敦作『山月記』を上演いたします。
 
よろしければ、ぜひ、お耳をお貸しください。
 
小学四年生の我が娘も昨日の公演を聴き、感想を書いてくれました。手前味噌になつてしまひますが、それを掲載させていただきます^_^;
 
 


パパ
 
今日はすごかったです!少しむずかしい言葉もあったのだけど、なぜか、意味が分かってきました!
 
ずっと話しをきいていると、話の中に入っていって、ねむたくも暑くもさむくも感じませんでした。聞いていて楽しかったです。
 
次、またやる時は、私がピアノをやりたいな♪
 
今日はたなばた。おりひめさまとひこぼしさまは聞いているのかなぁ。
 
かさね

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2018年06月27日

7月7日(土)大阪言語造形公演「名人伝」のお知らせ


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中島敦作『名人伝』を諏訪耕志による一人語りでさせていただきます。
 
わたしにとりましては、今回の言語造形の舞台が自分自身のデビューだと感じてゐます。
 
空間に拡がることばの芸術を味はつていただきたく、舞台に臨みます。
 
なにとぞ、どうぞ、御来場のほど、よろしくお願ひ申し上げます。お待ちしてをります。
 
 

 
 
名人といふ存在。

それは、数限りない練習や稽古や試合や実践といふものを通して、「人といふもの」をどこまでも追ひ求めていくことから開けてくる、ある位相ではないでせうか。
 
神と人とが重なり合つて生きる姿。
 
精神と肉体とがひとつになつて生きてゐる姿。

中島敦の名作『名人伝』のその位相をできうる限り紛らはすことなく語りでお伝へできたらと念つてゐます。
 
 

●言語造形:諏訪耕志 
 
●日時:7月7日(土) 開場2時 開演2時30分 終演予定4時
 
●場所:大阪市立住吉区民センター 集会室4
http://sumiyoshiwardc-ogbc.jp/map/
 
●参加費:ご予約 3000円  当日 3500円
 
●お申込み:「ことばの家 諏訪」
https://www.kokuchpro.com/event/mejinden/
 ↑
こちらのページの「申込む」ボタンよりお願いいたします。
 
ボタンを押してから 30分以内 にクレジット決済をしていただきませんと、お申し込みが無効になりますのでお氣をつけください。
 
また口座振込をご希望の場合は
下記口座へお振込の上、ことばの家へご一報くださいませ。
 
 ◎ゆうちょ銀行  
 記号 10260 番号 28889041 
 諏訪 千晴(スワ チハル)
 
お振込の確認をもって、ご予約完了とさせていただきます。
 
 

posted by koji at 21:24 | 大阪 ☁ | Comment(1) | 講座・公演・祝祭の情報ならびにご報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

『和歌(うた)を学ぶ会』のお知らせ


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明日の『和歌(うた)を学ぶ会』のお知らせです。
 
尊いもの、美しいものが失はれてしまふ。
 
その失はれてしまつたものを惜しみ、愛しみ、悲しむ。
 
その情は、どうしても深くこころに響きます。
 
柿本人麻呂は、今の琵琶湖の西岸にあつた近江の都が、壬申の乱の後、荒れ果ててしまつてゐる様を目の当たりにしました。
 
彼は激しい情に突き動かされるかのやうに、長い歌ひとつと短い歌ふたつを歌ひました。
 
今回は、その人麻呂の情に沿つてみたいと思ひます。
 
いよいよ、我が国の最初の大詩人、柿本人麻呂に言語造形を通して取り組んでいきます。
 
流れる詩情に全身を浸してみませう。
 
初めての方でも、どうぞ、お気軽に😊
  
 

日時:  
第四水曜日 午前10時より12時半
 
場所・お問ひ合はせ・お申込み: 
ことばの家 諏訪
https://kotobanoie.net/access/
 
参加費: 単発 4000円
四回連続 14000円
 

posted by koji at 23:13 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 講座・公演・祝祭の情報ならびにご報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

小西 収さんによる『楽藝の会』


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小西 収さんによる『楽藝の会』の演奏を聴きました。
 
<わたし>といふ意識と、わたしから離れた「おのづからなる働き」といふ無意識の働き。
 
このふたつの間になりたつ美を育てていきたい。
 
そんな小西さんの音楽に対する憧憬と情熱が、精神的に、かつ肉体的に繰り広げられるのを、一気に目の当たりにした。
 
そんな感慨です。
 
本当に、素晴らしい、一瞬、一瞬、でした。
 
柳宗悦の民藝運動の音楽版のやうな活動を、といふ志を持たれてゐる小西さんの『楽藝の会』の活動、わたしはこれからも大注目なのです。
 
小西さん、山崎さん、そして演奏された皆様、今日は本当にありがたうございました。

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posted by koji at 23:17 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 絵・彫刻・美術・映画・音楽・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

7月5日・9日 東京での言語造形ワークショップのお知らせ


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東京の渋谷区恵比寿にある本屋さん「ちえの木の実−たいせつな一冊に出会う場所−」のご協力で、言語造形の2回連続クラスをさせていただきます。
 
この機会に、言語造形を通してからだまるごとで日本の古典文学を味わってみませんか。
 
お申し込み、こころよりお待ちしております。
 
諏訪耕志
  
 
 
 
●7月5日(木)18時〜21時
『古事記の文章 〜声から声への伝え〜』
 
 
文学とは、そもそも、声から声への伝えです。
 
天武天皇の御声によってひとりの舎人・稗田阿礼の耳に伝えられた『古事記』。
 
天武天皇は、何に耳を澄まされたのか。それは、神の声です。
 
文学とは、ことばの芸術であり、ことばとは、神から人へと吹き込まれた息吹きであります。
 
わたしたちは、その、いまも、神から吹き込まれている息吹き、そしてことばを、ことばの法則に沿って造形することで、空間に、ことばのお宮、お社を形造っていくことができます。
 
我が国の古(いにしえ)から永遠(とこしえ)へと続く、ことばのお宮創り。
 
言語造形を通して、最古の叙事文学『古事記』を体験してみませんか。
 
 
 
  
●7月19日(木) 19時〜21時
『万葉集のうた 〜血に息づく音楽〜』
 

万葉人の血のうちにあったリズム、メロディー、高らかで、かつ穏やかな韻律。
 
万葉の歌においては、そのすべての内なる音楽が、流れる呼吸の動きの中で、彫塑的な輪郭、建築的な力としても取りまとめられ、解き放たれ、絡み合わされます。
 
それらの歌は、ときに、素戔嗚尊のごとく大地の底から湧き上がり突き上げるような力を感じさせ、ときに、天照大御神のごとく明るく澄んだ陽の光の輪舞のなだらかに繰り出す動きを感じさせます。
 
そこには、すでに、とても複雑な光と陰影が交差しています。
  
万葉の歌が、我が国の国語の基準の高さを明確に示しています。
 
万葉の歌の美と格と律をわたしたちも己れのものにしていく。
 
最古の抒情詩歌集『万葉集』を通して、わたしたちは、意識的に、芸術的にみずからの身を修めつつ、言語のみなもとへと再び辿りゆく道を歩み始める、そのきっかけを見いだしていきましょう。
 
 
 
 
言語造形講師:
諏訪耕志( 「ことばの家 諏訪」主宰 )
https://kotobanoie.net/profile/#suwakoji
 
 
日時:
7月5日(木)、7月19日(木)午後6時から9時まで
 
 
場所:
ちえの木の実 渋谷区恵比寿西2-3-14
http://www.chienokinomi-books.jp/annai/annai.html
 
 
参加費: 
一回のみのお申込み 5000円
7月5日、19日、二回連続のお申込み 9000円
 
 
お問い合わせ:
「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/

お申し込み:
https://www.kokuchpro.com/event/tokyo_ws_07/
(paypalクレジット決済)

恐れ入りますが、参加ボタンを押してから 30分以内 にクレジット決済をしていただきませんと、お申し込みが無効になります。どうぞよろしくお願いします。

または下記口座へのお振込みも可能です。

◎ゆうちょ銀行
記号 10260 番号 28889041
諏訪 千晴(スワ チハル)


お振込みの確認をもって、
ご予約完了とさせていただきますので
ゆうちょお振込みの際にはご一報ください。

 
 
主宰:
ことばの家 諏訪 https://kotobanoie.net/
 
 
協賛:
ちえの木の実 http://www.chienokinomi-books.jp/index.html
 
  

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2018年06月20日

マリー・シュタイナーによる序文D・完


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ルドルフ・シュタイナー作『Mysteriendrama(秘めやかな事についての劇)』の一場面


●この、『言語造形と演劇芸術』のコースで話されてゐるところを弁へるには、感官への現はれの背後に隠れる世の内容に踏み込むことを要する。このコースでわたしたちに与へられてゐるところを実践に於いてフルに利用するには、その世の内容を生きることが欠かせない。そこにわたしたちが予断や嫌ふ気持ちを差し挟まなければ、その世の内容を生きるであらう。
 
わたしたちがしようとしてゐることは、何をするにも、精神的な観点から、見てとり、感じとり、考へ、取り組んでみるところからであります。
 
ことばの舞台芸術が、物質主義の軛(くびき)から解き放たれて、人のこころと精神を満たすやうなものになるやう、わたしたちは試み続けます。
 
しかし、その道は、ひたすらな練習しかありません。
 
何か特別な秘訣や謎めいた秘密はありません。
 
ただ、練習を続けていくことの中に、見えてくることばの線、聴こえてくる確かな調べ、伴走しうることばの動きを、己れのものにしていくしか、方法はありません。
 
しかし、それらは、明らかに、この世の物質的なものでなく、ことばと作品まるごとに秘められてゐた精神的な法則に他なりません。
 
芸術は、机上の勉強ではなく、汗を流しながらの、精神に向けた新しい認識の学そのものなのです。
 
そして、息を解き放ち、声を発し、ことばを話す人自身が、みづからその線を追ひ続け、調べを聴き続け、動きを動き続けるのは、とても難しい故に、言語造形には、学校が必要なのです。
 
自分で自分の声を聴きとることができるまでには、とても長い年月が要るのであります。
 
自己流では、決して、摑み得ない学びです。
 
 
●そもそも、音韻は精神の使ひであり、息は神々の実質である。そして、演劇は、秘めやかな事から出て来てをり、わたしたちは再びそこに立ち返りうる。
 
こころの柔軟さ、素直さ、アクティビティーが生きてゐさへすれば、そして、様々な予断や、精神を嫌ひ、恐れる気持ちが、道を塞ぎさへしなければ、きつと、客としてのことばの精神(言霊)がわたしたちを導いてくれます。
 
音韻と息が、言語の芸術をする人にとつての素材であり、道具であり、教師であります。

それらの元手をもつて、日本の「秘めやかな事についての劇」を創ることを目指していきたいと考へてゐます。
 
#言語造形 
 


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2018年06月19日

マリー・シュタイナーによる序文C


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●言語造形へと迫るといふことは、音韻の働きかけを、空気、吐かれる息といふ媒体に於いて生きることであり、音韻のつくりなし、音韻の発しかたを手のうちにおくことが、言語の器官の法則と求めに応じ、まさに仕事としてなされるといふことである。
 
●それは、音のインタヴァル、響きの陰影への、シャープに育まれた聴覚である。ことばの線は動きに担はれ、ことば、行、聯(れん)に勢いを与へる。その芸術としての線が、突き動かし、アクティブにし、燃えたたせるところであり、精神からインスパイア―され、芸術の才能を授かる<わたし>によつて摑みとられる。その線がこわばつてはならない。間(ま)に於いてもである。間は欠かせないもので、線を造形する。線が間でふたたび精神に浸され、新たな勢ひをとりこむ。そのつど、みづからのこころに沈み込むのでは、線の動きが殺がれ、つまりは己れを見てとる線がでしゃばつてしまふこと、ナルシスの例で知られるとほりである。

 
 
吐かれる息に乗つて、音韻ひとつひとつが空間に造形されます。そして、その息の連続から、おのづとことばとことば、文と文のあひだに生きた間(ま)が生まれ、その間を見えない線が繋ぎます。その線の動きは、どこまでもダイナミックであり、繊細であり、かつ自由です。その線を見失はないこと。見失つてしまひますと、途端に、己れのマスクがものを言ひだし、ナルシスティックな表現の連続となつてしまひます。
 
そして、日本民族ほど、「間(ま)」にこれほどの動きと生命と精神を感得してゐる民族は、さうはいないやうに実感してゐます。
 
間に於ける響きの陰影、ことばの動的な線、それは、あくまでも、話す人のナルシスティックな像の投影ではもちろんなく、主観的・恣意的な生産物でもなく、客としての息遣ひとことばの音韻がもたらす精神の顕現です。
 
わたしたち日本人は、ことばの生命と精神(すなはち、それこそが、「言霊」です)を、民族精神の伝統としてたいせつに育んできた者であります。
 
日本の精神文化のなかに、改めて言語造形が根付いていくやう、毎日励んでいきたいと希つてゐます。


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2018年06月18日

マリー・シュタイナーによる序文B


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●意識といふことばに怯(ひる)みはすまい。意識は芸術を殺さずに、深める。意識が芸術を<わたし>へと引き上げ、わたしたちのマスクのごときパーソナリティの絆から解き放つに於いてである。
 
芸術とは、常に、意識と無意識とのせめぎ合ひであり、混交であります。頭部・神経系の目覚めた意識と、四肢・血液系の眠れる意識との融合であります。
 
意識だけで、芸術が出来上がるわけもなく、その意識と、訓練され無意識に動くまでになつた「からだ」との重なりこそが、ものを言ひます。
 
そして、その重なりは、その人その人の癖(マスクのごときパーソナリティ)から、ことばと共にその人をも解き放ち、ことばそのものが秘めてゐた精神、その人そのものが秘めてゐた精神<わたし>が立ち顕れて来るのです。そのとき、人は、自由です。
 
 

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マリー・シュタイナーによる序文A


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●今日、悪趣味の時代に、いくつかのことばの頭文字から味気ないことばのすがたが構えられ、精神が追ひ出されるのは、言ひやうもなく痛ましく、深くから芸術でないと感じられる。そのことばのすがたは、骸骨のごとく骸(むくろ)を震はせて嘲笑ふ。
 
●悪の力がことばの力を囲い込み、打ちこわさうとする。そこに救ひ手が出で立つた、ルドルフ・シュタイナーである。その救ひ手が、ことばの癒す力、魔法の働きかけをわたしたちに返し、陽の矢の輝きとことばのうちに投げられる槍をもつて、わたしたちの傷を閉ざす。
 
●その日はいつ来るか。感覚が、ことばの癒す力、魔法の力へ、ことばのもとにうねりつつ開ける精神の波へと、返される日は。
 
●呼吸に於いて生きる、呼吸を造形する、呼吸の鑿(のみ)をもつて空気のうちに造形する。そして震え、細やかなヴァイブレーションを感じる。空気のエーテルの、上音と下音の、ウムラウトの響きに於けるこよなく細やかなインターヴァルのヴァイブレーション。それら精神を通はせるやうになるもののヴァイブレーション。さうした芸術としての、微妙この上ない物質に於ける生みなしは、まこと、気高い仕事である。

 
 
ここ日本に生きてゐるわたしたちも、現代、ことばに於いて、ことばの使ひ方に於いて、ことばの交わしあひに於いて、痛ましく傷ついてゐるやうに感じます。
 
ことばの芸術であらうとする言語造形は、まことの意味で、人を癒さうとし、人を甦らせようとする、精神からの営みです。
 
ことばは、この世で、人だけが授かつてゐるものです。
 
そのことばを、どこまでも、人間的なものにして行かう、磨いて行かう、研いで行かうとする営み。
 
それが言語造形だと思ひます。
 
 

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2018年06月16日

マリー・シュタイナーによる序文@


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『言語造形と演劇芸術』といふルドルフ・シュタイナーによる連続講演録があります。
 
その本の初版の序として、妻であり、仕事の上でのかけがへのないパートナーでもあつたマリー・シュタイナーが記してゐる「クリエイティブな言語」といふ文章の内容を少しご紹介したいと思ひます。(言語造形家 鈴木一博さん訳)
 
彼女は、ルドルフ・シュタイナーの最も近くにゐながら仕事を共にした人であり、言語造形といふことばの芸術をルドルフと共に産みだした人です。
 
ルドルフのことばをどこまでも深く受け止め、消化しつつも、読む人、聴く人にさらに知的かつ意欲的に働きかけるやうな文体をもつて彼女は真摯に語りかけてくれてゐるやうに感じます。
 
 

●言語に於いて人が人の神々しいところをつかむ。音韻がクリエイティブな力であり、人を人のみなもとに結び、人が精神への道をふたたび見いだすに任せる。音韻によつて人が動物の上に上がり、探りながらでみづからの<わたし>に立ちかへる。
 
●いよいよ言語に於いて人のインディヴィジュアルな<わたし>の力が、その音としての表れを見いだし、その力そのものに気づきうる。
 
●人が立ちあがり、動物の横の線が縦になりかはつて、人がみづからのうちに言語の力を解き放つ。

 
 
 
かういつた文章は、実際に言語造形に取り組んでゐないと、リアリティーを感じにくいものであるかもしれません。
 
しかし、言語造形の魅力を知り初めてをられる方々にとつて、これらの文章が何らかのメディテーションの営みへと資するものであれたらと思ひ、掲載してみます。
 

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ぬばたまの黒き斎牛 〜住吉の御田植神事にて〜


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時間の隙間を見て住吉大社にお参りに行くと、御田植神事であつた。
 
神事を観る時間があいにくなかつたのだけれど、御田の代掻きを奉仕する「斎牛(さいぎゅう)」が、お祀りを前にして待機してゐるのを間近に拝むことができた。
 
今年は、京都の祇園祭で牛車を引いてゐる牛が大阪の住吉まで来てくれたさう。
 
黒光りする偉大な姿。
優しい目。
何事かを語つてをられる。
 
 
ぬばたまに 輝く黒は かむがへる
遠きあの世を とはにかきはに

 
諏訪耕志
 
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2018年06月14日

夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日

『夏の信濃 ねっこぼっこ合宿 7月27〜29日』
〜詩作と朗読、こころの育み、
そして子どもたちへの贈り物〜
 
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大人たちは、静かで、かつ、熱い時を。
子どもたちは、からだもこころも夏の陽射しの中で躍動する。
 
夏の信濃「ねっこぼっこ合宿」のお知らせです。
 
わたし自身、どんな時間になるか、楽しみで仕様がありません! 

 
 

信濃の山里での今回の合宿では、こころの育み「知ることの細道」を辿る根本弘一郎と、詩を綴る稲尾教彦、そして、詩の朗読・言語造形をする諏訪耕志とで、こころとことばとの密やかな出会いを分かち合う時間と場所を皆さんと一緒に創ってゆきたいと思います。
 
また、小学生(3年生以上)プログラムとして、北海道で活躍中のネイチャーガイド、ダグラス・ニュートンが信濃の山を流れる清流や木陰に子どもたちをいざないます。からだの感覚をフルに使って丸三日間遊ぶ体験は、生涯忘れられないような夏の想い出を子どもたちのからだとこころに刻み込むでしょう。
 
夏の信濃の山里で、大人も子どもも、こころとからだを解き放ってみましょう。奮ってのご参加をお待ちしております。
 
                諏訪耕志記
 
 
●日程  2018年7月27日(金)〜29日(日)

※遠方から公共交通機関でお越しの方は、前泊(26日入り)、後泊(30日お帰り)、それぞれ一泊ずつの必要もあります。
 

●場所  ひだまりの家  
長野県伊那市富県2455-1  
電話090―9514―4477 (根本)
 
※交通機関が限られていますので、なるべく車でのお越しをお勧めします。

※会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします。 
車でお越しの場合:中央自動車道「伊那インターチェンジ」降りる
電車でお越しの場合:JR飯田線「伊那市」駅
高速バスでお越しの場合:「伊那バスターミナル」
 
 
●大人プログラム
8時半〜8時45分    朝の会
8時45分〜10時45分   講座 こころの育み
11時〜13時      詩作
13時〜14時半     昼食・休憩
14時半〜16時半    詩の朗読 (言語造形)
16時半〜17時     一日の振り返り
17時         解散
 
 
●子どもプログラム
8時半〜8時45分     朝の会
8時45分〜13時     午前の遊び
13時〜14時       昼食・休憩
14時〜17時       午後の遊び
17時          解散 
  
 
大人、子ども、どちらのプログラムもおおよそのものです。細かい変更が当日生じることもあります。
 
 
 
●参加費:
三日間昼食込み 大人38000円
        子ども(小学生3年生以上) 22000円
(小学2年生以下の子どもは、3日間で9000円にて、預かり保育のご相談に応じます)
(朝食・夕食は、各自ご自身でお取りいただきます)
 
 

下記口座にお振り込みをもってお申し込み完了といたします。
◎ゆうちょ銀行 記号 10260 番号 28889041
諏訪 千晴(スワ チハル)
   
 
 
●持ち物  大人  ノートとペン   
子ども 川遊びのための水着とタオル
山野で遊んでも支障のない服装と靴と軍手
雨天時のカッパ類
 
 
 
●お申し込み・お問い合わせ
「ことばの家 諏訪」 https://kotobanoie.net/access/
電話06-7505-6405 
e-mail info@kotobanoie.net
 
 
 
●宿泊のご案内 (宿泊、会場までの移動手段はご自身で手配をお願いします)
 
 
仙流荘 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd3/index.php…
 
入野屋 
http://www.ina-city-kankou.co.jp/…/modules/tinyd2/index.php…
 
文校館 
http://www1.inacatv.ne.jp/~bunkoukan/
 
 
※この地域の農家民宿が二部屋 (二家族分) ご用意できます。

一泊 大人7500円 子ども5000円
(家庭料理ですが、朝夕二食、供されます)
 
 
 
●「講座 こころの育み  根本弘一郎」
本当の自由とはいかなるものなのでしょうか。私たちはあらゆる先入観や感情に縛られて生きています。体の調子にも、其々が持つ個性にも時として縛られます。どんな感情に自分は縛られているのか、生まれ持つ個性にはどのような種類があるのか。「こころの育み」の講座の目的は、自分の心の趣、考えの基調を感覚し知ることによって、「生来の自分」の原点に立つことにあります。自分を知り、志を持ち、そして立ち歩みだすことこそが本当の自由と言えるのかも知れません。本当の自分を見つけてみませんか。 
  
 
●「詩作  稲尾教彦」
詩を紡ぐという営みは、より、わたしそのもののことばと出会うこと。じっと観る、耳を澄ます、注意深く歩く。外界の事象の中に、内界への入り口を見つける。目をつむる、想い起こす。そうして、「問う」ことが出来る。問うことを通して、階段をおりる。みずからの内へ。わたしそのものへ。遥かなるものを通してこころが動くとき、ことばがともしびとなる。
この夏、長野の自然の中で、詩を紡いでみませんか。
 
 
●「詩の朗読 (言語造形)  諏訪耕志」
詩を朗読してみる。それは、ことばという当たり前のものが当たり前のものでないことに気づくことでもあります。ことばは発声されることで、とりわけ、その人のこころとからだのありようを映し出すと共に、ことばそのものの深みを響かせます。そんなことばとの密やかで美しい出会いを、詩の朗読・言語造形を通して、この夏、集中的に体験してみましょう。
 
 
●「子どもプログラム 思いっきり遊ぶ!  ダグラス・ニュートン」
夏の森や川には、子どもにとって無限の宝が詰まっています。ことば遊びや歌や手遊び。森に入って果実を摘み、火を起こします。そして、樹木の枝や丸太や石で道具を作ったり、遊び場を作ったり、冷たい清流に泳いだり・・・。からだの感覚をいっぱい使って、夏を生きる三日間です。
 
 
 
 
●根本弘一郎プロフィール
( 治療教育家 「ひだまりの家」主宰 )
ニュージーランドより帰国後、北海道にて心の学校を開設。自死を試みた若者達と暮らし自由への手引きに携わる。その後、北海道ひびきの村にてシュタイナー教員養成課程基礎コースの担任を務め平成26年に長野県に移住。主に虐待を受けた子どもの心の治療にあたる。
  
●稲尾教彦 プロフィール( 詩人 )
1980年長崎県生まれ。日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒。同大学卒業後、からだを壊したことをきっかけに、詩作・朗読を始め、自然農を川口由一に学ぶ。2013年より、大阪「ことばの家」の諏訪耕志に言語造形を学ぶ。以後、自作詩による言語造形公演を行う。2015年より、北海道に移住。ひびきの村にて、演劇講師、詩作と言語造形の講座の講師を務める。主な作品は、詩集「涙の歌」。
  
●諏訪耕志プロフィール
( 言語造形のためのアトリエ「ことばの家 諏訪」主宰 )
1964年大阪市生まれ。1994年よりルドルフ・シュタイナーハウスにて言語造形家鈴木一博氏に師事。2004年より「ことばの家」として関西を中心に自身の活動を始める。言語造形の舞台、ワークショップ、和歌講座、シュタイナーのアントロポゾフィー講義などを生業としている。日本語の美と風雅(みやび)を甦らせ、子どもたちに伝えていくことが念願。
 
●ダグラス・ニュートン プロフィール Douglas Newton
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。1987 年~ 1993 年 米国空軍にて、火災救助隊員、救命士。1994 年~ 2002 年 青森県十和田市にて幼稚園教師、児童養護助士。2002 年~ 2008 年 北海道伊達市(※当時、現在は豊浦町)。NPO 法人シュタイナースクールいずみの学校にて、英語教師及び青空教室指導員。現在、壮瞥町を中心としたジオパーク地域でネイチャーガイドとして様々な活動に携わる。昭和新山・火山マイスター。 
 
 
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わたしたちねっこぼっこ男四人衆がお待ちしてイマス!



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